現代アート道楽の日々。

首都圏の展覧会の感想など。しばしば遠征。【不定期更新】

大地の芸術祭(その13:松代→十日町→川西)

2006-08-27 | アート感想@遠征
前の記事の続き

■ 松代エリア

国道353号線を北上し、松代エリアへ。10時までは国道403号線を西に進みながら渡辺行久《農舞楽回廊》(283)や杉浦康益《風のスクリーン》(288)といった屋外作品を回り、10時からは丸山純子《無音花畑》(291)や豊福亮《天竺》といった屋内作品を回りながら来た道を戻る。

時間があれば古巻和芳+夜間工房《繭の家-養蚕プロジェクト》(209)やリチャード・ディーコン《マウンテン》(215)にも再訪したかったけど、未見だった作品を回ることに。でも、やっぱり再訪のほうが良かったかな。

最後に塩澤宏信の《翼/飛行演習装置》(232)と《イナゴハビタンボ》(230)を鑑賞。《イナゴハビタンボ》は仕上げ作業の真っ最中(写真)。この作品、滑り台にもなっているのが面白い。(私は滑らなかったけど。)

■ 十日町エリア・川西エリア

薬師トンネルを抜け、十日町エリアに入ったところで、菊池歩《こころの花-あの頃へ》(58)がある中平地区へ。あとで聞いた話だけど、ビーズの花を持ち帰る人がいて、当初よりも本数が減っているとのこと。残念。倉谷拓朴《名ヶ山写真館》(56)も再訪したかったけど、時間の都合で泣く泣く通過。

続いて、川西エリアのナカゴグリーンパークへ。ジェームズ・タレル《光の館》(111)とその周辺の作品を鑑賞。途中、夕立が降ってきたので、慌ててクルマに避難。

このあと、十日町エリアに戻って戸千世子《山中堤 スパイラル・ワーク》(9)や古郡弘《胞衣 みしゃぐち》(12)、レアンドロ・エルリッヒ《妻有の家》(82)あたりを回ろうと思っていたけど、雨がやまないので断念。

結局、予定より早く越後湯沢に戻り、レンタカーを返却して帰宅。最後の雨は残念だったけど、かなり充実した二日間だった。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006
新潟県十日町市・津南町全域(約760km2の広さ!)にて、9月10日まで。

大地の芸術祭(その12:中里→津南→松之山)

2006-08-26 | アート感想@遠征
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006に行ってきた。これで4回目。でも、今回は妻有初心者を案内したので、新旧作品を取り混ぜてバランス良く回ることに。(カッコ内の数字は作品番号)

■ 中里エリア

越後湯沢駅で車を借り、国道353号線で妻有入り。道沿いの作品に立ち寄りながら津南エリア入りするつもりだったけど、道を間違えてしまい、内海昭子《たくさんの失われた窓のために》(176)やリチャード・ウィルソン《日本に向けて北を定めよ(74°33′2″)》などを見逃してしまった。

今回は行かなかったけど、ミオンなかさと周辺の刀禰尚子+飯島敦義《田圃の枯山水》(197)や前田光彦《「光の巣」-A Light Nest 2006》(198)あたりを回っても良かったかも。

■ 津南エリア

国道117号線を南下し、マウンテンパーク津南を目指す。途中、キム・クーハン《かささぎたちの家》(155)や、クイビーン・オフラハラ《涙雲》(156)に立ち寄り。

スキー場内を通る山道を一気に上り、景山健《ここにおいて 妻有 2006》(164)へ。作品内の雑草が伸びていたのがイマイチだったけど、雄大な景色との対比が素晴らしい。帰り道、7000本の鉛筆を使った本間純《森》(161)などを鑑賞。

■ 松之山エリア

いったん国道117号線に戻り、国道353号線で松之山エリアへ。なお、国道405号線は、国道とは名ばかりのとんでもない道(いわゆる酷道)なので、避けた方が無難。(2年前に通ってみたけど、何度も怖い思いをした。)

まず、クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン《最後の教室》(329)へ。再入場なので半額の250円を払ったけど、作品の密度を考えれば安いモノかも。それにしても2003年に《夏の旅》を見逃したのが悔やまれる。あと、今回は行かなかったけど、近くにある竹内美紀子《はがきプロジェクト》(328)もオススメ(開館日注意!)。

松之山温泉奥の上湯地区に移動し、マリーナ・アブラモヴィッチ《夢の家》(320)などを回る。なお、この地区の作品は16時までなので時間に注意。あと、以前別の場所でお会いした「こへび」の方に、とある場所で再会してちょっとビックリ。

続いて、今年まだ訪れていなかった手塚貴晴+由比《越後松之山「森の学校」キョロロ》(298)へ。ここは昆虫や両生類・爬虫類などの生き物がメインの施設で、アートファンよりも家族連れで賑わっていた。冒頭の写真は、キョロロのてっぺんからの眺め。なお、駐車場の先の赤い作品は、スー・ペドレー《はぜ》(307)。

最後に、阪田清子《残華-松之山分校》(314)を鑑賞。廃校のうす暗い教室で、古い農機具や教科書がライトに照らされてぼんやりと浮かび上がる。その影は必見!

この日は松之山温泉で一泊。温泉街の入口で光るCLIP《渓谷の燈篭》(325)を散歩がてら鑑賞。

次の記事に続く

大地の芸術祭(その11:まつだい駅&十日町駅周辺)

2006-08-18 | アート感想@遠征
またまた大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006に行ってきた。今回は、ほくほく線の駅周辺を日帰りで。

まずは、まつだい駅の周辺から。以下、今回の新作のうち、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

武蔵野美術大学 建築学科 土屋公雄スタジオの《松代商店街-竹環プロジェクト》(225)は、床から天井まで竹の環を何層も重ねた巨大な竹の塊。外見は普通の民家だけど、内部はものすごいエネルギーが充満しているようだった。この竹の環、実はらせん状になっていて、中心にはかぐや姫がいそうな空間も。

あと、《まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」》内のギャラリーで開催中の展覧会「空家プロジェクト-生き続ける民家-」も良かった。この展覧会は、今回行われた民家(や廃校)のリノベーションを、建築の視点から図面と模型で紹介したもの。一通り民家や廃校を回ったあとだっただけに、より一層楽しめた。

続いて、ほくほく線で十日町駅へ移動。

杉浦久子+杉浦友哉 昭和女子大学杉浦ゼミの《幸(ユキ)のウチ》(83)は、地震で倒壊して主人を失った家の跡地に、レースの家を建てたもの(冒頭の写真)。一見キレイな作品だけど、その意味を知ると複雑な気持ち。レースの中の光景も、美しくも物悲しかった。

話題の《妻有の家》(82)の感想は、大地の芸術祭(その5:松代エリア北側+α)参照。

このほか、パブロ・レイノソの《編まれた影》(89)の映像がコミカルで面白かった。映像作品はいくつかあったけど、テンポが良くて笑える作品ってこれくらいかも。

新潟県十日町市・津南町全域(約760km2の広さ!)にて、9月10日まで。

大地の芸術祭(その10:十日町エリア南側)

2006-08-06 | アート感想@遠征
前の記事の続き

再び十日町エリアへ。以下、今回の新作のうち、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

倉谷拓朴の《名ヶ山写真館》(56)は、集落の古い写真や農機具を使った枯山水などを古民家全体に展示した空間。ヘッドホンを着けて音と光を楽しむ屋根裏のインスタレーションも必見。

菊池歩の《こころの花-あの頃へ》(58)は、ブナ林に広がる3万本のビーズの花(冒頭の写真)。作家が集落の人びとと3年がかりで作った膨大な数の花が咲き誇り、この世のものとは思えないような幻想的な光景が広がっていた。地元の方の話によると、夕暮れ時がオススメとのこと。また、週末は夜間ライトアップも行うらしい。

栗田宏一の《ソイル・ライブラリープロジェクト/越後》(48)は、新潟県全域で採取した土750種類を民家の2階に並べた作品。土のカラーバリエーションがこんなに豊富だったとは……。

行武治美の《再構築》(45)は、表面に無数の鏡を貼り付けた小屋(上の写真)。小屋の内側も鏡の空間になっていて、そこから外の景色を眺めるのも面白い。なお、内部の入口が低くなっているのには注意(私は思いっきり頭をぶつけてしまった……)。

越後湯沢でレンタカーを返却し、新幹線で帰宅。

2006年の新作を中心に、レンタカーで4日間(1泊2日×2)走り回ったけど、十日町駅・まつだい駅周辺やキョロロ(松之山)周辺など、まだ回ってない作品がたくさん……。ホント、とんでもないアートイベントだと思う。でも、それが私には楽しかったり。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006
新潟県十日町市・津南町全域(約760km2の広さ!)にて、9月10日まで。

大地の芸術祭(その9:続報)

2006-08-06 | アート感想@遠征
前の記事の続き

朝、ちょっと早めにチェックアウトして、先週まだ制作中だった作品巡り(カッコの数字は作品番号)。

民家など、屋内での展示時間はほとんどが10:00~17:30なので、それ以外の時間は屋外作品を巡るのがオススメ。

まず、一日前に公開されたばかりの古郡弘の《胞衣 みしゃぐち》(12)へ(写真)。以前の記事に「場の力が前作よりも弱いかも」って書いてしまったけど前言撤回。2003年作品とは別の意味の「場の力」を感じさせる作品だった。深い溝状の通路を通り、土で造られた円形の構造物に入ると……、

作品内部は上の写真のような世界が広がっていて、コンクリート構造物とは全く別の味わいがある空間だった。これはスゴイ!

リニューアル中だった國安孝昌の《棚守る竜神の御座》(276)が《棚守る竜神の塔》として完成したことを大地の芸術祭ぶろぐ:完成!!棚守る竜神の塔で知り、松代エリアへ移動。

記録的な大雪のため一度は崩れてしまったけど、それを乗り越えて生まれ変わった《棚守る竜神の塔》は、前作以上に力強く、神々しい姿となっていた(上の写真)。

一方、塩澤宏信の《イナゴハビタンボ》(230)は、まだ制作中だった。でも、形になってきていたので、もうすぐ完成かも。

次の記事に続く

大地の芸術祭(その8:中里エリア北側+α)

2006-08-05 | アート感想@遠征
前の記事の続き

再び中里エリアへ移動。以下、今回の新作のうち、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

中澤克己の《フローティング・バンブー》(199)は、森の中を通る小道の両脇に竹垣をうねるように設置した作品。小道を下っていくと、まるで森の中を浮遊しているような気分になってくる。

前田光彦の《「光の巣」-A Light Nest 2006》(198)は、木の上に設置された鳥の巣のような作品。落下防止の安全ベルトを着用し、ハシゴを登って巣の中を覗くと、蜂の巣状の竹筒から光が溢れていた。

刀禰尚子+飯島敦義の《田圃の枯山水》(197)は、ミオンなかさとに隣接する田んぼに設置された現代の枯山水。雄大な作品だけど、あぜ道には関守石もあって芸が細かい。

木村崇人の《星の木もれ陽プロジェクト》(174)は、星型の照明をクレーンで吊り下げ、星型のこもれびを作り出すプロジェクト。たも網で捕まえたこもれびは、確かに星の形だった(冒頭の写真)。なお、毎週金・土の20:00~21:00のみ開催(雨天中止)。

十日町エリアに移動し、閉館間際のキナーレに寄ってみたら、美しい光景が広がっていた(上の写真)。この作品は、ジョアナ・ヴァスコンセロスの《ボトルの中のメッセージ》(65)で、数百本の酒ビンでできているとのこと。

先週と同じく、十日町駅近くのホテルで一泊。

次の記事に続く

大地の芸術祭(その7:津南エリア)

2006-08-05 | アート感想@遠征
前の記事の続き

いったん中里エリアを出て、津南エリアに移動。以下、今回の新作のうち、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

霜鳥健二の《「記憶-記録」足滝の人びと》(152)は、地域の人びとをモデルにした鉄板約40枚を、川沿いの土地に並べた作品(冒頭の写真)。この人数が減ることはあっても、増えることはないんだろうなあ……と、感傷的になってしまった。このほか、木の棒を柱に打ち込む観客参加型の作品もあり。

池田光宏の《ポップアップ・プロジェクト・足滝バージョン》(154)は、天井の穴に頭を入れる観客参加型の作品。頭を入れる穴には、顔の部分だけ穴が開いた布が付いていて、ほっかむりをしているような状態(なかなか可愛い)で他の観客と顔をあわせる。あと、作品にはもう一つ仕掛けがあり。

クイビーン・オフラハラの《涙雲》(156)は、マウンテンパーク津南に続く道の途中に設置された作品(上の写真)。集落の人びとと協働で設置したタワーは、なんとなくアジアンテイストだけど、作家はアイルランドの方らしい。中に入って、集落の方々が集めた白い布を見上げるのもオススメ。

景山健の《ここにおいて 妻有 2006》(164)は、マウンテンパーク津南の頂上付近に設置された赤い絨毯(上の写真)。近づいてみると、この赤いのは全て割り箸でビックリ!緯度経度1秒(30.824×24.718m)を視覚化した作品とのこと。空の青と緑と赤の対比が美しい。

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大地の芸術祭(その6:中里エリア南側)

2006-08-05 | アート感想@遠征
先週末に引き続き、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006に行ってきた。今回は越後湯沢で車を借りて、中里地区から妻有入り。

以下、今回の新作のうち、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

芝裕子の《大地のグルグル》(172)は、地元の人と協働して藁で制作した立体作品(冒頭の写真)。藁はトンネル状の通路になっていて、想像以上に長い距離をグルグルと歩いた先、つまりグルグルの中心には……!これはカワイイかも。

半田真規の《ブランコはブランコではなく》(180)は、4本の長い竹を支柱にして制作したブランコ。一般的なブランコよりもロープが長く、「アルプスの少女ハイジ」のブランコみたいな感じ。中里・津南エリアに約20基設置されている。

内海昭子の《たくさんの失われた窓のために》(176)は、大きな枠にカーテンが取り付けられた作品(上の写真)。里山の風景の美しさを改めて実感させられる。

次の記事に続く

大地の芸術祭(その5:松代エリア北側+α)

2006-07-30 | アート感想@遠征
前の記事の続き

再び松代エリアへ。以下、今回の新作のうち、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

古巻和芳+夜間工房の《繭の家-養蚕プロジェクト》(209)は、養蚕農家だった古民家で十数年ぶりに蚕を育て、その繭を素材に作品を制作したプロジェクト。いくつか作品があったけど、最も印象的だったのは繭で作った集落のジオラマ。二階の床に置かれた小さな箱のふたを開けると……。

リチャード・ディーコンの《マウンテン》(215)は、黒姫山を望む広場に設置された立体作品(冒頭の写真)。雄大な景色と人工的な広場・作品との対比が鮮烈だった。まさに極上のパブリックアート。

マーリア・ヴィルッカラ《TIRAMI SU 3 持ち上げて-行ったり来たり》(216)は、作家がこれまで発表してきたモチーフを民家の中に溶け込ませたもの。横トリで観た模型の動物が綱渡りをしている作品もあって懐かしい。

十日町エリアに戻って、レンタカーを返却。少し時間があったので、市街地の作品をいくつか回ることに。

レアンドロ・エルリッヒの《妻有の家》(82)は、公園内に建てられた一見フツー?の家(上の写真)。何も知らずに見た人は相当ビックリするらしい。同じ作家による金沢のプールと同様、人が多い時間に見る方が面白いかも。

十日町駅に戻り、ほくほく線と新幹線を乗り継いで無事帰宅。でも、また行くぞ!

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006
新潟県十日町市・津南町全域(760km2の広さ!)にて、9月10日まで。

大地の芸術祭(その4:松之山エリア)

2006-07-30 | アート感想@遠征
前の記事の続き

いったん松代エリアから出て、松之山エリアへ。以下、今回の新作のうち、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

さとうゆきの《うたうこと、はねること》(317)は、地元の音と映像を使ったインスタレーション作品。表面が緩やかに波打つ大きな木のベッド(クッション枕付き)に横たわって、天井に投影された池の映像を眺めると心地よい。

プロスペクターの《コンタクト-足湯プロジェクト》(318)は、足元に白い砂利が敷き詰められ、真っ白な壁に囲まれた素敵な足湯(冒頭の写真)。でも、お湯がぬるかったのが残念。温度調節が難しいらしい。

竹内美紀子の《はがきプロジェクト》(328)は、「ふるさと」をテーマに寄せられたはがきを床に敷き詰め、郵便局が印刷したバーコードをブラックライトで浮かび上がらせる光のインスタレーション。キレイな作品だけど、土日のみ開館なのが惜しい。

クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン《最後の教室》(329)は、旧東川小学校の体育館と校舎内部を使った大規模インスタレーション。薄暗く、不安を掻き立てるような光と音で演出された空間(アート的お化け屋敷?)を歩いていると、まるで夢の中で自分の母校らしき小学校に迷い込んだような、実際には存在しないけどなんだか懐かしい空間をさまよっているような感じがした。今回観た作品で、最も印象に残った作品。

なお、日毎に敵と懶惰に戦う:越後妻有アートトリエンナーレに行ってきましたに《最後の教室》の詳細なレポートあり。なんと、ほくほく線まつだい駅から旧東川小学校まで自転車で行ったとのこと!

次の記事に続く

大地の芸術祭(その3:松代エリア西側)

2006-07-30 | アート感想@遠征
前の記事の続き

早めに宿を出て、松代エリアの屋外作品から巡回開始。以下、今回の新作を中心に、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

2003年作品《翼/飛行演習装置》(232)が印象的だった塩澤宏信の《イナゴハビタンボ》(230)は、まだ整地を行っているような状態だった(7/30現在)。制作中というのは知っていたけど、まさか何にもないとは……。

國安隆昌の《棚守る竜神の御座》(276)は2003年の作品だけど、記録的な大雪でつぶれてしまったとのことで(中越地震では大丈夫だったのに……)、リニューアルの真っ最中だった(冒頭の写真)。後方のアジサイとの対比も見事。なお、大地の芸術祭ぶろぐ:棚守る竜神の御座その7にリニューアルの詳細なレポートあり。

渡辺行久の《農舞楽回廊》(283)は、川の流れを変えて作り出した田んぼに黄色いポールを立て、大昔の川幅を浮かび上がらせたスケールの大きい作品。ちょうどすり鉢のような地形で面白い響きがするため、和太鼓のコンサートも開かれるとのこと。

中村敬の《くじら屋根の美術館》(201)は、酒屋だった民家をアートで再生するプロジェクト。公開製作中だったけど、まもなく完成の予定(7/30現在)。蛍や祭壇のような作品が展示されている屋根裏部屋が特に印象的だった。あと、ツバメのトイレも面白い!

杉浦康益の《風のスクリーン》(288)は、陶のブロック2000個をうねるように積み上げた作品(上の写真)。棚田を望む雄大な景色と相まって、筆舌に尽くしがたい光景が広がっていた。今回、ぜひ観て欲しい作品の一つ。

豊福亮の《天竺》(287)は、今にもつぶれそうな民家を使ったインスタレーション。建て付けの悪い扉を開けると……そこはゴテゴテキンキラキンの異世界だった。しかも、草間彌生を髣髴とさせるような異様に細かい作りこみ。これはすごい。

次の記事に続く

大地の芸術祭(その2:川西エリア)

2006-07-29 | アート感想@遠征
前の記事の続き

続いて川西エリアへ移動。以下、今回の新作のうち、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

橘ライスセンター内に展示されている塩澤徳子の《アース・ライス-大地の米》(96)は、白く光る大きな台の上に、米粒で作った巨大な世界地図が広がる作品。もちろん地形も米粒で再現されていて、山の部分は色が濃く見える。

木村育子《農閑期》(125)は、シリコンと石膏で型を取った古い農機具を展示した作品。真っ白な農機具を見ると、冬は完全に雪に閉ざされてしまう地域への想いが湧き上がってくるよう。

道の駅隣の川に架けられたカアリナ・カイコネンの《明日に架ける橋のように》(124)は、不要になった服を使って150メートル以上もの橋を架けたプロジェクト(冒頭の写真)。服の色がグラデーションになっていてキレイ!

節黒城跡キャンプ場内にある関口恒男の《越後妻有レインボーハット》(120)は、藁のシェルターの内側に白いスクリーンを張った空間。晴れた日の昼間(9時~16時)は、周囲のプリズムによる虹がスクリーンに映るらしいけど、夕方に行ったので虹は見られず。残念!

そば屋の裏の田んぼに設置されたライト付きのポールは、朝岡あかねの《TMR(妻有空港)計画~田んぼのエアポート》(101)。日没後、赤や青の誘導灯が灯ると、まるで飛行場の滑走路のよう(上の写真)。

この日は十日町駅近くのホテルにて一泊。

次の記事に続く

大地の芸術祭(その1:十日町エリア北側)

2006-07-29 | アート感想@遠征
越後妻有地域(新潟県十日町市&津南町)で開催中の大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006に行ってきた。大地の芸術祭は3年に1度の開催で、今回は2000年・2003年に続いて3回目。

十日町でレンタカーを借り、まず十日町エリアの北側を回ることに。以下、今回の新作のうち、特に印象に残った作品の感想(カッコの数字は作品番号)。

旧三ツ山分校に展示された山口啓介の《光の庭、三ツ山5つの空気柱》(28)は、カセットテープケース内に植物を樹脂で固めた「カセットプラント」を1万数千個使ったインスタレーション。廃校に染み付いた記憶と樹脂で固められた植物の組み合わせが心に響いた。

同じ分校にある本間純の《しずく》(30)は、妻有のカタチを左右反転した白い物体が天井にあって、その姿が床面の浅いプールに映る作品。白い物体からしずくが落ち、水面に映った妻有の姿が揺れると、心も静かに揺さぶられるような気がした。

神明水辺公園内に建てられたドミニク・ペローの《バタフライパビリオン》(2)は、現代風にデザインされた能舞台(冒頭の写真)。様々な角度で取り付けられた鏡の屋根に映る光景が面白い。前夜祭では能の公演も行われたとのこと。

戸千世子《山中堤 スパイラル・ワーク》(9)は、陶とガラスによる壺の花約200本が溜め池で咲き誇る作品(上の写真)。田んぼの脇の道を延々と歩き、登りついた先には神秘的な空間が広がっていて、思わず息を飲んだ。

前作《盆景-II》が感動的だった古郡弘の《胞衣 みしゃぐち》(12)は、重機を使って制作の真っ最中だった(7/29現在)。場所の力は前作の方が強そうな気がしたけど、今回はどんな作品になるか楽しみ。

次の記事に続く

「三つの個展」ほか@国立国際美術館

2006-07-01 | アート感想@遠征
続いて国立国際美術館(大阪・中之島)へ。


三つの個展:伊藤存×今村源×須田悦弘

三人の若手・中堅作家による展覧会。「三つの個展」のタイトルのとおり、展示スペースは作家ごとに分かれていて、それぞれ完結した展覧会になっている。これはこれで良いのかもしれないんだけど、三人の個性がぶつかり合うのも見てみたかった。

今村源の部屋は、中央の壁を境として、入口側に日用品を変形させた作品が、出口側に回転する作品やシダの作品が展示されている。これら二つのスペースの間に展示された《2006-6 モノホシ》に上ると、それぞれの作品を比較できて面白い。このほか、展示室外に銀座で観た《2005-12 受動性・シダ》もあり(椿はないけど)。

須田悦弘の作品は、人目につかないような空間に本物そっくりの木彫りが展示されているものが多いけど、今回は独立した空間にそれぞれ堂々と展示されている。例えば、《泰山木-花》などは、白い壁に挟まれた細長い通路の奥の壁に展示されているといった具合。私としては展示室の中を必死になって探すのが好きなだけに、ちょっと残念。でも《睡蓮》の空間は清々しかった。

伊藤存は、刺繍による絵画を20点ほど出展。それらに加え、ハーフミラーを使って立体的な効果を出した映像作品《ビッグ・ファッテージ》や、大型インスタレーション《Paper episode》も出展されていて、なかなか楽しめた。

9月18日まで、月曜休館(ただし、7/17開、7/18休、9/18開)。


コレクション1

出世作《肖像(ファン・ゴッホ)》など、森村泰昌の作品をまとまって(7点)観られたのが良かった。このほか、荒川修作の図形絵画4点や、やなぎみわの《アクアジェンヌ イン パラダイスII》など写真2点が印象に残った。あと、ナム・ジュン・パイクの《鳥籠の中のケージ》は、英文タイトルを見て思わず苦笑。

7月17日まで、月曜休館。

アン・ハミルトン展@熊本現美

2006-05-27 | アート感想@遠征
熊本市現代美術館に行ってきた。

アン・ハミルトン[ヴォーチェ]

横トリでのプロジェクトが記憶に新しいアン・ハミルトンの個展。作品は、2つの展示室をまるまる使った作品《ヴォーチェ》1点のみ。

最初の展示室(テーブルの部屋)に入ると、作業台(木製のテーブル)が所狭しと並んでいる。作業台は半透明のビニールシートですっぽりと覆われ、ビニールシートの中には古いラジオ、卓上ランプ、着物が入っていて、その卓上ランプの明かりでぼんやりと着物の柄が見える。ラジオからは雑音が流れ、入り口付近で借りたヘッドホンからは鳥の鳴き声が聞こえてくる……。

作家の指示どおり作業テーブルに上がり、この不思議な空間を見渡す。作業台・古いラジオ・着物といった懐かしい物たちが浮かび上がってくる。そして、ヘッドホンから聞こえてくる鳥の鳴き声に答えるかのように、鳥になったつもりで鳴いてみた。

   ……。

ほんの少しだけど、私が鳥になったような気がした。枝にとまって、歴史という大地を見下ろしているかのような、そんな錯覚を覚えた。

奥の展示室(映像の部屋)では、天井からぶら下がった帽子のような物体が、音を立ててびゅんびゅん回転している。この帽子のような物体はスピーカーで、作家が熊本で集めた音を流している。壁に目をやると、顔や足が並ぶ卒業写真の一部を写した映像が、ゆっくりと回転するプロジェクタから投影されている。

せわしなく回転しながら音を発し続ける8台のスピーカー。懐かしさを感じさせるモチーフを映しながら、四方の壁づたいにゆっくりと流れる2つの映像。これらを眺めていると、歴史という空の中を飛んでいるような感覚だった。

   あなたの中で、きっとなにかがかわりますよ。

作家は「(作品の)楽しみ方」の中でこう述べているけど、私にとってそれは「鳥になった気持ち」が芽生えたことだった。ひょっとしたら、鳥だった頃の記憶が蘇ったのかもしれない。

熊本市現代美術館にて、6月4日まで(火曜休館)。