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日本男児もしてみむとてするなり

基本にけぇるべ

2005-04-04 15:11:20 | 人権・憲法・法律
【自由】と【平等】は本質的に相反する部分があります。個人の能力差が存在する以上自由にさせておけば不平等な状況が発生し、不平等を是正しようとすれば自由を抑制する必要があるからです。しかし社会権の登場までは、両者は相反するとは考えられていませんでした。その最大の理由は【平等】を形式的平等=機会の平等と考えていたからです。自由競争のスタートラインに一応立つことは出来るのだから平等なのだと言ったわけです。

しかし、社会権の登場以来、【平等】は形式的平等=機会の平等だけではなく、多かれ少なかれ実質的平等=結果の平等をも含むべきだという考え方が普及しました。それを極端なかたちで実行しようとしたのが共産主義・社会主義革命です。もちろん結果は(支那や北朝鮮が残ってはいるが)。惨憺たるものに終わりました。『権力は腐敗する絶対権力は絶対腐敗する』ということを大規模に莫大な犠牲を払いつつ証明したわけです。

現代の先進自由民主主義国では、それぞれの国・民族の歴史に基づき、「【自由】と【平等】との間のどの辺りでバランスをとるか」につき知恵を絞っています。共産主義・社会主義革命の脅威をモロに受けた欧州では憲法に社会権を明記し、実質的平等を重視する方向へ進んだのに対して、米国は社会権をついに憲法化することはなく、自由や形式的平等を重視する方向を維持しています。

もっとも、米国でも実質的平等が省みられていないわけではありません。米国でも実質的平等に重きをおく民主党が政権をとった場合には、社会権的な政策が実行に移されます(ニュー・ディールに始まる)。社会権を持たない憲法下で社会権的政策を実行することを認めるために編み出されたのがかの有名な二重の基準論(double standard)です。

共産主義・社会主義革命の脅威を肌で感じることもなく、広大な土地と資源のおかげで(フロンティア)、自由競争による敗者の極端な悲惨ということも少なかった米国では、伝統的に自由主義に重きが置かれました。それに風穴を開けたのが世界恐慌でした。米国中に失業者があふれ中には餓死するものも出る有様で、ニュー・ディール政策はそういう中で実行されたものです。しかし自由主義に重きを置く米国憲法の下で社会権的施策を実行するのは憲法違反で無効だとの判決が相次ぎました。

結果、米国では民主党政府と共和党系だった連邦最高裁との間で大論争が行われることとなりました。そのなかで、政府が新任の最高裁判事に民主党系の人物を送り込み、ついに合憲判決を出させることに成功します。そこで採用されたのが二重の基準論です。社会・経済が複雑化した結果、裁判所はがそれを審査するのは不適当なので、政府・議会の判断を優先し、明白に憲法に違反する政策でない限り違憲とはしないとしたのです。

そして、戦後、アメリカはマッカーシー旋風に見舞われました。共産主義・社会主義者が米国政府の中に多数入り込んで工作していると(米国保守財界をバックにした)マッカーシー上院議員が言い出したことがその切っ掛けでした。これを機に米国では共産主義・社会主義に少しでも賛同するかのごとき言論をしただけで、公職から追放されるということが起こりました。
※余談ですが、S・ルーズベルト政権の時代から多数のソ連工作員が米国政府の中枢に入り込んでおり、かれらが日米開戦に導いたという説が有力です。また、公職追放などは日本における治安維持法の状況と類似します。

しかし、米国はそういった中で、裁判所が「それはおかしい」という判決を出し、世論を沈静化させる切っ掛けになりました。社会権立法については政府・議会の政策を尊重し違憲判決は差し控えるが、言論の自由に関しては、自由で民主的な社会の基盤を守るという裁判所の職責を全うするため、積極的に違憲判決を出すとしたわけです。これにより、米国の二重の基準は一応の完成をみることとなりました。すなわち、言論の自由を中核とする精神的自由権については厳格に審査するが、経済的自由権に関しては政府・議会の判断を優先するということです。
※余談ですが、治安維持法下で日本の裁判所もずいぶん無罪判決を出しています。しかし、裁判所の権威が英米ほど高くないことや、英米に比べ国力に欠け余裕がなかったこと、自由の伝統が弱いことなどから、ズルズル自由が制限されることとなりました。残念です。

このように、米国においては表現の自由を制限する(可能性のある)立法は厳格な審査を受けることとなります。表現の自由が自由で民主的な社会の基盤であり、それを守ることが裁判所の使命だと考えられているからです。ですから、表現の自由を直接規制する立法のみならず、表現の自由を間接的に規制する立法や表現行為に対して萎縮効果を招く立法なども厳格に審査されることになります。そしてその厳格な審査基準には種々ありますが、そのひとつが明確性の基準です。その内容は、規制対象が不明確だったり、過度に広範囲な立法は、言論に対する萎縮効果を招くおそれが強いのでそれだけで違憲無効だとする理論です。(続く)

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