昨日の新聞記事から:
人は、男女ともに、実年齢より、自分の感じている年令は5歳から10歳くらい若く感じてるというアンケート結果がでたそうである。
だから「何歳にみえますか?」と人に聞かれたら、当てようとがんばらないで、少し若くいったほうがいい。ということのようである。
ワタシは、よく年令不詳とリアルでもいわれるのだが、その時々で、20歳くらいの幅がでるようだ。
秋吉久美子さんが先日、26歳下のボーイフレンドについて、「お互いに人類愛ですよ。」などといってた。 年令の差はその程度のもので、人類愛と考えれば、関係ないですね。
よく冗談で、おいしいケーキを目の前に「この一口がブタになる。 しかし、明日死ぬかもしれないから」と言いながら、結局全部食べてしまう。 でも、もちろん明日死ぬとは思ってない。
たいていの人は、自分が、とりあえず、平均寿命くらいまで生きるだろうという予測のもとで、生活してるのではないかしら? 年令が進むにつれて、仮にラッキーな部類ではあっても、先の年数を数え始めて、肉体の衰えの実感とともに、人生の残り時間が少なくなってきたな、って感慨に耽る時間がふえるんでしょうね。
話しがドンと飛ぶけど、キュープラー・ロス博士、先日亡くなりましたよね。 彼女の著書を読んで、人の寿命と生き方みたいなことを考えていた時代があります。 如何にして、不治の病にかかった子供達が死を受け入れていくか。
時間のメカニズムに嵌め込まれた 恐怖
なかなか克服できません。
人は、男女ともに、実年齢より、自分の感じている年令は5歳から10歳くらい若く感じてるというアンケート結果がでたそうである。
だから「何歳にみえますか?」と人に聞かれたら、当てようとがんばらないで、少し若くいったほうがいい。ということのようである。
ワタシは、よく年令不詳とリアルでもいわれるのだが、その時々で、20歳くらいの幅がでるようだ。
秋吉久美子さんが先日、26歳下のボーイフレンドについて、「お互いに人類愛ですよ。」などといってた。 年令の差はその程度のもので、人類愛と考えれば、関係ないですね。
よく冗談で、おいしいケーキを目の前に「この一口がブタになる。 しかし、明日死ぬかもしれないから」と言いながら、結局全部食べてしまう。 でも、もちろん明日死ぬとは思ってない。
たいていの人は、自分が、とりあえず、平均寿命くらいまで生きるだろうという予測のもとで、生活してるのではないかしら? 年令が進むにつれて、仮にラッキーな部類ではあっても、先の年数を数え始めて、肉体の衰えの実感とともに、人生の残り時間が少なくなってきたな、って感慨に耽る時間がふえるんでしょうね。
話しがドンと飛ぶけど、キュープラー・ロス博士、先日亡くなりましたよね。 彼女の著書を読んで、人の寿命と生き方みたいなことを考えていた時代があります。 如何にして、不治の病にかかった子供達が死を受け入れていくか。
時間のメカニズムに嵌め込まれた 恐怖
なかなか克服できません。
ついつい先延ばし・・・
恋をしましょう!
楽しかった、という思いは、あとからついてくるんですよ。