自由と孤独
思い込みと自信
謙虚さと自信の無さ
思いやりとおせっかい
頑張ることとやり過ぎる事・・・
一見似ているけども、似て非なるもの
勘違いしてしまうことって多い
方向性は同じなんだけど
どこで止めておくかのさじ加減が難しいもの
自由とは孤独で
孤独とは同時に寂しいことで
では・・・自由は寂しいことなのか
ある意味正解だ
自信があっも思い上がりだったり
視野や世界が狭いだけで、井の中の蛙だったりもする
えっと、言葉遊びしてるんじゃなくって
・・・何が言いたいかというとw
私は恐ろしく自信の無い人間で
ビクビクして生きている
自己評価の低さを逆手にとって
出来るだけ、思い上がった自分にならないように
周囲に嫌われないように気をつけて
謙虚に居ようと努めているつもりなの
実際
自分の実力で仕事を達成してるつもりもないし
そう思い上がってしまった時点でもう、
終わりである位に構えている
「ちょっとそれは自分に厳しすぎるんじゃないの?」と指摘も受けるが
他人を責める前に
自分の犯した過失や、その状況を誘発しがちな軽はずみな行為や
配慮の足りなさをまずは正すべきであると
そんなに自分を責めないでも~~(´∇`A)・゜・。ってくらいに
設定していてちょうどいいと思ってるんだ
自信が無いがゆえに
私を好きだと言う人が居たとしても
その人の想いを信じることが出来ない
気持ちを踏みにじるような
「言うてもそこまでは想ってくれてないのではないか・・・」と
恐くなって
些細なことで疑いをかける
両親の愛情だって
未だに信じては居ないのだ
自分の想いとのズレに違和感を感じると
ひ弱な小型犬みたいな行動パターンを取り出す傾向にある
何を血迷ったのかwって突っ込みたくなる
勝手に責め立てるように噛み付いてしまいがちだ
それで居て噛み付いたことを恐ろしく後悔する
こんな私はきっと、迷惑だし
付き合っていくのはしんどいのだ
何が起こっても変わらない愛情と
あぐらをかくことのないように気をつけるあまり
人を疑う悪循環に陥る
思いが伝わってないことを
見せ付けられ思い知らされるような行動をとられたその人は
どんなに悲しむだろう
気を使いすぎる人と一緒に居ると
逆にこちらも緊張してしまうような・・・
アダになることも多い
相手の立場になって
相手はこう想ったんであろうと
なぜ柔軟な対応を出来ないんだろう