鉄道写真1973~1982

青春時代に熱中して撮影した写真の数々を、じっくりと発表してまいります。

   

佐賀  唐津線の9600

2006-10-21 01:12:45 | 現役蒸気機関車


 佐賀県の唐津線を訪れたのは1973(昭和48)年の7月だった。
この頃は西唐津機関区に10両の9600が配置されていて、唐津線、佐賀線の貨客列車に最後の活躍を見せていた。
 門デフのカマが多く、廃止も間近いというのに、よく磨かれた美しい姿が印象的だった。
 見せ場は何といっても多久~厳木間の峠越えだった。
早朝から撮影するため、前夜の最終列車で多久に入った。同好者たちが、ぞろぞろと気動車から降りる。
駅長さんが親切な方で、なかなか広いホームの待合室で宿泊することができた。

 早朝目覚めると、撮影地の峠目指して歩き出す。
ここで驚いたのが商店街を抜けるまで、いたるところにツバメの巣があったことだ。
佐賀県で思い出すのは、9600と共に、この多久のツバメだ。
地図だとこの辺でしょうか。地図を見て笹原峠越えだったのをおもい出しました。
厳木は(きゅうらぎ)と読みます。当時のSLファンにはなじみの駅名ですが、なかなかの難読駅ですね。

          

 真夏の暑い日だった。麦藁帽子にジリジリと夏の太陽が照りつけた。
ポリタンクの水もすぐになくなってしまった。
首に巻いたタオルで汗を拭きながら、汽車を待つ。
このアングルで何時間待っただろう。
4~5歳年上の大学生のお兄さんと、ずっと汽車談義をしていた記憶がある。
その後北海道でばったり会って「あっあの時笹原峠で・・」
という事もありました。

撮影 1973(昭和48)年 唐津線 多久~厳木 (佐賀県)




 あまり見かけない貨車が大きく写っていたので貼っておきます。一番上の写真の続きです。
ツムという記号の貨車で、「通風車」の略のようです。
野菜などの運搬用で、風通しを良くする為にこういう形になっているそうです。
側面だけでなく、連結面もこうなってたんですね。
2両目も何か妙にツルっとした側面の怪しい貨車のようですが、チョークかペンキで西唐津と書いてありますね。
 このような様々な貨車が連結された貨物列車も、遠い昔話になろうとは思いませんでした、

D51231 夕張線

2006-10-11 22:20:29 | 現役蒸気機関車


 先日上野公園にD51231が保存されているのを知りました。というか思い出したと言うべきでしょうか。
何度も見ていて、展示当時は知ってはいたのでしょうが、その後すっかり忘れていたのです。
夕張線で何度も撮ったカマなので、思い出すと懐かしくなってきました。

 

 ここは清水沢~鹿ノ谷で仲間内ではけっこう知られたポイントでした。
もう撮影地も少なくなってくると、より細かく開拓が進むのはこの趣味の常。
あそこは吐く(煙ですが)などの情報が入ると、何はともあれ行ってみたものです。
清水沢のミニSカーブとか、丸標識ポイントとか言われてたのではないでしょうか。
夕張も今は赤字財政などの悪い方面で、すっかり有名になってしまいましたが、
我々には本当に大切な青春の思い出の地です。




撮影 1975(昭和50)年 夕張線 清水沢~鹿ノ谷
 

追分風景 室蘭本線

2006-10-01 21:42:43 | 現役蒸気機関車


 1975(昭和50)年早春の追分駅。夕方で仕事帰りの人たちが駅へ向かい、C57の旅客列車が発車して行く。
なんとも言えぬ懐かしい風景。
こんなところに、本当に自分がいたんだろうか?と訝しくさえ感じる。
今見ると昭和だなあと思う。平成、2006年の手前というより、1950年代の続きという印象。

 

 蒸気機関車廃止直後に焼けてしまった追分機関区。D51241が、D51603が、焼けてしまった。

 

 入換をしていた79616。倶知安の二つ目9600として有名だが、こちらに来て通常のライトに変更。
左のカットがメカニカルでカッコイイですね。縦横に配置されたパイプ類と煙突後ろの給水温め器。
化粧煙突もいい感じ。右のカットの煙突あたりだけを見ると、ちょっとC51ですね。


撮影 1975(昭和50)年