のんびり 気ままに

焦っても急いでも 思うようにいかないから・・・
マイペースでのんびりと行きます
少しずつ 前進できればいいね~

2015年10月16日 | 勝手な独り言

 

写真の整理をしたり、去年の写真を見たり。。。

もう、画像をプリントする事がないので、パソコンに入ってるのを確認するだけです

Facebookで、過去の思い出を振り返ってみよう などと知らせてくれる

刺激を受けて、少し 振り返って 思い出を作ってみようと思いました

 

 

この、富士山の初冠雪はとっても励みになりました

今は、この雪もすっかり解けて 雪のない富士山になりましたが・・・・

 

 

毎年、このススキの原っぱを眺めているような気がします

 

ススキの穂が輝いて 綺麗でした

 

 

まだ 雪が解けてないので ちょっと 新鮮な富士山の姿です

 

 

カップルも楽しそうに お散歩ですね    いいなぁ~~

 

 

ヤマラッキョウ

 

周りを探しましたが このツインだけでした

私は このリンドウに感動して 満足して 一番の収穫だと思い 帰る事にしました

 

 

あの宝永山を歩きたいと 思ってますが 実現できるでしょうか~

 

 

少し前、富士市の田子の浦港に にっぽん丸 が立ち寄るとの事

私は 帆船を予想してました

ところが・・・・豪華客船だったのです

 

かっこいいですね~

 

予約すれば、あの窓から見えるようにランチがただけるのです

 

私は、サラリと このような簡単なうどんをいただきました

お客様は、色んなコースに分かれ 観光されたようです

 

 

 

私の 大好きな  田貫湖 

ルークが亡くなってしまったので、ちょっと 息子の飼い犬をお借りして散歩してきました

 

 

ちょっと 大きめな トイプードルです

とっても 元気で 散歩が大好きなんです

田貫湖1週 3,4Kmぐらいあるようですが、割と楽に歩けました

 

クズの花を久しぶりに見ました

みぞそば・・・・ピンクの部分が可愛いですね

萩が そろそろ終わりそうです

釣船草・・・・今年も見る事が出来て 嬉しかった~~

 

ちょっと 分からないお花でした・・・・ツルニンジン 教えていただきました

なんか  可憐でいいですよね~

 

イワシャジン 

 

 

ほんの少し 色づき始めて 秋を楽しみました

 

 

紅葉は 高地から 少しずつ降りてきます

 

日曜日から 東北の旅に出ます

最終日には、北海道の函館山からの夜景の予定になってます

天候が気になりますが 心の準備をして   

ん? あまり 期待しないように行きたいと思います

何たって・・・・バスツアーですから~~

 

 

 

 

 

 


炭酸水

2015年06月22日 | 勝手な独り言

先日、私宛に来た 家電量販店のチラシを見ていたら

チョット・・・気になる お品が・・・

 

以前、価格が高く 諦めてしまった商品でした

  ちょっと 下がった

 

・・・と しばらく 考えて・・・そうだ ネットで買えば もっと安いかも~~ 

さっそく 色んなサイトで調べてみると・・・

なんと~~ 手頃なお値段のが 見つかりました

 

 

これなんですが

 

 私は、炭酸水のペットボトルを買っていましたが

 もう…ペットボトルのゴミもたまらず 好きなだけ、新鮮な炭酸水を飲めます

 

市販のサイダーやジュース類は甘くて飲めないので これから、大活躍してくれそうです

 

 電源もいらず、ガスボンベは長持ちしそうだし…満足しちゃいました~~

 

 娘や孫は…甘い方がいいみたいです

     


記憶をたどる為に・・・

2015年02月26日 | 勝手な独り言

 

 

先日 脳の刺激は必要! っと

その為には、昨日の事や 以前の事を思い出す事をやってみる事がいいようです

日記を書く事も いいらしいです

思い出しながら 文章にするのは 脳の刺激になるらしい

こうして ブログは どうなんだろう??

 と 思いますが

記憶をたどる・・・

思い出しながら 文章にする・・・

できそうで、やる気が中々 出ません

こうして ブログの更新も おろそかになりがちです

 

これからは、自分と向き合い どんな事が書けるか

そんな風に やっていこうかな~

 

先ほど 自分の写真を 額に入れて 飾ってみました

 

 

写真展などで 色々刺激になり 励まされます

額に入れて 少しでも 作品として見て 自分なりに評価してみようかな~ と考えました

 

ちょっと この新幹線の画像は 3枚の写真を組み合わせてしまったので 邪道ですけど

 

これから 少しずつ やっていきたいと思います

 

愛知県の岡崎に転勤生活をしている頃

私は ネットで検索して 色んな所に出かけました

思い出の お花を見たくなり

ちょっと 遠かったけど 車を飛ばして行きました

 

 セツブンソウ 

 

ちょっと 遅かったけど まだ しっかりと 咲いてくれてます

 

 

キンポウゲの種類です

とっても 背丈も小さく 頑張って咲いてるな~ って感動ものです

 

 

 

純粋無垢 って感じですよね~

 

ずっと 見ていても 飽きることがなく 時間が過ぎていきました

 

この場所は 愛知県新城市です

少し 移動して 設楽町まで 行って 見たいものが・・・いてくれるでしょうか~

 

オシドリなんですよ~

 

バズーカのようなレンズを付けて ずっと 待ってらっしゃる人たちがいました

小さな声で

『今日は もう 来ませんかねぇ~?』 

『午前中に 来ていたらしいですよ~ あちらの岩の陰にいるんですよ~』 っと

 

諦めかけたとき

ス~~っと あの数羽のオシドリが降りてきました

 

慌てて シャッターを切り

レンズを交換して

ほんの数分の出来事でした

 

 

オシドリって 仲良しで 夫婦一生連れ添うなんて 言われてますが

まったく 違うそうですね~

この場にも オスのオシドリしかいません

毎年 カップルが変わるそうですよ~

へぇ~~~ ってね

メスのオシドリは 見つかりません

 

 

こうして 私は 遠出ができ ちょっと 満足してます

とっても 勇気がいる事なんですけど

初めての場所じゃなかったからかも しれませんね

 

中々 計画通りに出かけられませんが

来週は 伊豆の方面に行けたらな~ と 思ってます

 

 

ちょい おまけで

 

2月14日 バレンタインデー

この日 山中湖では ダイヤモンド富士が有名になってます

私も その日 出かけてみました

しか~~し もの凄い 人 人 人 !!

何とか 撮ることができました

 

目の前の 湖面は 凍ってました

なので ダブルダイヤは 残念でした

氷を割って 撮影している人がいましたけどね

 

こんな感じで 人と車が いっぱいです

 

 

 

私は その後 少し 黄昏て 一人 富士山を湖面を眺めていました

こんな風になるのを 待ってました

 

 

 

ひょっこり 白鳥さんのご夫婦が 私の前を スゥ~っと 通り過ぎました

 

最近 私は たくさんの ご褒美をいただいてます

 

『今日は、白鳥が 見れないな~』 と ぼやいていたら・・・

本当に ありがたいことです

夕日に染まる湖面が とっても美しかった~~

 


ips細胞

2013年03月05日 | 勝手な独り言

 

ノーベル賞で受賞された   ips細胞について

私は まだ 詳しく分かりませんが

   細胞をリセットさせて  生まれ変わる ??

 

これから 色々な治療に 研究されていくでしょうね

 

息子の脊髄損傷にも これから 希望が持てそうな・・・・そんな 気持ちです

赤ちゃんの臍帯から 取り出した細胞を 骨髄に移植する   など

まだ 未知の可能性がありますが

ips細胞は まったく違った素晴らしい可能性です

 

先日・・・息子に そのような ips細胞を作っていただけたら・・・と

奇跡と 思っていた事が 実現するのです

脊髄損傷の人は たくさん いらっしゃいます

息子は まだ 軽度の脊損ですので  重症の方から順番でもいい

とても 期待してます

私たちが 息子にしてあげられるのなら  どんな事でも やってあげたい

車椅子と おさらば出来るなら こんなに嬉しい事はない

 

 

 

脳梗塞で倒れた人が

血管内治療によって 無事 回復された様子を報道してました

父が 脳梗塞で倒れ 入院中です

倒れて 8時間以内で この 血管内治療の手術を受ければ

脳が壊死せずに 元の生活ができるのです

 

医療の向上で  諦めていた事が 治療ができ そして 回復できたりします

 

私は こうした治療が出来た人たちは  そのような 幸運に巡り会えたような気がします

 

ガンも 陽子線治療で 完全に治った人たちが いらっしゃいます

高額な医療費が かかり

それも クリアできる人は この治療を受けられるのだろうか?

 

色んな病気で 悩み苦しんでる人は たくさんいるでしょう

希望が持てる 医師に巡り逢えたら・・・・・

 

しかし・・・・色んな知識を 勉強しておきたいな~ と 思うのです

人任せ なんて 無責任な人生じゃなく 

やっぱり 自分の道を 踏みしめて進んでいきたい

 

健康って  何だろう?  って この頃 感じる事があります

病院にいくような そんな事でもなく  でも  何となく 思うように行かない この 身体!

老化が 来てるんですね~ 

向き合って 少しでも 身体を動かそうとしています~

 

 

 

 


あれから 10年か~ぁ~  最終

2011年03月24日 | 勝手な独り言

東日本大地震が発生し その後の 大津波の被害が 予想を遥か超え  

家屋の倒壊だけでなく  津波の威力が  このような大きな被害に至りました

 

その津波は  福島原発にも 襲いかかり  原発の機能をストップさせ 

それだけに とどまらず  原発の異変に  放射能が 漏れる   と言う  恐ろしい事態になりました

 

福島の人たちは  津波で被害を受けながら  更に  原発の被害にまで 及び  住民の怒りは  どこにもぶつけられず

二重の被害に 辛い思いをされていらっしゃいます

 

 

この大地震は  世界一のレベルの被害だそうです

私たちは お彼岸の日に  自宅のある 富士に戻りました

 

3月 17日には  富士宮で 震度6強の 地震に襲われ

この目で見ていないので  どれだけの被害か テレビのニュースだけの情報でした

お嫁さんからの 報告で  自宅は 特別 大きな被害がないとの事!

 

日本の 50ヘルツの一番端っこの地区  静岡県東部

ここは 福島からの 電気が送られているようです

なので  今 盛んに報道されている  『計画停電』の 実施地域になってます

たまたま  土日祭日に 行ったので  計画停電の実施が ありませんでした

少しでも  停電の辛さを味わおうと しましたが  実現しませんでした

何となく  申し訳ない気持ちがするんですね

こんなに 大きな地震が起きて  何も変化のない生活をしていて   申し訳ない  と

自主的な節電をしていても  歯がゆい気持ちになります

 

 

息子は 停電になると  エレベーターが使えず  

どれだけ 不安になるか   私たちの想像を超えるものだと思ってます

ですから  その停電のひと時を 

私は 息子のために 何か出来ないか・・・・と

停電の体験を してみたかった

決して 面白半分じゃないんです

いつまで 続くか 分からない   この  計画停電

 

私が 書き始めた   この   『あれから  10年・・・・』  は

2001年 4月  1日    の 事故から  

もうじき  その10年を 迎えようとしています

 

 

息子は  障害者を雇用している会社から

一般の企業に就職し  その後  正式 組合員になりました

 

やはり  障害者として 雇用されていると  賃金も安く  昇給も少なく

子供の成長と共に  出費も増えてきます

その事を考えると  その会社で  一家の大黒柱としては  頼りなかったのではないでしょうか

 

そうして  ネットで  障害者雇用を探し

たまたま  社屋も 新築し  障害者を受け入れられる事務所があり

そうして  とても 運よく  求人に巡り会い   採用になりました

 

息子には  とても 待遇がよく  

そうして  嘱託社員から   正社員として  雇用が 変更されました

息子は   とにかく  恵まれているように 感じます

 

 

今回で  この内容を 終了したいと 考えております

日々の事  書いていれば  限りなく ありますが・・・・

 

先日  自宅の様子   少し 分かりやすく  携帯ですけど  撮影してみました

 

これは  お風呂の すのこ  です

もう 10年も 使っているので  ボロボロに なってきました

 

このように  普通の タイルの上に  あつらえた この スノコを 乗せます

これが 見た目と違い  とっても 重く  扱いにくいのです

そして  普通のお風呂掃除の 3倍から 4倍  苦労があります

しかし  このスノコがないと  息子は  段差があり  皮膚を傷めてしまします

このスノコの上に  お風呂マットを敷いて   体を保護します

 

これは  障害者用トイレです

一応  規格があるようなので  息子が 使いやすいように トイレの位置を決めました

 

息子の 車椅子です

最近  釣りにはまっていて  釣りに行くと  前輪が 錆びてしまうようです

もう一台  買って    使い分けしているようです

車椅子も  2台あると  安心です

 

孫の 運動会の時の様子

二人の孫が 同じ日なので  初めて  うちの孫の運動化を見ました

 

 

私が これからの 報告の為   このように  長々と  つづき  に なってしまいました

 

息子は  この災害で   痛感したと思いますが

 

実は  息子は  土地を買い  家を建てる事に なりました

 

オレは  玄関から  出入りを したいんだ!!

エレベーターは 使いたくないんだ!!

オレは  家の中 全ての場所に 行きたいんだ!!

オレが一人でも  暮らしていける 家を建てるんだ!!

 

私は  今の家が 息子のために どのように 改善していったら いいだろうか?? と

常々 考えていました

しかし

まさか

息子が!!

 

どれだけ 改善しても 限界があるように 思っていました

しかし  新しく 建て直すとすると   仮住まいが 困る

息子が生活できるような  そんな アパートや 借家は ありませんからね

 

今の家を 踏み台にして  新しい家を建てるのは  正解です

 

巨額な借金になりました

 

それでも  この 『あれから・・・・』  を 書き始めた頃は

銀行で 本当に お金を貸してくれるだろうか・・・・と  まだ 不安でした

 

でも  何とか  巨額ですけど   クリアになりました 

よかった~~~~!!

 

今年  9月ごろ  家は 完成すると 思います

これから  ローンを返す  本当の辛さが始まりますが

普通の家に住めない 息子なので  何とか  こちらも 応援していきたいと 思います

 

また  このような 大地震が 東海地区に 発生した場合

どのような状況になるか  想像できませんが

少しでも 息子の不安  外に逃げる!  を  一人で 行動が 取れたら・・・

そう  思います

 

今の家では  玄関に降りる事も できません

 

 

長い間  この あれから・・・を  読んでくれて ありがとうございました

 

また 今後  色んなアイディアのある  息子の家を紹介したいと 思います

 

 

 


あれから 10年か~ぁ~  その⑥

2011年03月09日 | 勝手な独り言

息子は 障害者を採用している会社に 入社する事になりました

社長は 〇〇銀行から 定年間近な人が 出向して 勤務しています

 

息子は小さい頃から 障害を持ってる人に対して 興味を持ったり 

普通に受け入れたりと  とても 自然体でした

 

自宅の直ぐ近くに  障害者の施設もあり  町内で 交流もありました

 

就職した会社には  耳の聞こえない人   下半身不随の車椅子の人  知的障害  自閉症

一人一人 障害の度合いが違います

 

毎日 手話の勉強もするそうです

しかし、微妙に 伝わり方が違うようです

ろうあ者から、携帯メールが来るようですが  内容が  『 理解に苦しむ 』 などと 言います

それだけ 伝達が 難しい って事ですね

 

息子は 入社当時は  伝票ののり貼りとじ (銀行の入出金伝票などの製作) を やったり

手先の不器用な息子は  なかなか 苦労したようでした

 

少しして  作業現場から  事務の仕事に移り  パソコンを使って 経理を任されるようになりました

 

息子は エクセルを使い 処理していましたが

エクセルを 何も知らなくて  教えてもらったり  自分なりに  命令式を考え

かなり 効率のいい 表計算が できるようになりました

家に帰ると

『今日の 傑作』  と  自慢話をしていました

 

休日には  よく 出掛けていました

ご近所の人とは うまくお付き合いができませんが (高校生まで 自宅で生活してましたが・・・)

外出は  公園で子供と遊んだり   近くの 富士サファリパークなど

(あまり 何度も行くので ライオンにも 感動しないようです。 笑えます。)

子供中心に あちこち 出掛けてましたね~

 

息子は 車椅子の生活になってから

とても 用心深くなりました

どこに行くにも ネットで調べて  

「障害者用トイレ」 を探し  確実なルートを決めてから出掛けます

 

我が家は 廊下があるんですが

今まで ちょっと 荷物を置いたり  スリッパを 脱ぎっぱなしにしたり

しかし・・・・3尺の廊下は 車椅子の幅が めいっぱいです

(家の事情を考慮して 車椅子の幅を できるだけ コンパクトに設計してもらいました)

少しでも 何かが 置いていたりしたら  『邪魔~~!!』 と 叫ばれます (笑)

 

こうして 我が家に車椅子の息子がいることに 何の抵抗もなくなり

息子ができる事と できない事があることも  何てことなく それが 普通の生活になりました

 

娘のほうの孫が

『おじちゃんの お風呂の入り方』 などと  

一緒にお風呂に入ると 真似る事があります

子供は よく見ているものです

私は 息子と一緒に入る事はありませんので

孫の 仕草で  息子の 「お風呂の入り方」 が 分かります

あまりに リアルに真似るんで  ドキッとしてしまいました

 

まだ  つづきます

 

 

 

 

 

 


あれから 10年か~ぁ~  その⑤

2011年02月26日 | 勝手な独り言

就職のお話し

息子は 退院し その後  家の改築が完全に終わり 

いよいよ 車椅子の息子が 我が家での 生活が始まりました

 

家の中を車椅子が通る事など 想像した事がなく 

今でこそ 「バリアフリー」 などと 言葉もありますが

私たちが家を建てる頃には  段差だらけ  敷居が高かったり  部屋との境目は 一段 区切るように高さがある

 

その為 1cm~2cmぐらいの 段差を 改善していきました

 

 

息子が 自宅で暮らし始め  その後 奥さんと 生後3ヵ月になりました孫を迎える事になりました

孫は お嫁さんの実家で 初孫として 可愛がられ  そのまま ずっと 一緒に暮らしたかった事でしょう

赤ちゃんは  回りに大きな 生きる力を与えてくれるような気がします

赤ちゃんの顔を見れば こちらは  これ以上のない 極上の笑顔で接しますよね~ 

いつのまにか 赤ちゃんに ひき込まれていきますよね

 

こうして 我が家は 一挙に 家族が増え  生活リズムも すっかり変わりました

 

 

息子は  身体のどこも 悪い所はありません

ですから 普通でしたら  退院したら  元の職場に戻るんですけど

解雇ではないんですが  自主退職をするように 言われ     すなわち 無職なわけです

 

息子は 何を どう 就職活動すれば いいやら  あまり 考えていません  (そう 私にはみえましたけど・・・)

一応 新婚さんなので  あれこれ  揃えるものとか  息子の服とか (スボンなど 履き易いものに・・・)

買い物などに 出掛けているようでした

そのうち 息子は 毎日 ゲーム三昧のようで  お嫁さんも イライラしていましたね

何とか 仕事をしてもらわないと・・・・と 少し 焦っていたのかもしれません

 

たまたま  お嫁さんが ハローワークに行って  失業保険の手続きなどをしていて

息子の就職がないか  情報を探していたようでした

そうしたら  突然 電話があり  面接しないか  と 

 

何件か 採用したい会社が集まり  障害者の面接をしたようでした

そのなかに 東京電力もあり  私は  ついつい 期待してしまいました

大手企業は 障害者の雇用の義務があります  

しかし、息子は車椅子の為  会社にその設備がないと 無理ですよね~

 

今は ユニバーサルデザイン   と 言う企画がありまして

障害者のためだけじゃなく 全ての人が 使いやすい  誰にでも分かりやすかったり

とても 人に優しい基準のようで

 

お店でも 駅でも  色々な所で 活かされてるように思います

 

仕事をしていくのに 車椅子だと  十分なスペースがないと 通れない

エレベーターがないと  他の階に行けない

障害者用のトイレが必要

など 簡単に 車椅子の人を採用できません

 

そうして 採用が 決まりました~

 

銀行の第三セクターで  県からも出資しているので  最悪? 倒産なんて事は ないですね

 

 

少し ダラダラと 長くなってしまいました

 

読んでくれて ありがとうございます 

 

 

また  つづきに いたします   

 

 

 

 

 

 


あれから 10年か~ぁ~  その④

2011年02月21日 | 勝手な独り言

10年を振り返るのは 容易なこっちゃない (笑)

私も すっかり ボケる前に このような事を記録できるって 本当は 喜ばしい事かもしれない   

 

よかったなぁ~  と 思う事は  息子が  マザコン   じゃなかったって事かな~ と思いました

障害者の息子のお母さんになった訳ですが 私の役割は あまり出番がありませんでした

事故後 2ヶ月ぐらいした頃かな~   入籍できました 

何でも 相談したい事は 自分の奥さんにしたいだろうし 

私は 障害者についての 手続きやら  年金の手続きやら  病院・銀行 と お金の事と 役所の手続きに動き回っていました

息子の回復は 目覚しいもので  あまり 心配が要りませんでした

それより  お金の工面が 大変で  あっちに支払いに 車の残存処理 など

車の残ったローンを 組み直し  夫が支払う事にしました  なんでやねん

 

家の改築    これが 非常に難しい事がありました

我が家は 道路から階段を使って 玄関に行くような  少し高い所に家が建ってます

その為 どうやったら 息子が 家に入れるか??   私たちが 頭をひねっても 答えは出てきません

道路に面した部分に 車庫があるんですけど、その車庫から エレベーターを使って 家に入る方法を設計してくれました

地下1階が 車庫と考えて  1階 と 2階 と 

2階に 夫婦の部屋を増築して  何とか 暮らせるように・・・・

1階には 障害者用のトイレを!

そして お風呂は 特殊なスノコのようなもので  入り口から 段差をなくし 

不便ですが お風呂に入れるように してもらいました

2階にも トイレがあったんですが  それも使いたい! と 突然 言い出し

ドアを引き戸に替えたり  トイレの中に 手洗い場を付けたり  と  

息子が 家に戻ってきてから  もう少し  要望があったり   大工さんに工夫してもらったり

たくさんの人に 助けてもらいました 

 

私は 車椅子を見ると  どんな障害かな~ って分かります

息子のように 自分で車椅子を動かす人の車椅子は

軽量 小型化されてまして

息子より重症な  頚椎(けいつい)損傷の人は  車椅子の 背もたれが 少し高いです

そして 後ろで人が押せるような 取っ手が付いてる場合があります

頚椎損傷の人は 指にも影響が出たりします  首から下とか 胸から下とか  感覚がないようです

とても 想像を絶する障害ですよね

 

息子は 車椅子から 車に乗り移り  その車椅子を 自分の身体の上を通して  運転席の背もたれを倒し 

後ろの座席に 投げるように 積みます (笑)

もう 見慣れているので  どうってことは ありませんが  初めて見た時は お見事   ってね  

 

息子は 車椅子の上達を 披露してくれる事があります

ウイリー (前タイヤを上げて) して 段差を乗り越えたり  1段ぐらいだったら 降りたりします

車の縦列駐車の如く  車椅子を動かします

私も やってみたくなるほどですが・・・・いざ 車椅子に乗ってみると

介護用の車椅子と違い  怖いです   後ろに ひっくり返りそうです 

 

暗い話題になっては いけないと・・・・明るく すすみますので  よろしくで~す

 

まだ つづくのかな~~

 

 

 


あれから 10年か~ぁ~  その③

2011年02月13日 | 勝手な独り言

その頃 私はフルタイムで働いておりました

大手スーパーで パート勤務でした

事故後 仕事を続けていけるだろうか??  と

8:30~16:15  こんな勤務体制でした

 

息子が 所沢のリハビリテーションに転院するまで

今の お嫁さんが 付き添いをしてくれていました

しかし、彼女の家は 東京です

・・・・・で   我が家に泊まって  毎日 病院まで 送迎してました

う~~ん  誰が?  娘だったかな~  迎えに行ったのは 私だったような

 

我が家は 息子の事故から  生活が 一変しました

結婚前の彼女でしたが、我が家に泊まり 息子のお世話をしてくれました

息子の事故で 頭が混乱していたのに そこに 彼女の存在で 

それも、我が家で 一緒に暮らすようになり 

今、私は その頃の事を思い出そうとしましたが  うろ覚えです

 

しかし、彼女が息子の付き添いをしてくれたので 私は仕事を続けられたようです

 

息子は ベッドに腰掛ける事もできませんでした

後から教えてもらった事なんですが

 

オレの体は

コンニャクの上に 上半身が乗ってるようだ

 

これって 想像できますか?

 

つまり 不安定って事なんです

手のひらを広げ そこに 鉛筆を立てて

 

オレの体は この鉛筆のように  フラフラして 上半身が不安定なんだよ

 

こう 説明してくれました

 

ですから  単に 車椅子に乗って 動かすのも  座ってる お尻の感覚がないし

ほんとに 恐怖だったと 思います

 

ですから 車椅子を上手に動かすのも  とても大変な訓練が必要になってきます

若いから  回復も 運動神経も よかったので  あっという間に 上達していました

 

 

息子の回復は 予想以上に早く

家の改築が 間に合いません・・・・・ヤバイです

 

病院では 治療する事もないので  『早く 退院してください  いつになりますか?』  っと

看護師さんからは 顔を合わせると そのような事を 聞かれたようです

 

家の中の エレベーターが 完全に動き 使えるようになったら 退院しよう・・・と 決めました

 

しかし、エレベーターが 動いても まだ 大工さんが入っていたので 

大工さんと 息子に 気を使っていました

 

次回に  つづく


あれから 10年か~ぁ~  その②

2011年02月05日 | 勝手な独り言

私たちは ショックで 誰もいない所では 涙が止まらなかった

息子は 顔には傷がなく 一見 ただ 病院のベッドに寝ている 軽症のようでした

手術をしても 麻痺は治らない   と  息子に伝えなければならない

普通 手術をすれば よくなり 治る  って 思うはずです

一生 歩く事ができない  車椅子の生活になる  って  伝えたのは  父親でした

 

息子は  たった 一日 悩んで  翌日  『しょ~がね~』  っと・・・・????  信じられません

 

でも ふさぎこんで 落ち込んで  何もしないでいたら  私たちは  どうする事も できなかったでしょうね

 

息子は リハビリの為  所沢の大きな リハビリテーションセンターに 転院しました

そこは かなりの重症患者ばかりで  息子は 『おれは、軽い方から数えて 2番目だよ~』 と言ってました

息子の車椅子の上達は 素晴らしかった   さすが! 若いですからね~

床から 車椅子の座る事は とても大変です

それも 難なく やりました

トイレの訓練も うまく できるようになっていったようです

尿意も 何となく 分かるようになってきたようでした

手を綺麗に洗って カテーテルを使って 排尿するようです

便の方は 私には よく分かりません・・・・親には あまり 言いたくないのでしょうね

 

しかし、そんな身体になり 将来も保障されず  どうなるか 本当に分かりません

 

それなのに 彼女のお腹には 赤ちゃんが順調に育っています

 

みなさん 彼女の親御さんだったら どうします?

 

結婚させて あげられますか?

 

私だったら やっぱり 反対ですね

一生 車椅子の生活で 仕事もできるかどうか 分からず  将来の事が心配ですよね

きっと 入院中 彼女は 家族から  『結婚は 諦めなさい!』 って言われ続けたでしょう

私も息子に  『結婚できないかもしれないよ』 と 言ったら  『何で?  子供がいるんだよ!』 と

自分の身体を理解していないのか  この重大な問題を分かっていないんですね

 

彼女のお父さんは  亡くなったばかりでした

すなわち 喪中なわけで   まだ 心身ともに 悲しみの中で・・・・・そこに 息子の事が!

お父さんは 彼女のお腹の赤ちゃんの事を知らないまま 亡くなりました (蜘蛛膜下出血でした)

 

彼女とお母さんは いっぱい 話し合ったでしょうね

 

しかし、彼女の意思は固く、結婚する気持ちは変わりませんでした

お母様も諦めたようでした

しかし、私たちに条件をつけ、彼女が辛い事がないように、フォローし、同居・・・・でした

 

次回に  つづく

 


あれから 10年か~ぁ~  その①

2011年01月31日 | 勝手な独り言

我が ぴえろ家では 今年は もの凄い色んな事が 起きています

 

息子の事故から そろそろ 10年経ちます

一言で語るには 無理がありますが・・・・

あの事故から 我が家には 大きな大きな変化がありました

息子は 交通事故で 脊髄損傷 胸椎12番だったかな~  ずらすような骨折でした

車は たった1度 ローンを支払っただけで 廃車になりました

息子は 一生 歩く事ができなくなり・・・・・車椅子生活が始まりました

下半身不随・・・・ウエストのあたりから下は 感覚がありません

 

 

  息子は東京で就職していましたが、退職し 富士の自宅に戻って来ました

  就職活動は 思ったより大変でした

  何とか 我がままを言わず 採用してくれる所があれば・・・・っと 

  まったく 予想もしてなかった職業につきました

 

こうして 息子が我が家に戻ってきただけで 大きな変化なのに

就職が決まり 1ヵ月も経たないうちに 交通事故です

 

 

私たちのやれる事は 家の増改築でした

障害者用のトイレ や エレベーターの設置

お風呂の改良

何とか 息子が暮らせるように 改築しました

快適とはいきませんが 普通の生活ができるようになりました

 

息子は 半年の入院で 車椅子のリハビリと 車の運転を学んで来ました

 

私たちだけでなく 私の両親も 兄たち  色んな人たちが 驚きで 言葉がでませんでした

どんな言葉をかけたらいいのか   これから どんな生活になるのか

誰もが不安で いっぱいでした

 

息子は 結婚しようと決めた人がいました

私たちは その女性と 事故の翌日 初対面の予定でした

ところが その事故で  その女性と会う事になりました

そして その女性のお腹には 新しい命が・・・・

そうです  今 9歳になる 孫が その時 彼女のお腹に宿していたのです

 

次回に つづきます・・・・

 

 

 

 


尖閣諸島での中国船 衝突のデータ

2010年11月08日 | 勝手な独り言

私・・・・ツイッターを寝る前に見ていました

そうしたら

 え~~   なにぃ~~

っと驚くような ツイートを発見 

 

例の 人数限定で国会議員が見た  あの 尖閣諸島での 衝突事件のビデオでした

6本に分けた YouTube の URLがツイートされていた

私は 思わず クリック   見ました

 

驚きましたね~

これは 本物だ~~  っと 心の中で 叫んでいました

 

私は 機密事項の漏洩を ネットで 体験してしまい それも 衝撃でした

 

誰が? とか  思いましたが  

 

これが あの事故のビデオなのか~  っと 真剣に見てました

 

ツイッターって 凄いですね~

私は 夜 12時過ぎだったような 記憶がありますが

かなり みんな リツイートしてましたから  その時間にツイッターをされていた人なら 知らない人はいないと思います

 

心のモヤモヤを  ネットで訴えたのでしょうか

私たちは あのビデオが見れて 本当によかったと思ってます

 

早く 公開してくれないかな~ っと 思ってましたからね~

 

しかし、誰が?  って事で これからも 捜査が続くんでしょうね~


2010年10月06日 | 勝手な独り言
娘が中学生の時・・・・・

 何かの紙に   死ぬ 死ぬ 死ぬ って  書きなぐっているのを


  息子が知らせてくれた   『あいつ 死ぬって 紙に書いてるよ   おかしいぞ!』 って



誰か 分からない人から   いじめ    が  ありました


   靴箱の中に 手紙が入っていて  

        かなりの恨みでもあるような文章でした



きっと クラスの友達だろうと 思いました



人間関係に とっても 臆病な娘は  それでも 勇気を出して  手紙を書いた人が誰なのか・・・・


自分なりに考えたり  仲のいい友達に相談してみました



ところが・・・・その 相談相手が いじめをした 張本人だったのです 


      驚きですね






高校生になって  1年生の3学期   部活の仲間からの  いじめ


   『もう 私 学校を辞めて 働くよ』 っと 言い出しました



高校生にもなると  暴力はなかったけど  言葉の暴力って言うか

数人で 娘を取り囲んで  言いたい放題 やってくれました


震え上がり  言葉も出ない状態の娘

恐ろしくて 学校に行けない!  っと


その頃  たまたま  高校入試の時期と重なり

自宅待機だったので  その友達と会う事もなく 過ごせました


私は  娘に内緒で  担任に相談しました

今後のクラス編成のお願いをしました


叶わぬ言い分かもしれませんが  何もしないでは いられませんでした


明るい友達が 娘を救ってくれました

今でも お付き合いが続いています



こうして 私の記憶には  2度も いじめにあって  親子で泣きました



しかし 社会人になり   もう  ないだろう・・・・いじめなんて!


そう 思いました   が


いじめではないのかもしれませんが   無視? ですか?

あなたは 娘の上司ですよね?

そんな態度は 大人気ないじゃないですか~?

娘のやった事 態度  いけない所があったら  上司ですから どんどん注意してくれて 構いません


娘の身体が  悲鳴をあげています

胃腸をやられそうです   

自律神経が ヤバイです


娘から 毎日 電話がかかってきます

電話のない時は  元気なんですよね~  便りのないのは 元気な証拠! って 言うんでしょうか~



どんな職場も 人間関係で成り立っています

少々 きつい仕事でも  人間関係がよければ  難なく乗り越える事ができるでしょう

そんなものだと 思ってます


いい人に 巡り会うって  素晴らしい事ですよね

私は このブログを通して  いい人たちに巡り会えて 幸せですよ



勝手な記事を書いてしまいました

読んでくれて  ありがとう 
           

台風それました 運動会日和

2010年09月28日 | 勝手な独り言

9月 25日  孫の運動会でした


二人の孫は 学校が違います

学校が違うのに  運動会は 同じ日にやります


私  どっちを見るの~~


思うように行動が取れない日でした



私は 同居している孫の方の 運動会を見に行きました



学校まで かなり遠いのですが・・・・・歩いて行きました




驚いた事に  歩いていたら  楽しいお花がいっぱいでした~  






彼岸花  見ごろでしたね~










とっても 楽しみにしていた シュウメイ菊  まだこれから 楽しめそうです






コスモスも・・・・







青空に 映えますね~




綺麗な ピンク色~





運動会は  見ている方も 興奮してしまいます

元気をもらいました




定番の綱引き  力が入ります



孫の成長を感じます






思い出してもいいよね~

2010年01月13日 | 勝手な独り言
50代を楽しんでる  わ  た  し 

『まだ 若いもん (*´ー`) フッ』 なぁんてね~ 

今日は 100歳の女性のピアノ演奏を聴きました  テレビでね

言葉もしっかり ピアノを弾く指使いも素晴らしい 

楽器を演奏するって 楽しいよね


その100歳の女性も 『ピアノが大好き』って おっしゃってました



今日は 古い歌になりますが 

   私たちの青春をいつまでも 大切に残していたい..... っと



   



よ~~く  聞いていると  ほんと  いい歌ですね


私は なんとぉ~  今は数少ないだろう・・・・・  『女子高』に通いました

しかし、すっごく楽しい思い出がいっぱいです

駅の反対側には   『男子校』  これも 今はあるのかな~

そんな男子校は 気になる存在でしたね~


『箸が転がっても おかしい』 そんなお年頃ですから

何でも 笑って過ごした友との学生時代

女子高なので  先生と生徒の   や  

女子高の先生だから もてたんだろうなぁ~  っと 今は 思いますからね

しかし、同じクラスの友達が  ある先生の奥様になりましたよ~

あ~  ついつい 古~~い お話しを・・・・





そうして  こんな泣ける歌も・・・・


  



これは 私の両親の事を考えてしまうような・・・・


歌を聴きながら 自分のドラマが見えてくる


色んな歌を聴きながら その時代の思い出が甦る   素晴らしいよね



『あの歌があったから 頑張れた・・・』 などなど

みなさんも きっと そんな曲があるでしょうね~



〆は  これで・・・・・