鉄道写真1973~1982

青春時代に熱中して撮影した写真の数々を、じっくりと発表してまいります。

   

常紋の朝のコーヒー

2007-06-24 19:58:14 | 現役蒸気機関車
                   

 この写真を撮った日。夜行の大雪6号で生田原まで行きました。到着は早朝の4時40分頃。
当時の生田原駅のホームには大きな寒暖計があり(ガラス管に赤い液が入った古い型)、それを見ると赤いものがありません。
「なんだ、壊れてるのか・・・」とよくよく見ると、最下部の液だまりから、わずかに伸びていました。
零下25度まで目盛りがあったと思うのですが、その下。推定零下28~29度でした。
後年北見駅前の数字表示型の温度計で零下30度を目撃しましたが、やはり快晴の朝が冷え込んだようです。 
が、当時のメカニカルシャッターは寒さに強く、トラブルはありませんでした。

 この汽車を待つ間、斜面の雪を溶かして飲んだコーヒーは美味だったなあ。
ステンレスカップにぎゅうぎゅうに雪を詰めても、固形燃料で沸かすと半分ほどに減ってしまいます。
追加で雪を足して、インスタントコーヒーを入れる。まさに至福のひとときでした。

場所はこの辺ですね。



 零下20度の撮影地から暖かい列車の中に出たり入ったり、その温度差は数十度になったのですが、
人間の身体というのは案外平気なんだなと思ったものです。
 
 撮影 1975(昭和50)年 石北本線 生田原~常紋信号場


 

早春の計呂地 湧網線

2007-06-19 23:36:11 | 現役蒸気機関車


 名寄本線(廃線)中湧別と網走の間を結ぶ湧網線(廃線)は、好撮影地が多く人気があった。
中でも計呂地は湖岸に近く、この大カーブの築堤もあり有名な場所だった。
現在の地図だとこのあたりでしょうか。

 計呂地駅は委託駅ながら国鉄OBの年配の方がいて、通常の駅と変わらぬ業務を行っていた。
この駅長さんは駅がSLファンで賑わうのが嬉しそうだった。
待合室にいる誰にでも声をかけ、「今日は貨物あるよ。いい写真撮っておくれよ」
また、赤字線で廃線の危機感もあり「旅行券買ってくれ~」が口癖だった。
私も買ったくらいだから、けっこう売れたのではないだろうか。
 独特の口調とイントネーションで漫談を聞いているようで、いつも待合室は笑いに包まれていた。
面白さで鮮明に記憶している駅は、ここくらいですね。

 撮影 1975(昭和50)年

雨の三笠駅 幌内線

2007-06-16 23:17:11 | 現役蒸気機関車
 
  雨の三笠駅構内に憩う39696。幌内炭鉱からの石炭を満載したセキに囲まれている。大きな給水塔も往時の賑わいを彷彿とさせる。
 9600は三笠から貨物専用線の幌内炭山までの間で使われていた。


 幾春別方面からD51の貨物が入って来る。本線はD51が使われていた。


三笠駅ホームから反対側を見る。人やバスが踏み切りを行きかい、それなりの活気が感じられる。


 9600が動き始めた。D51に渡す貨物の入換え作業だ。

                 
                  どしゃぶりの雨にうたれながら出番を待つD51


 今は地図を見ても鉄道の印がないので、確実にどこであったかはわからないが、
町名と駅名の類推からこの辺ではないだろうか(赤枠のあたり)

夕張、三笠、歌志内と我々が詣でていたところは、いずれも過疎地域となってしまっている。


 撮影1975(昭和50)年 幌内線 三笠駅





紅葉山駅にて  夕張線

2007-06-05 19:13:40 | 現役蒸気機関車

 紅葉山(現・石勝線新夕張駅)の2番線で憩うD51と、機関士さんたち。駅名板の右下、次の駅が「かえで」になっている。
1番線は登川線の専用だからだ。
           
           上の写真とは別列車だが、同じホーム。夕張方面から石炭を満載して追分に向かう上り列車。


 重量貨物列車なので、発車シーンは迫力満点


 下り列車の進入。


 蒸気機関車マニアだった私が、鉄道情景に目覚め始めた頃の写真です。
こういう写真をもっと撮りたかったのですが、時すでに遅し。残された時間はわずか数ヶ月でした。

 撮影 1975(昭和50)年 夕張線 紅葉山駅
                                                   
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