毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

大韓民国の法治

2005-04-21 11:25:00 | 支那、韓国・朝鮮
親日財産還収法、成立は時間の問題

折角戦前日本が「法治」というものを教えてやったのに、時間が経てばそれを忘れて元の木阿弥観阿弥世阿弥、本家帰りで支那人のような「人治」戻って行くんですよね。このことから分かるのは支那も韓国・朝鮮も同じ穴の狢ということです。

もっとも、「法」はその国の文化の発現ですから、我々からみて到底「法治」に見えなくとも、韓国人からすれば十分に「法治」なのかもしれません。それに近代法学上の「法治」は西洋流のもので西洋の文化を基礎にしていますから、毛唐どもの目には我が日本も「法治」とは到底言えないように映っているのかもしれません。しかしそんなことを言い始めれば、英米法や欧州大陸法の系統に属さないすべての法治が法治でないということになりますから、このあたりは程度問題と言うこと違いありません。

しかし、程度問題とは言いながら限度と言う者はあるはずです。およそどの国にでも認められる法理、すなわち人類の手にした知恵というべきものは確かに存在するとわたしはおもいます。たとえば「遡求処罰の禁止」などはその例でしょう。昔は許されていたが現在は許されなくなったことにつき、過去に遡って処罰するのは許されないという点については、ほぼ異論をみないところではないでしょうか。

では、処罰でなく財産没収はどうなんでしょうか。もちろん財産権の確立しているところではそんなことは当然許されません。財産権がいまひとつ確立していないと言われている我が日本国においてもそのようなことは当然許されません。不法行為でない過去の事実に基づき財産権を侵害するなど近代国家にあるまじき法的態度だからです。

もっとも、韓国人にとって戦前に親日的だったこと自体が不法行為というのかも知れません。しかし、不法行為は誰かに損害を与えなければそもそも成立しないのはこれまた近代法の原則です。そしてこのことは多分「人治」でなく「法治」を求める社会に共通する原則ではないかとわたしはおもいます。では、親日的な韓国人の行為によって反日的な韓国人が財産的損害を受けたのか。まあ、韓国人は受けたんだと言うんでしょうな。クレイジーです。

クレイジーな朝鮮人の代表は何と言ってもクレイジーキム。彼は2ちゃんに独立したスレッドが立つほどの有名人です。こう言えば、クレイジーキムの正体はもうお分かりでしょう。答えは北のパンチ豚ではなく正真正銘のクレイジーキムなのでした。

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