鉄道写真1973~1982

青春時代に熱中して撮影した写真の数々を、じっくりと発表してまいります。

   

機関区の風景

2006-07-29 00:18:21 | 現役蒸気機関車
        

 鹿児島機関区の風景だが、炭鉱のエレベーターを思わせるような巨大な給炭施設に目を瞠った。
さすがは大幹線にある機関区だ。当時見た中では最大だった。
 この頃は8620、C50、C12、C55、C57が見られたが、
8620、C50は入換専用機で、テンダーがC56タイプのものに変えられていた。

 この日は市内の磯庭園から桜島をバックにC57を撮ろうと思ったのだが、
ちょっと目を離した隙に、音もなく通過してしまいガッカリした記憶がある。
テスト用に撮ったキハ急行が抜群の出来だっただけに、今でもありありと思い出せる。

 当時「走れK100」という道路を走る蒸気機関車のドラマが始まり、
スタートで鹿児島が出てきたのが懐かしかった。



 夕刻に鹿児島駅を発車する肥薩線直通列車。



 砲金製の「吉」の区名板も凛々しいC5552。
この機関区のある吉松が、先日の大雨で大被害を受けた湧水町になったとは、ニュースを見るまで知りませんでした。
心よりお見舞い申し上げます。


 撮影 1973(昭和48)年  鹿児島

日中線  昼間は走らぬ

2006-07-18 22:51:16 | 素顔のローカル線




 会津加納駅。日中線はC11時代から何度も訪れているが、たまたまこの駅の記録が出てきたので仮にまとめてみた。
この線は磐越西線の喜多方駅から熱塩までの盲腸線で、朝夕のみの3往復の客車列車があった。
昼間は走らぬ日中線と揶揄された、超ローカル線だった。





この日は新人車掌さんの研修日のようだった。



会津加納駅の駅舎。意外に立派なものだ。

          
           事務室の様子。もう夕方まで列車はない。



国鉄の赤字はいよいよ厳しくなってきた。妙に広い空間にわずかにひとつの電球が灯っていた。
壁には増収!目標額○○円などとポスターや標語が貼られていた。
「国鉄が好きだけど、どうなるかなあ」
「いい写真撮れますか」
お茶を頂きながら、そんな話をしばらくしていたと思う。

            
             一番の撮影地はこの鉄橋ではなかったか。


撮影 1980(昭和55)年11月

 熱塩編、その他はネガ発見次第追加予定。

さいはての9600 抜海

2006-07-12 21:30:09 | 現役蒸気機関車


 宗谷本線抜海~南稚内を行く9600貨物列車。
C55、C57が落ちた後もしぶとく1975年の春まで生き残っていた。
いつものごとく利尻富士は拝めなかったが、9600に的を絞った撮影には満足できた。



 丁度中間地点あたり。「利尻富士」の標識棒が立っていた。
上り列車はもう絶気になっており、薄い煙が見られる。
最も海に近づくあたりで、道路の左は海だ。



 3枚の調子を変えて、見映えの実験をしてみる。
熊笹をかきわけ、この辺の丘を登ったファンも多かった。
今でも人気の撮影地かもしれない。


 撮影 1975(昭和50)年 4月

宗谷本線 抜海~南稚内 地図