毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

参議院不要論考

2005-09-23 20:45:17 | 人権・憲法・法律
参院問題・きちんとした総括が必要だ(9/22讀賣社説)

アサヒ以外の大新聞がこのように程度の低い社説を掲載したことに驚きました。これを書いた編集委員は政治部に長く居過ぎて政局バカになり果てた御仁のようです。いい肴が手に入ったので一席ぶちたいとおもいます。

この社説はこんなことを書いています。

『法案に関する衆院優位を定める憲法の理念上、衆院で可決された重要法案を参院が否決するのは妥当なのか。「良識の府」とされ、党派的政治から距離を置くのが理想とされる参院が、政局激震の直接の原因となっていいのか……。』

『今回の場合、2か月近い政治空白を作り、重要課題への取り組みを先送りするという事態を招いた。政治の安定性を損ない、政策遂行のプロセスに混乱を生じた点を見過ごすことはできない。』

法律案の議決につき衆議院の優越を認める【憲法の理念】からすれば、内閣の速やかな政策遂行のため、衆議院で可決された内閣の重要法案について参議院はフリーハンドで賛成しろということのようです。それが【憲法の理念】であり【理想とされる参院】の姿なんだそうです。政局のみから【憲法の理念】を考察するとこういう結論になるのでしょうか。

現実の政治は憲法、特に統治制度を読み解く場合に重要であることは論を俟ちません。現実と遊離した理念を語っても条文が死文化するするのみならず、憲法そのものが骨抜きになり、ひいては国民の権利・自由にとって有害となりうるからです。しかし、現実の政治の不都合性を強調し理念をどうこう言うのは論理が逆です。自分の悪い頭で認識できた現実のみを基準に制度をいじくりまわそうとするのは合理主義者の悪い癖です。

現代の議院内閣制では議会と内閣との協働が特に重要視されます。それは、福祉国家を目指すことが大きな理由となっています。つまり、社会的弱者の権利救済・実質的平等の実現のためには、行政府と立法府はいたずらに対立するべきではなく、むしろ協働すべきであるということです。然るに、現政権の目指す方向は何か。小さな政府、自由競争社会ではないのでしょうか。その場合、国民の権利・自由を守るため、権力分立が重視されなければならないはずであり、議会と内閣との関係は【協働】よりも【抑制と均衡】を中心に考えねばならないはずです。自由国家を目指す場合、議会と内閣との協働は必ずしも重要でないばかりか、国民の自由の観点からは有害なはずです。

この憲法の制定当初から、民主的二院制には疑義が呈されてきました。『参議院は、衆議院と一致するときは不要であり、反するときは有害である』と言われていたようです。確かに、『参議院がどうしても必要だ』という根拠は昔はあまりなかったようにおもいます。わたしもそう考えていました。しかし、この度の郵政政局により考えを改めました。理由は小選挙区制にあります。党内民主主義の未熟な日本の政治風土で政党本位の選挙を行う場合に付きまとう党執行部の暴走を抑止する手段として参議院の有用性は再認識されるべきです。

参議院を維持するのには多額の費用がかかります。財政危機の日本ではその規模の縮小は議論されるべきでしょう。しかし、廃止するのは以上二つの理由により反対です。

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