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神谷美恵子の著作

2017年06月10日 | 本と雑誌
 最近、近所の古本店で神谷美恵子の代表的著作である『生きがいについて』が200円で売られていた。本の題名だけ見ると、軽いエッセイのように思われるかもしれないが、個人的には戦後に出版された本の中でも非常に優れた著作であり、後世に伝えられるべき価値があると考えている。そんな思い入れのある本が、価値に比してあまりに安く、捨て売りのような扱いを受けていたようで、書いておく気になった。






 神谷美恵子(1914-1979)は、精神科医であり、教育者あるいは著述家でもある。父は前田多門、戦前のILO代表で、後に文部大臣。実兄の前田陽一はパスカルのパンセなどの翻訳で知られる東大の教授だった。父の仕事の都合で幼い頃よりヨーロッパで過ごし、そのため後に語ったところによると日本に帰ってきてからも、考えるときはフランス語だったらしい。語学に堪能だったので、マルクス・アウレリアスやミシェル・フーコーなどの翻訳もものしている。
 この人の偉いところは、これだけ恵まれた環境に育ち、自身の才能にも恵まれながら、大学など研究機関に埋没することなく一人の精神科の医師として瀬戸内海のハンセン病医療所で医療活動に従事(1958-1972年)、閉鎖的な場で病と向きあう人びとと共に過ごし、医療活動を続けたことだった。その中で、同じ境遇にありながらも、日々を生きるのに苦しむ人と、生きがいを見いだせる人とが存在していることに気付き、その人の得ることのできる「存在価値」ということに着目して書かれたのが『生きがいについて』(1966初版、1980年みすず書房)だった。『人間をみつめて』(1971年初版、1974年新版、朝日選書)は、その続編とも云える著作。

 哲学は、その昔「対話」だった。異なる認識を対話により新しい価値へと導く、のが基本だったはず。「弁証法」と訳されるのは、ドイツ語でDialektik、英語ではdialectic。両方ともギリシャ語のdialektos「対話」が語源。プラトンの著作は「対話編」と呼ばれるが、『国家』などを読むと「対話」というより「論駁」に近く、後のアカデミズムに繋がる萌芽がすでに内在している。

 神谷美恵子の著作には、本来の哲学が持っていた態度に近いものがあるように感じる。岩波文庫に入れて欲しい著作。
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