鉄道写真1973~1982

青春時代に熱中して撮影した写真の数々を、じっくりと発表してまいります。

   

福井鉄道 1976年

2006-06-08 20:51:15 | 私鉄・第3セクター


 国鉄北陸本線の福井駅で降りると、福井鉄道のカラフルな電車が見られた。
普通の電車なのに、路面を堂々と走っているのが珍しかった。
停留所では折り畳みのステップが、自動的に降りてくるのが新鮮だった。

           
   
            ビルに登ってちょっと俯瞰してみる。



 北陸本線の武生駅まで行くのだが、駅名は「武生新」だったと思う。
なんで「新」が下につくのだろうと、不思議な気がした。
当時は武生から「南越線」という電車もあったが、こちらの駅は「社武生」だったかな。



 こんな凸型電機もいたが、貨物もあったのかもしれない。

 

 撮影 1976(昭和51)年 福井駅周辺の地図
 

◆4枚目の電気機関車は京福電鉄(えちぜん鉄道)のものでした。



武生新駅



武生新駅を発車する電車



福武線には急行電車も走っていた。ちょっとイマ風ですね。冷房装備はあったのでしょうか。



朽果てそうな電車が留置してあった。



こちらは南越線の社武生駅。なんかイイ感じ。



閑散としたホームが実にいいムードだ。



南越線のデキ。ここは貨物列車が走っていた。



日野川鉄橋を行く南越線の貨物列車。これが本日の目的だった。でもどうして知っていたのだろう。
今となっては謎だが、当時の趣味誌にダイヤが載っていたのかもしれない。

場所はおそらくこのあたりです。北陸本線が反対側に見えた記憶があります。


同じく普通電車。


            
              社武生を発車する南越線の電車。


モノクロ写真もカラーと同時期の撮影
★9月1日追加



わたらせ渓谷鐡道

2006-04-18 22:07:33 | 私鉄・第3セクター



 足尾から日光へ抜ける道をドライブしようと思っていたら、わたらせ渓谷鐡道のDCが走っていた。
昔は足尾線といってC12の重連が有名だった。
そのハイライト区間の草木~神戸も今は長いトンネルに変わっている。


撮影 1990年頃 わたらせ渓谷鐡道

茨城交通

2006-04-16 22:40:11 | 私鉄・第3セクター



 大雨が続いてやっと晴れ間が見えた日に、茨城交通を訪れた。
ここは当時でも珍しい混合列車が走っていたので、お気に入りの路線のひとつだった。
混合列車といっても、小さい凸型DL+貨車数量+このキハだったが、貨物が付く事はめったになかった。

 川が凄い増水で、今にも鉄橋に届きそうだが、それよりも驚いたのはドアを開けたまま走って来たことだった。
どうせ客もあまりいないし、湿気た車内を乾燥させようとしたのだろうか。
のんびりした面白い鉄道だった。


 撮影 1978(昭和53)年 茨城交通 中根~那珂湊の地図

初冬の明知鉄道

2006-03-30 22:16:36 | 私鉄・第3セクター


 森の木々に纏った白い雪と、白壁の蔵が実にいい和風の雰囲気を出している。
国鉄時代の明知線は、中央西線のD51撮影のついでに1度行っただけだったが、
かなりの勾配があり、蒸気機関車C12230があえぎながら登って行った事を覚えている。
 このカットのような下りこみでもDCだと絵になるのは、便利だ。
終点の明智は「大正村」と銘打って古い建物を保存し、観光化しようとしていた。
今はどうなっているだろうか。

撮影 1991年 明知鉄道 飯沼

桜の南阿蘇鉄道&高森線

2006-03-29 22:21:53 | 私鉄・第3セクター


 1991年の九州懐古ツアーの時立寄った南阿蘇鉄道は、桜がキレイだった。
蒸気機関車C12の高森線時代は1973年8月と1974年1月の二度訪れたが、
二度目の時、立野の駅で出会った老人の事を思い出す。
その方は齢の頃65歳くらいか。上品な服装でキヤノン7Sを小ぶりなマスミの高級皮バッグに入れていた。
そしてその標準レンズは、かのF0・95だった。

私が「凄いですね、そのレンズ」と言うと、
「これの開放のボケがいいんや」
「君は、高校生か。随分カメラに詳しいなあ」
と、上機嫌で色々写真の事を教えてくれた。関西の方のようだった。

私も齢を取ったらレンジファインダー機の似合う、この人のようになりたいな、とその時は思ったものだった。




 その時撮った写真がこれである。アーチ橋を下から撮った写真は前に紹介した

         

 もう一度貼っておきます。
この時わざわざこのポイントまで案内してくれた親切な旅館「璧水楼」の女将さんを思い出し、
ぜひ宿泊してお礼を言いたかった。
ところが、行って見ると旅館は跡形もなかった。
白川にダムをつくるらしく、立ち退いたようだった。


撮影 上1991年 中1974(昭和49)年 下1973年 立野~長陽

光る海 のと鉄道

2006-03-28 22:01:06 | 私鉄・第3セクター


 これも七尾線に蒸気機関車きらめき号が走った時に、ついでに撮ったもの。
撮影場所を調べようと、駅すぱあとを立ち上げると何もない。どうやら廃線のようだ(びっくり)
だいいち穴水~輪島間の七尾線がないではないか。あの勾配区間が。
しかも、のと鉄道のHPを見ると和倉温泉(これは昔の和倉か)~穴水が、エリアになっている。
うーむ。知らぬ間に時代は変っているのだなあ。

 これは穴水~蛸島間の海沿いのところだが、この辺り、国鉄時代は北陸周遊券のエリア外で、
別料金をプラスしなければならなかった。なかなか行きにくい場所だった。
蒸気機関車時代はC11が「ふるさと列車おくのと号」を牽いて休日に走っていた。
最終日に何とか撮影に行けた事を思い出す。


撮影 1990年 穴水~蛸島のどこか。

雪の神岡鉄道

2006-03-25 15:16:10 | 私鉄・第3セクター



 神岡鉄道を訪れたのは、たしか1990年の冬だった。七尾線に「きらめき号」というC57+C56の豪華列車が走った時だ。
その帰りにちょっと寄ってみたのだが、景色の良いのにびっくりした。
雪と森と川のつくり出す、墨絵のような風景の中をゆっくりと小さなDCが走って行く。
この1枚ですっかり満足してしまった。
たしか貨物列車も撮ったような気もするのだが。

 調べてみると貨物列車は今はなく、鉄道自体も存続の危機のようだ。
2002年に小柴博士がノーベル賞を受賞した時、スーパーカミオカンデが話題になったが、私はこの風景を思い出していた。


撮影1990(平成3)年頃 神岡鉄道 HP  漆山付近の地図

花のくま川鉄道

2006-03-24 21:46:18 | 私鉄・第3セクター



  たまにはそう多くない、最近の写真を貼ってみます。南九州のくま川鉄道のDC(レールバス?)。
九州に滞在する用が出来た時、昔歩き回った懐かしい場所を訪問する途中だった。
ここは国鉄時代は湯前線と言って、あそボーイで復活した58654が走っていたところだ。
私は人吉までは何度か来たが8620を撮ることはなかった。

 第3セクターになって本数も増え、気軽に乗ったり撮ったりできるようになったのは、いい事だと思った。
美しいレンゲ畑があったので、春の雰囲気をねらってみた。


撮影1993年頃の3月 くま川鉄道 公式HP