多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

青年団の「北限の猿」

2010年01月08日 | 観劇など
暮れの快晴の日、こまばアゴラ劇場で青年団の「北限の猿」をみた。
舞台正面には三方向に伸びる机、左にロッカーが8つ、右に4つあり、机の上にはサルのぬいぐるみが3つ、左のロッカーの上に3つ置いてある。
観客が入場したときにすでに左手に女性、右に白衣の男性が座っている。学食の新メニューに加わった、小麦粉を焼いただけでまずいテリーヌの話をしている。いつもの青年団の芝居と同じように、いつ始まったのかわからない導入である。

ここはボノボのなかで脳の大きい個体を掛け合わせ、生まれた子どもの成長を遅らせ、脳だけ発達させ知識を与え、それを何代か繰り返し人間に近いボノボをつくる「ネアンデルタール作戦」が進行中の国立大学の研究室で、舞台は談話室、主な登場人物は院生9人、学部の学生2人である。
宇都宮から動物心理学専攻の大学院生がメンバーに加わるところからシナリオがスタートする。上手(右)に実験室や放牧場があるようだが、その場面やラモスという教授は登場しない。
サルの生態と人間の比較や、生物学、動物学、農学などさまざまな分野出身の研究室メンバーの人間関係、実験の話、サルの文化の伝達など、とりとめない話が続く。これもいつもの通りだ。ところが学部の女子学生が、既婚の農学部出身の院生の子どもを妊娠したことが発覚したところから、いつものシナリオと異なり深刻な様相を帯びていく。
「最近わたしのこと避けてるでしょう」「あのね、子どもができたみたいなんですね、赤ちゃん」「どうするのがみんなのために一番いいのかなあって」「どうしましょうね」。次々と男を刺すようなセリフが口をついて出る。ただ談話室なので2人だけになる場面は、1時間半の芝居のなかで3分だけだ。しかしその後も院生の雑談で男が来年3月からスーダンに長期出張することが明らかになり、女は「わたしは5月です」と口走ってしまう。
また生活が厳しい南西諸島の島で、断崖絶壁の割れ目を妊婦に飛ばせて、体力のない人は墜落するし、極度の恐怖で流産する人もいて、そういう方法で間引きするという話も雑談のなかで紹介される。みんなが出ていき女1人になったなか、しばらくポテトチップスを食べ続け物思いにふける。そして「君は野中の茨の花か」という安里屋ユンタを歌いながら、少し離した2つの椅子を飛び越すかどうか逡巡する。
ちょうどそこに生化学の女性院生が現れ、ゴリラのドラミング(胸たたき)のような仕草をする。それに応えて女性も胸をたたき返す。女性は少し元気を取り戻したようだ。ということは男性は地獄の日々が始まるということか。
平田オリザはパンフに「科学は進歩し、技術は革新しても、まったく変わらない人間の営み」と書いている。「ネアンデルタール作戦」の目的はサルを人間に進化させることではなく人間の本質を探ることだが、先端的な研究をする理科系の研究室でも、研究者の深刻な悩みは数千年前から変わらない婚外の「妊娠」であることが示される。
じつは芝居をみる前に、図書館で96年の第32回公演「北限の猿」(紀伊国屋書店)のビデオをみてしまった。シナリオだけならよかったのだがこれがまずくて、どうしても役者の演技を比較して見てしまう。ひらたよーこ(生化学の院生)、山内健司(農学部の院生)、原田雅代(霊長類研究所)、志賀廣太郎(研究室OBのセールスマン)らが好演したビデオである。
今回の公演は若手選抜だが、長野海(大学生・谷本)、村井まどか(言語学・辻本)、小林亮子(戸塚の妹)がよかった。96年公演に比べて役者の力が平均化されており、芝居の広がりを感じた。一方、「深刻さ」の色合いは弱まっていた。10年で時代背景が変わったのか、それとも演技のせいなのか。
じつはわたくしは96年に姉妹作「カガクするココロ」をみている。サルを進化させる研究室を舞台にした話だったことは覚えているが、それ以上のことはさっぱり覚えていない。

☆ひらたよーこさんが開場前の案内をやっていた。そしてハネてからも寒いなかあいさつのため立っていた。こまつ座の井上都さんもわりと最近まで紀伊国屋ホール入口であいさつに立っていた。好感をもてる。
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