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4月5日 母は永遠の眠りにつきました。
何度か危険な状態を乗り越え生きることを諦めずに頑張りましたが
最期は眠るように旅立って行きました。
励まして下さった方々には深く感謝しています。
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母が倒れてから色々なことがありました。
父の手術、転居、退職・・・そして母の死。
弟に「天中殺とちゃう?」と言ったら
「それってもう死語じゃない?」と笑われました。
なんだか呪われてる感がしない訳でもないけど気にしてたらキリがないので
こんな時は「おりゃ~~おりゃ~~」と特上の気合を入れてみました。
天然+特上の気合=鬼に金棒でしょう。
ん?なんか言葉の使い方間違ってる?
鬼に金棒ってこう言う時に使う?
まぁ~細かいことは良いかぁ~(笑)
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幾つもの病気と闘った母。
その母の傍に居れたことは幸せだったと今思います。
暖かい母に沢山触れ、冷たくなった母の横で色んな思いを語りながら夜を明かし
母との思い出が増えました。
一時は病院に行くことさえ辛い時もありましたが
目を逸らさずに母を見て母に語り続けて良かったと思っています。
みなさんからの励ましがなければ谷底に沈んだままで
後悔ばかりが残ってしまったかもしれません。
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今は母の物を整理をしてるのですが
懐かしい物や面白い物が次から次へと出てきます。
弟と「これ覚えてる?」
「小学生の時に使ってた鉛筆じゃん」
「こんな物まで後生大切にしまいこんじゃってるよ」
「なんか、お母さんらしいよね」
こんな思い出を語ってばかりなので全然進みません。
しかも整理と言うよりほぼ形見分け状態で
行きは手ぶらなのに帰りは大荷物を抱えて帰宅。
物を捨てられないのはどうも母譲りのようです(笑)
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「元気になったら花見に行こうね」
と言う約束は果たすことが出来ませんでした。
自己満足に過ぎないのでしょうが
お花を見せてあげたかった、そんな思いでお棺に桜を入れました。
想いが伝わると良いなと思います。
桜舞い踊る季節 桜と共に母に逢えそうな、そんな気がします。
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居るのが当たり前だった人が居なくなった悲しさは大きいですが
桜が咲く季節、そして空を見上げる楽しみがまた増えました。
回復される思っていたので驚いています。
ご冥福を心からお祈りいたします。
昨日は そんな事も知らずに 話しかけてしまって
ごめんなさい
ご冥福をお祈りいたします
お母様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
落ち込むことがあったら、またここに書き込んでください。
お互い顔を合わせた事の無い、ネット上での繋がりでも、Mintさんを応援してくれる方達がたくさんいますので。
適切な言葉が思い浮かばず、申し訳ありません。
今はまだ悲しみに包まれているのかもしれませんが、時間が経って、またいつものMintさんが戻ってくるのを待っています。
辛そうな母、冷たくなった母、小さな箱に納められた母
その時々で様々な感情になるものなのですね。
ただ順番通りにいけば避けては通れないことなので
いつかは経験しなければいけないことなんですよね。
親より先に逝かなかったことがせめてもの親孝行だと思っています。
コメントしずらい内容だと思いますが
暖かい言葉に感謝しています。
前回書いたように回復しつつあったのです。
何も支えがなくても一人で歩けるようにもなったので
余計に残念でもありますが
でも母は十分すぎるくらい頑張ったと思います。
最期は腹水で人相が変わってしまうくらい体中がパンパンになってしまいましたが
危険な状態から1度は上向きになり
少しでも私たちと一緒に居ようと頑張ったようです。
最期はゆっくりと69年の生涯を終えました。
悲しいことですがいつかは別れなくてはいけないことなので
今は母との思い出を楽しんでいます。
すも~何謝ってるの?
声を掛けてくれて嬉しかったよ。
久々にすもの声が聴けてメチャ嬉しかったよん。
ただ部屋に入るほどの気力がなかったので外から楽しませて貰いました。
楽しむ場所と決めてるので「ドヨ~ン」としたままで入りたくなったんだよね。
今までは何がなんだから分からない状態で過ごしてきたので少し気持ちを落ち着けたいと思っています。
多分すぐに戻れると思うので、その時は声かけてね。
あっ、どた君にも外から聴かせてくれてありがとうとお伝え下さいマシ。
適切な言葉なんて気にしないで下さいね。
コメント下さるだけで心配して下さってる気持ちが伝わっています。
みなさんに励まされ心配までして頂いて本当に感謝しています。
母の遺影となったのは私が写した写真でした。
1年前に写したものなのですが実家で写した笑顔の母。
とても母らしい写真だと言うことで遺影に使いました。
母らしいのですが、それだけに見ると辛くもなります。
今のところ特上の気合で頑張っていますが
効果がなくなった時は書き込むかも・・・
コメントしずらいと思います。
でもこうして書いて下さっただけでとても励みになったり頑張ろうと思ったりするんです。
ありがとうございます。
私が付き添った最後の食事、この頃から食欲がなくなり始め数日後に腎炎になり個室に移されました。
最後に母の口に入れてやったのがオレンジだったのですが
何気ない出来事も今は大切な思い出になっています。
クモ膜下で倒れてからは親と子供が逆転した部分が沢山あり「美味しいよ」と食べる母が凄く愛しかったです。
ただ、お母さんのご冥福をお祈りするばかりです。
Mintさんの末尾の文を読んで、流行りの歌ですが「千の風になって」が頭をよぎりました。
Mintさんがこれから見上げる空に、きっとお母さんを感じることでしょうね。
そして Mint さん、お疲れ様でした。
力が抜けてしまった所で、体調崩されないように気をつけて下さいね。
明るい笑顔が戻ったら、また綺麗な北海道の写真見せて下さい。
桜が咲いたらお母様の分まで、楽しんでください。きっと一緒に見ている事と思います。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
お久し振りです。
引越しが終わった直後に母の容態が急変しました。
良い方向に向いていたので何故と言う気持ちで一杯でしたが
病気が幾つも重なると思いもよらないことが起こることがあるのでしょう。
話すことの出来ない母が
私に両手を差し出し起こして欲しい歩きたいと訴えてきたのですが
その時はとても辛かったです。
この世の次には何があるのか分かりませんが
母はやっと自由になれたのだと、そう思っています。
引っ越した新しい家の窓からは大きな空が見えます。
大好きな空を毎日見上げています。
心配下さってありがとうございます。
クモ膜下で倒れた時はかなり動揺して
その日の記憶がところどころ抜けてしまっているのですが
少しずつ覚悟をしてきたのでしょうね。
動揺と言うより来る時が来てしまったんだと言う気持ちでした。
危篤と言われ昼夜母の傍にいたのですが
母の様子がゆっくりと変わるのが分かりました。
少しでも長くと言う願いは勿論ありましたが
どうにも出来ない状態だと言うことも分かっていたので
見守ることしか出来なかったです。
死に目に会えない人もいるのですから
そう考えると私はまだ幸せな方だと思います。
また北海道からデッカイドウ~な景色を届けたいと思います。
一時は良い方向に向いていたので
先のことを考えたりもしていたのですが
思うようにはいかなかったです。
でも頭の回線はかなり回復してもいました。
少し前のことも記憶に残らなかったのが
前日言ったことを覚えていたり
トイレの場所も間違わなかったり
回復に向かっていた部分と悪化していた部分があったのでしょうね。
でも母は本当に凄く頑張りました。
私も頑張らなければと思っています。
春、桜を見れる日が楽しみです。
こうたマンパパさんのお母様が良くなることを心から願っています。