毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

高裁決定

2005-03-24 18:36:45 | 社会
ニッポン放送の新株発行差止めの仮処分を認める高裁決定が出ました。仮処分とはまさに仮の処分であって当該行為を本案判決があるまで仮に差し止めて審理を行うということです。新株は一旦発行されると市場で流通するので、それを後に無効とすると株式取引を混乱させます。そこで今回のような本案判決がいずれに転ぶか微妙なケースでは、取りあえず差し止めるという方向に傾くのは止むを得ないことです。しかし、今回は3月末日に株主名簿の閉鎖が行われること、ライブドアが議決権ベースで過半数を獲得した(らしい)こと、6月の株主総会で取締役のほとんどが改選されることなどから、今回の仮処分が事実上本案判決と同様の効果をもたらすこととなります。事実、ニッポン放送は今回の新株予約権発行を中止しました。
さて、ニッポン放送はわたしの予想に反し、いわゆる焦土作戦~フジテレビやポニーキャニオン株の売却~に未だ着手していない様子です。フジ・サイドは一体何を考えているのやら。何がしかの考えがあってのことでしょうけど、少々心配になってきました。

今回の高裁決定の骨子を読んでの感想は西村眞悟議員(弁護士)の見解と大きく重なります。すなわち裁判所の職責放棄ではないかということです。西村眞悟議員はこう書きます。

『この度の裁判所の判断は、資本主義を支える文化・感覚を無視して形式的に商法条文を適用したものである。文化・感覚を無視した条文解釈は、社会的妥当性を獲得し得ない。
 現実社会の紛争を裁定して常識(コモンセンス)を維持することを任務とする裁判官としての資質を疑う。』

わたしも同感です。法律バカ条文バカの地裁判事ならまだしも高裁判事がこれではいけません。前述した株主名簿閉鎖との関係で最高裁に特別抗告する時間的余裕がないのが残念です。
それにしても地裁、高裁判事の条文バカぶりには呆れます。折角条文バカにも分かるように、【企業価値の維持】という論点を提出しているのに。【企業価値の維持】なのか【取締役の支配権維持】という対立で、前者を【裁判所が判断するのに適さない】と言えば、そりゃ勝負になりません。もっとも、それを論点と認めてしまうと厄介なので素通りしたともいえますが。どちらにせよ職責放棄には変わりありません。フジサイドも裁判での争い方が下手とのそしりは免れないでしょう。

今回の買収劇に関して今日(3月24日)付けの《産経新聞の正論欄》で慶応大学の小林節教授が憲法論からの視点を提供していました。いわゆる【傾向企業】に対する敵対的買収の是非です。自由で民主的な社会にあっては、マスメディアは多様な視点を国民に提供するべきで、それが民主政の過程を維持する重要な要件となります。そして、フジサンケイグループは《産経新聞の正論》路線に象徴されるように、日本の保守派を代表する言論を脈々と受け継いできた典型的【傾向企業】ということになります。その対極の【傾向企業】は《アサヒ》ということになるでしょう。そして、その言論を止めさせる(娯楽路線にする)というようなことを軽々しく口にする人間に、民主政の過程の維持に重要な役割を果たす【傾向企業】を《買収する資格》があるのか、それは資本主義的な市場の原理の限界を為すのではないかという指摘です。2ちゃん風に表現すれば、【民主政の過程を維持する利益】>【資本主義市場を維持する利益】というわけです。わたしには目から鱗の指摘でした。確かに買収の対象が《アサヒ》だった場合早くからそういう論点をサヨクは提出していたでしょう。保守派はそういう争い方が下手なんだなぁとの感を深くしました。
眞悟議員もそうですが、要するに保守派は常識にたより過ぎるということなんでしょう。常識を重んじる保守派であっても、現実の世の中は非常識がまかり通っているということを、保守派も直視すべきなんでしょう。

もっとも、この騒動の裏を読む人もいます。週間アカシックレコードがそれです。テレビ局がビジネスモデルを変えてくれなければ、家電メーカーはビジネスチャンスを広げることは出来ませんからね。デフレで収益の悪化に四苦八苦している家電業界が裏から糸を引いているというのはあり得そうでなかなか面白い視点だと思いました。確かに、そうであれば今回の騒動の一連の経過が上手く説明できますから。ソフバン登場もすでに予測していましたから大したもんです。一読あれ。

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