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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

晩秋のとしまえんの練馬アニメカーニバル2010

2010年11月26日 | 日記
練馬区がアニメで有名なのは、大泉に東映アニメーションがあり富士見台に虫プロがあったからだ。また、石ノ森章太郎、松本零士、ちばてつや、竹宮恵子など原作者が多く在住したことも大きな要因である。いまでは練馬区はアニメ産業を地場産業と位置付けている。
そのほかアニメ周辺分野にも練馬にゆかりの人がいる。「ひょっこりひょうたん島」(1963年)のテーマソングで一躍有名になった、アニソンシンガーの前川陽子もその一人だ。。
前川は21世紀に歌手に復帰し、としまえんで開催された練馬アニメカーニバル2010で、30分のステージを務めた。

ステージにいる人は司会者。残念ながら本番は撮影禁止だった。
前川が練馬出身ということは聞いていたが、練馬中学出身だとまでは知らなかった(注 校名から練馬区練馬に所在する中学だと思われがちだが、ずっと北の練馬区高松にある)
九州から練馬に引っ越し、母の勧めで大泉の東映児童演技研修所に通い始めて半年たったころ、歌唱指導の先生にすすめられてオーディションを受けNHKの「ひょうたん島」の主題歌を歌うことになった。まだ中学1年のときだった。2曲目のレコーディングは「魔法使いサリー」の「魔法のマンボ(作曲小林亜星 66年)、中3のときだった。以降 「キューティーハニー」「夜霧のハニー(作曲渡辺岳夫 73年)、「魔女っ子メグちゃん(作曲渡辺岳夫 74年)、 「あの子はあさりちゃん(作曲小林亜星 82年)などがヒットした。
この日は30分で「魔女っ子メグちゃん」「あの子はあさりちゃん」「ひょっこりひょうたん島」など8曲もの曲を披露した。なかでも今年4月に亡くなった井上ひさしの「ひとりじゃない」は、大人向けのバラードのような曲で聞きごたえがあった。
 「ひとりじゃない 心の声 耳傾ける
  ひとりじゃない 自分の回りを見回してみるなら
  真昼の木陰 真冬のストーブ・・・」
前川自身も「言葉がきれいな井上先生の詩」と言っていた。何の不思議もないかもしれないが、こまつ座の舞台で聞いた宇野誠一郎の音楽の何曲かを思い出した。なおこの歌は、ポストリア・シリーズで村の子どもたち(博士、テケ、チャッピ、ダンプ、マリーなど)が歌っていた曲だそうだ。
また「夜霧のハニー」を作曲した渡辺岳夫(1933-89)は練馬区桜台で育ち武蔵大学経済学部を卒業、アニメでは「巨人の星」「アタックNo.1」「天才バカボン」「アルプスの少女ハイジ」「魔女っ子メグちゃん」「フランダースの犬」「キャンディ・キャンディ」「あらいぐまラスカル」「機動戦士ガンダム」などを作曲した。その他、「まぼろし探偵」(1959)、「三太物語」(61)、「緋牡丹博徒」(68)、「子連れ狼」(73)、「白い巨塔」(78)など多彩なジャンルの作曲を手掛けた。父は作曲家の渡辺浦人、妹は新国立劇場の初代演劇部門芸術監督・渡辺浩子である。
前川は、60年代の「ひょうたん島」の時代から現役歌手なので、実年齢は60歳に近いはずである。しかし細身の体型で、昔と変わらぬパンチのある歌声だった。歌のもつ迫力という点で、8月に聞いた沢知恵さんのヴォーカルを思い出した。

コンサート終了後、ファンと前川のツーショットの撮影会があった。
シアターで「懐かしのテレビアニメ」が上映されており、「あしたのジョー(70年4月~71年9月)の第1回をみた。
矢吹ジョーが、例の口笛を吹きながら山谷の町に現れ、酔いどれコーチ・丹下段平と出会うストーリーだ。最後のほうで、段平の「お前はオレの明日、あしたのジョー」というセリフも出てきた。
ジョーの声はあおい輝彦、段平は藤岡重慶、ドヤ街の子ども役で白石冬美まで声優として出演していた。主題歌の作詞は寺山修司、歌手は尾藤イサオという豪華メンバーである。
監督は、虫プロで鉄腕アトムビッグXを担当した当時26歳の出崎統(おさむ)だった。会場で「ねりたんアニメワークス2」というインタビュー番組が放映されていた。そのなかで出崎は「ちばてつやの原作マンガは『ハリスの旋風』の流れだったが、高森朝雄(梶原一騎)の原作を読むと、もっとハードだった。それで、自分はハードな感じにつくった」と説明した。
大スクリーンで見たせいもあるが、ジョーが登場する場面、3人のチンピラをたたきのめす場面や、夜の公園での20人もの暴力団員との乱闘場面はちょっと「七人の侍」を思い出させる出来だった。
出崎は、三回パンやハーモニー(細かく彩色した原画の上に、線画のみのセル画を重ねる表現)などのテクニックを多用した。その点について「ジョーに何回も同じことをさせたくなかった。次にジョーが現れるときは違うことをさせたかったので、自然にこうなった」と語っていた。
当時、出崎が「あしたのジョー」を制作していたスタジオは、豊島園の駅から800mほど春日町方向に歩いた3階建のアパートにあった。夏の土曜の夜8時から豊島園の花火をみるのが楽しみだったそうだ。

ねりたんアニメワークス2」は全部で12回のシリーズで、杉井ギサブロー(「タッチ」と練馬)、吉沢やすみ(「ど根性ガエル」と石神井公園)、竹宮惠子へのインタビューもあった。竹宮惠子が70年代の大泉サロンについて語っていた。徳島大学3年で中退し上京した竹宮は、尊敬する石ノ森章太郎の近くに住みたいと考え、桜台に住んでいた。友人の増山法恵の実家の斜め前に2軒だけのアパートがあり、増山の勧めで南大泉に引っ越すことになった。一方大牟田在住の萩尾望都に「いっしょに住むから安心だ」と誘いだした。トキワ荘のようなアパートにというのは増山の企みだった。たしかにいつも漫画のことを語り合う関係となった。しかしその生活は2年で終止符を打った。竹宮は「いっしょにいると絵が似てしまう。自分らしい絵を描くため引き払うことにした」と当時を振り返った。やはりトキワ荘の男性と大泉サロンの女性では違いがあるようだ。

☆この日の会場、としまえんでコスプレ姿の少年少女を大勢見かけた。一見アニメカーニバルの関連イベントのようだが、直接の関係はない。もともととしまえんはコスプレファンの「聖地」のようで、毎月ジャパンコスプレ フェスティバル(JCF)が開催されているとのことである。このグループは撮影OKだったが、別のグループはNGだった。なにかルールがあるようだ。
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