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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

こまつ座の「キネマの天地」

2011年09月19日 | 観劇など
紀伊国屋サザンシアターでこまつ座の「キネマの天地」をみた。「キネマの天地」は1986年松竹50周年記念として山田洋二が監督し製作した映画だ。脚本づくりに参加した井上ひさしは続編として舞台版をつくり、井上自身の演出で12月に日生劇場で上演した。松竹プロデュース公演のときの4人娘は、加賀まり子、光本采雉子(幸子)、夏木マリ、斉藤とも子だった。映画版は小春(田中絹代役 演じたのは有森也実)の青春恋愛映画だったが、舞台版はまったく異なるストーリーだった。なお86年に井上が書いた他の戯曲は「泣き虫なまいき石川啄木」(6月)、「花よりタンゴ」(9月)である。

幕開けは、当然ながら「虹の都 光の港 キネマの天地、花の姿 春の匂い あふるるところ」のあのテーマソングで始まる。
凝った構成のシナリオになっている。
松竹の秋の超特作「諏訪峠」の打ち合わせということで4人の映画スターが呼び出されたが、じつは演劇「豚草物語」(若草物語のパロディ)の再演の読み合わせ兼立ち稽古だった。この作品は監督の妻、松井チエ子が1年前の初演の舞台で急死したいわくつきの作品だった。そして台本の読み合わせが進展するうちにじつはチエ子殺しの真犯人探しゲームであることが4人の女優にわかってくる。日ごろは嫌味や意地悪をする間柄なのに、「容疑者」として疑われた4人に連帯感が芽生える。つまりこれは監督が仕組んだ女優教育劇だった。ところがこれで終わるわけではない。この「芝居」は、刑事役を務めた大部屋男優・尾上竹之助が「諏訪峠」の刑事役として出演するためのオーディション、涙の大部屋役者物語でもあった。
「どれだけ長く、役のつくのを待ちつづけることができるか。これこそ俳優にとってもっとも大切な仕事。」(以下、セリフは井上ひさし全芝居〈その4〉(1994.9新潮社)を引用 p344)。「どんな理由があろうが、こんないい役に飛びつかないようなやつは役者じゃありませんや。」(p356)
竹之助の最後のセリフは「あばよ、舞台よ、さらば埃くさい匂いよ。さようなら、スポットライトにフットライトよ。グッバイ、がらくたの小道具よ。ハムレットよ、オセロよ、リア王よ、ロミオよ・・・(略)。わたしの演じられなかった役よ、みんな元気でな」である(p356)。そして監督に「もう一度」といわれると、倒れていたはずなのに、ひょいと起き上がり、もう一度この長口上を始める。

こういう具合に劇中劇がいくつも仕組まれ、かつ舞台は「豚草物語」の稽古場、監督は映画製作はベテランでも舞台演出は初めてという設定になっている。
4人の女優のそれぞれの個性、イヤミとイジメ、くやしさ、そしてだんだん気持ちがひとつになるところはうまくできている。
たとえば無声映画の撮影中チエ子の意地悪な言葉に泣き出した小春の場合は、こんな具合だった。
「きみは顔師(メーキャップ係)のおばさんに化粧を直してもらいながら、ぞっとするような声で呟いた。「わたし、いつか必ず、松井のおねえさんを殺してやる、誓うわ」
かず子「女優の『あの人、殺してやる』がいちいち全部本当になっていたら、たちまち撮影所の庭には死体の山ができてよ」(p340)
小春「(三人に)ありがとうございました。
  わたしの口走った『殺してやる』というコトバの意味を、正確に説明していただいて。そうなんです。(略)『ちきしょう』『くやしい』『めっ』といったところだったんです。」
4人は互いにかばい合っているうちに
「一度は共犯者としていっしょに疑われた仲、ええ、好きよ。」(p356)と信頼感が生まれ、最後は、たがいにたがいの顔を見合って、「なんかたべてく?」「おなかすかない?」「銀座へ出ましょうか?」と4人が連れだって稽古場を後にする間柄になった。
ただ、大部屋俳優・竹之助の悲嘆が、女優のストーリーともうひとつしっくりかみ合っていなかった。演出上の次回への課題かと思う。

この戯曲の本質は、演劇論や役者論である。
ひとつは、演じられるのはフィクションということである。
「役者のよろこび、それはじつに単純、化けるよろこび。」(p329)
「つまり舞台の上ではホントーのこと必ずしも真ならず、逆にウソをホントーのことに化けさせるのがお芝居なんでしょうな。」(p330)
「お題目をただ正面から堂々と、そして素直に云っただけではだれも感動しないのだよ。。そのお題目をひとの心に刻みつけ、ひとを感動させるには、心中物語というウソッパチを仕掛けなきゃならない。」(p325)

もうひとつは、芝居は、スター一人のものではなくチームワークだということだ。
「そうとも、芝居はひとりじゃできやしない、そして呼吸(いき)が合わなきゃ芝居になりゃしない。(菊江に)アンサンブルってんですか」(p328)。「アンサンブルっておわかりになります? てんでばらばら、勝手のし放題の、反対」(p326)。
これは4人の女優の「無罪を求める共犯グループ」だけでなく、3人の男優の教育劇をつくるチームワークにもあてはまる。

4人の女優、麻実れい(立花かず子)、三田和代(徳川駒子)、秋山菜津子(滝沢菊江)、大和田美帆(田中小春)の個性がはっきりしていて、この芝居のテーマのひとつ「アンサンブル」を奏でていた。とくにベテラン三田和代と麻実れいの存在感が大きい。三田は、「夢の泪」の女性弁護士役でもひょうきんな演技をしていたが、こんなにコメディな役をこなせる女優だとは思わなかった。また麻実より年上に見えたが、じつはもう70歳近い年齢で、まったくびっくりした。きっと数年後に森光子を凌ぐ大女優になるだろう。
大和田美帆は、はつらつとしたアイドル女優を演じ、役得の面もあるが敢闘賞ものだった。
もちろん栗山民也はいつものとおり名演出だった。また「the座」(No70)を読みはじめて気づいたが衣装による4人の個性のコントラストも鮮やかだ。
男優では、木場克己は役をこなしていたが、監督と助監督の2人組はもうひとつだった。「組曲虐殺」の2人の刑事(山崎一と山本龍二)のような芯のある演技ならよかったのだが。

しかしカーテンコールの役者7人の全員合唱「蒲田行進曲」を聞くとほのぼのし、いつまでも観客席から手拍子が続いた。休憩15分を含み2時間半で、ちょうどよい長さで、ちょっといい気分になれた夜だった。

☆井上ひさしは、大の映画好きだった。「the座」(No70)に井上ひさしの「日本映画ベスト100」(文春文庫ビジュアル版「大アンケートによる日本映画ベスト150」1989年の再録)が掲載されている。ベスト10のうち5本が「七人の侍」「天国と地獄」「生きる」など黒澤明、2本が「豚と軍艦」「盗まれた欲情」の今村昌平、あとは山中貞雄、原一男、小津安二郎が1本ずつ。こんなに黒澤が好きだったのかと思ったが、1930年台生まれの年代の人は黒澤が好きな人が多いので年代的なものもあるのだろう。原一男の「ゆきゆきて、神軍」が入っているのはさすがだ。山中貞雄(1909-1938年)は京都生まれの映画監督、「人情紙風船」封切の日に出征し中国戦線で28歳で戦死した。会社は違うが小津安二郎の親友で、小津が京都に出張したときには山中の家によく泊まっていた。そういう話を小津の「僕はトウフ屋だからトウフしか作らない(日本図書センター 2010年)で読んだ。「人情紙風船」は有名だが、わたしはまだ見ていないので、機会をみつけてぜひ見てみたい。
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