鉄道写真1973~1982

青春時代に熱中して撮影した写真の数々を、じっくりと発表してまいります。

   

常紋のDD51と後補機DE10

2006-02-26 22:11:51 | DL・DC


 常紋は今でもDD51重連やプッシュプルで人気のようだが、完全無煙化後暫くはD51+9600時代のままのスタイルで運行されていた。
この時は上越駅付近が目当てだったが、懐かしい金華駅でも降りてみた。
常紋方面にいくらか歩いた地点で貨物列車を迎え撃った。



後補機のDE101682。傾いた構図は力感を醸し出す。列車の先頭にはDD51。

撮影 1977(昭和53)年

石北本線 金華~常紋

懐かしい紀勢本線のDF50Ⅱ

2006-02-21 21:50:33 | DL・DC


 3日前にアップした紀勢本線新鹿駅を見ていたら、久しぶりに行ってみたくなった。今もDD51は走ってるらしい。
DD51に変っても、しばらくは旧型客車が残っていたので乗りには行った。
それはともかく写真のような、間に荷物車が挟まるような編成の先頭車は、一般客があまり来ず特等席だったなあ。
ゴ~ポンポンポンポン、あのDF50の轟音を堪能できた。
青い客車で、やけに3が並んでいた形式があったのを思い出す。オハフ33333だったかな。


梅ヶ谷~紀伊長島の荷坂峠を降りてくる客車列車。125レだろうか。東北本線の客レと同じ列車番号だったのだ。


なんか、こんな何気ないシーンもいいなあ。二木島駅あたりだろうか。
鈍行気動車のミックスぶりがいい。キハ17、キハ30、一番奥はキハ26かな。昔の塗りの気動車。

撮影  1976(昭和51)~1977年
    上 大内山?不明
    中 紀伊長島
    下 二木島?賀田?あたり。

懐かしい紀勢本線のDF50

2006-02-18 23:30:05 | DL・DC


 紀勢本線は1976(昭和51)年から7年間、毎年何度か訪れた。思い出多い路線だ。
DF50は、この線ではとても好ましく感じられた。和歌山側が電化された後は新宮~亀山に限られたが、
その頃の方が密度の濃い撮影が出来たように思う。
 もっとも蒸気機関車時代のようなこだわりはなく、リラックスしてローカルな雰囲気を楽しんでいた。

 最初に訪れたきっかけは、やはりいつもの如く神保町の例の書店の地図漁りから。
ここで、狩勝峠・大志田・陸中大橋・紀伊長島・新疋田あたりの猛烈カーブ区間を次々に発見。順番に攻めて行った。
もっと詳しく書くと、地図売場に5万分の1地図置き場があり、大きな引き出しに地区ごとに収容されていた。
もちろん山や海だけの地図もあるが、それらははじかれ、上の方は線路に沿って繋がるようになる。
時々これから行こうとする線の引き出しを開けると、既に繋がっていることもあった(笑)
神保町周辺はC、M、S、Nと大きな大学が色々あるので、同好の者もまた多かったのだ。

 こうして厳選した区間の地図を購入、携帯しやすいように折り込むのも、撮影行の前の儀式のひとつだった。
書店で切らしている時は、駿河台下の地図センターというところで買った。
そして現地入りすると、列車の中から地図と景色を眺めながら、
「うむ、このカーブをあの斜面から・・・」
「午前中は逆光だな」
「うわ、この築堤電線がジャマ。使えねー」
なんて、ロケハンに励んだ。




 ある夏の夕暮れの新鹿駅。新鹿・・・何度この駅で降りたことだろう。
海で泳いだこともあった。みかんの生る山からの俯瞰。
紀勢本線で、真っ先に思い出すのはこの駅だ。
DF50の前が開いてるのは、暑いから風を入れる為。のどかな時代だったなあ。

撮影 1979(昭和54)年頃
   上 大内山
   下 新鹿

雪晴れの磐越西線徳沢

2006-02-12 22:36:07 | DL・DC


 1978(昭和53)年の冬だったか、いつものパターンで磐越西線非電化コースの旅を楽しんでいた。
野沢あたりまで来ると珍しく晴れてきたので、徳沢で降りて走りを撮ってみた。
墨絵のような風景の中、紅一点のDD51が牽く客車列車は実に良かった。
磐越西線のDD51+客車には、本当に尽きぬ思い出がある。

        

 キハ58の急行も実に良い感じ。まだ屋根の冷房もなかった時代だ。
そういえば、徳沢から豊実に行くには道路の橋がなく、渡し舟を利用したのを思い出した。
まだ、のどかな時代だった。

1978年1月撮影  磐越西線 徳沢~豊実(クリックすると地図が出ます)

781系 特急ライラック

2006-02-07 23:39:34 | EL・EC


 雪の中を上部の2灯ライトを光らせ爆走する781系は、中々魅せてくれる。
後ろのトンネルは神威古丹で、川沿いの旧線はこれで廃線になった。
伊納の駅は待合室と事務所が一緒で、ダルマストーブが燃えていた。
撮影までのひと時を地元のおばさんや駅員さんと談笑した事を思い出す。

1981年1月頃

大井川のC11と子供

2006-02-06 23:43:48 | 復活蒸気機関車


大井川にC11が走り始めて間もない頃の小雨の日、機関区に出庫を見に行くと近所の子供が珍しそうに眺めていた。
おそらく初めて動く蒸気機関車を見たのだろう。段々近くまで寄って行った。
ところが、動き始めたC11がドレーンを吐くとびっくり。
弟の身を守ろうと、傘を差し出した。
微笑ましいシーン。

1977年か

復活蒸気機関車のこと

2006-02-05 22:58:52 | 復活蒸気機関車
 1975年12月以降、煙に飢えていた私は復活の話があれば、いつも駆けつけていた。
1976年9月4日の京阪100年号の悲劇は、そのうち書いてみたい。
大井川はC12と逆重連で走った正月が思い出深い。
C571やまぐち号は、試運転初日から豪雨の中を迎え撃った。
が、1982年以降あまり関心がなくなった。
鉄道の旅が貧弱になって行ったからだろう。
それでも、たまに間歇的だが煙を見たくなって会津あたりを訪れている。
そのうちアップしてみたい。



山都の鉄橋を行くD51498 4~5年前だったろうか。


1991年のC62  

2006-02-03 23:46:07 | 復活蒸気機関車


 前回1991年に北海道を訪れた事を書いた。当然C62も目的のひとつだった。
久しぶりに鉄道にカメラを向けたが、どうやら昔取った何とやらで、普通に撮れたようだ。
軽そうな客車なのに盛大に煙を吐くし、空転の響きも往時を回想するに充分な魅力があった。
 つまらない看板が前に付かないのも、こうして見るといいね。
何度か乗車も楽しんだが、ビュフェでコーヒーを飲みながらドラフトを聴けるのは、中々オツなものだった。
が、乗客の少なさが気になった。やはり数年を経ずしてこのイベントもなくなってしまった。



 これは1988年のGWに走り始めた時の銀山ではないだろうか。



 同じ場所のC623。1973年の8月撮影。電線が近代化されているのが笑える。
ハエタタキも死語になってしまったか。
 

北炭真谷地の9600

2006-02-02 00:36:03 | 現役蒸気機関車


 運炭路線の夕張線沿線には、専用線や会社線も何本かあり、沼ノ沢から伸びていたのがこの北炭真谷地専用線だ。
機関車は9600だが、自社のナンバーが付いていた。
最後の頃は線路の付け替えで面白みがなくなったので、何本か撮って撤退した。
1991年に15年ぶりに尋ねてみたが、見事な廃墟になっていた。瓦礫の中に一軒小さな工場があり、炭焼きかなんかをしていた記憶がある。
大夕張の方へ行くと、3軸客車などが朽ちかけていたが、こちらは今は修復されているようだ。