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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

映画「靖国」の菊と刀

2008年05月23日 | 観劇など
映画「靖国 YASUKUNI」(李纓監督)を見た。稲田朋美衆院議員の議員向け試写会実施(3月12日)をきっかけに上映自粛の波が広がり、有村治子参院議員が刀匠・刈谷直治さんの映像削除希望を国会で問題にし(3月27日)、あげくに靖国神社も映像削除を求めているいわくつきの映画である。

メイン舞台は、敗戦60周年の2005年8月15日の靖国神社境内である。日の丸を掲げ「戦没者よ、安らかに眠りたまえ」と唱えながら参道を歩く人、海軍ラッパを吹奏する一団、「「天皇陛下万歳」には、勝ち戦で笑顔の万歳、特攻の涙の万歳、怒りの万歳などさまざまある」と解説する人、晴れの日の装束に身を包む人と日の丸・軍艦旗でいっぱいだ。わたくしは遊就館を見学したついでに拝殿や境内をちらっとみるだけなので、8月15日には、こんなカーニバルのような光景が展開されていることは想像しなかった。戦前の靖国は見世物で有名なところだったという話は聞いたことがあったが・・・。
ちょっとおかしかったのはネバダとカリフォルニアで不動産業を営むアメリカ人だ。「小泉総理を支援します」という日本語のプラカードを持ちアピールしている。「いまは同盟国だ。がんばってください」と励ます人やサインを求める人がいるものの、星条旗を手にしていたため「アメリカへ帰れ」「この場所でアメリカの旗なんか広げちゃいけないんだ」「ヤンキー、ゴーホーム」と悪態をつかれ、寅さんのようなカバンをまとめて帰されてしまう。
雨にもかかわらず夜訪れ、頭には鉄カブト、日本刀を抜いて参拝する人もいた。バックに流れる音楽は「大和魂あるものの 死すべき時は今なるぞ 人に後れて恥かくな」という歌詞の「抜刀隊」だった。フランス人ルルーの作曲であることは知っていたが、作詞が日本の社会学の創始者・外山正一であることは知らなかった。
靖国神社は、左右双方のイデオロギーが激突する場所だ。わたくしは左派の考えに賛同するが、この映画では右派の主張を多く紹介していた。「学校で本当の歴史を教えていない。遊就館に真実の歴史がある」と演説する人、3人の兄を亡くしたという女性、「百人斬りはなかった、向井少尉、野田少尉の冤罪をはらす」と署名を集める女性、南京大虐殺を否定する男性。
きわめつけは日本会議英霊にこたえる会、「みんなで靖国神社に参拝する国民の会」が呼びかけ、参道特設テントで開催された「終戦60年国民の集い」だ。石原慎太郎都知事が「眠れる獅子は支那じゃなくて、日本なんだ」と「力強く」訴え、稲田朋美が「憲法、防衛、教育など国家の根幹にかかわるあらゆる歪みを是正する国民運動を一層強力に推進し、首相が堂々と靖国神社に参拝できるような「誇りある日本」を必ず再建する」と声明文を読み上げる。そして「君が代」と「海行かば」を全員で斉唱する。
10月の例大祭に公式参拝した小泉首相の映像と「精神の自由、心の問題は誰にも侵すことができない」との記者会見の音声を紹介していた。
また桜花や回天、阿南陸相の血染めの遺書など遊就館の内部の映像が紹介されていた。監視が行き届いているので、よく遊就館の館内撮影ができたと驚いた。仮に文書で撮影許可願いが出ていないとしても、係員の許可がありはじめて撮影できたものと考える。
これに対し、反対派の主張は合祀取り下げを神社に要求する高金素梅(チワス・アリ)と「靖国合祀イヤです訴訟」の原告で真宗僧侶の菅原龍憲の二人、そして「終戦60年国民の集い」に乗り込み「侵略戦争反対」を叫んだが、「中国へ帰れ」と罵倒されて殴られ、パトカーで連行される2人の若者くらいだった。
高金素梅の「靖国の門に使われている檜は、台湾から伐り出し運んだものだ」「何を根拠にわれわれの祖先の霊を靖国に閉じ込めているのか、魂を台湾に連れて帰る」という怒りの表情と声には迫力があった。
右派の主張は、チャンネル桜のような一般的とはいえないメディアでなければ聞くチャンスが乏しいので、むしろ右派の広報として有益なのではないかとすら思えた。

この映画は、たんに左右の主張や行動を映画で紹介するだけには留まらない。タテ糸となるのが刀匠・刈谷直治さんを通した「菊と刀」の問題である。靖国神社の祭神は246万余人の戦没者で、神体は剣と鏡だそうだ。1933年境内に日本刀鍛錬会が設置され、敗戦まで8100振りの靖国刀が製作され、将校に下賜された。
刈谷さんは敗戦時に20代後半だった。たいへん元気そうでいまも70代に見える。しかし耳が少し遠いのか「休みのときにどんな音楽を聞くのか」と監督が聞くと「靖国の音楽」と聞き違える。そして明治百年記念式典(1968年)の天皇の「今日のこの発展は、明治維新以来の先人が英知と勇気をもって成し遂げた業績・・・」というテープを聞かせてくれる。
刀の製作工程のうち鍛造、焼入れ、粘土汁をかけて加熱する積沸かしなどを紹介したあと、刈谷さんは「日本刀を詠ず」(作 徳川光圀)という詩吟を朗詠する。
 蒼龍,猶お未だ雲霄に昇らず
 潜んで神洲剣客の腰に在り
 髯虜鏖
(みなごろし)にせんと欲す策無きに非ず
 容易に汚す勿れ日本刀

最後に、愛馬白雪に騎乗し閲兵する天皇、靖国を訪れ国民が平伏するなか「わたしのために死んでくれてありがとう」とでも言うように見下ろす天皇、剣道の練習をする子どもたち、捕虜を刀で斬首する日本兵などの映像がなんのナレーションもなく流れる。
そして、菊(天皇)と刀(軍隊)と靖国の関係があらわになる

☆スタッフロールでカメラマン堀田泰寛の名を発見した。伊藤蘭と古尾谷雅人が出ていた「ヒポクラテスたち」(1980年)のカメラマンだ。ネットで調べると1939年生まれなのでもう70歳に近い。「日本の悪霊」(77年)、「SAWADA」(96年)、「」(2003)などの撮影を担当した。
☆刈谷さんが刀をつくるバックに、川底でオオサンショウウオがゆっくりうごめくようなコントラバスやチェロのカノンが流れる。グレツキの「交響曲3番 悲歌のシンフォニー」である。3つの楽章すべてがレントで書かれ、傷を負った子への祈り、ゲシュタポに囚われた少女の祈り、息子を亡くした母の祈りがソプラノで歌われる。グレツキは1933年生まれのポーランドの作曲家で、この曲は1976年に作曲された。
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