紀勢本線は1976(昭和51)年から7年間、毎年何度か訪れた。思い出多い路線だ。
DF50は、この線ではとても好ましく感じられた。和歌山側が電化された後は新宮~亀山に限られたが、
その頃の方が密度の濃い撮影が出来たように思う。
もっとも蒸気機関車時代のようなこだわりはなく、リラックスしてローカルな雰囲気を楽しんでいた。
最初に訪れたきっかけは、やはりいつもの如く神保町の例の書店の地図漁りから。
ここで、狩勝峠・大志田・陸中大橋・紀伊長島・新疋田あたりの猛烈カーブ区間を次々に発見。順番に攻めて行った。
もっと詳しく書くと、地図売場に5万分の1地図置き場があり、大きな引き出しに地区ごとに収容されていた。
もちろん山や海だけの地図もあるが、それらははじかれ、上の方は線路に沿って繋がるようになる。
時々これから行こうとする線の引き出しを開けると、既に繋がっていることもあった(笑)
神保町周辺はC、M、S、Nと大きな大学が色々あるので、同好の者もまた多かったのだ。
こうして厳選した区間の地図を購入、携帯しやすいように折り込むのも、撮影行の前の儀式のひとつだった。
書店で切らしている時は、駿河台下の地図センターというところで買った。
そして現地入りすると、列車の中から地図と景色を眺めながら、
「うむ、このカーブをあの斜面から・・・」
「午前中は逆光だな」
「うわ、この築堤電線がジャマ。使えねー」
なんて、ロケハンに励んだ。
ある夏の夕暮れの新鹿駅。新鹿・・・何度この駅で降りたことだろう。
海で泳いだこともあった。みかんの生る山からの俯瞰。
紀勢本線で、真っ先に思い出すのはこの駅だ。
DF50の前が開いてるのは、暑いから風を入れる為。のどかな時代だったなあ。
撮影 1979(昭和54)年頃
上
大内山
下
新鹿