水道橋駅で電車を降りて小石川後楽園に紅葉を見に行こうと思ってたけど
駅に貼ってった広告で急遽、東京都水道歴史館へ向かったぺんちゃん。
公園の脇の階段を下りて水道局を通って到着。
駅の広告入場無料ってことはわかっていたので、初めてだけど何も考えずに入館。
水滴くんがお出迎え。ぴちょんくんと間違えた人は居ないよね。
水滴くんは東京都水道局のキャラです。
エレベーターのドアはイチョウマークから。
で見学開始。
日本では江戸時代から上水道の整備が始まったらしい。玉川上水とかを作って
都心部に水を送っていたのは有名だと思う。
↓江戸時代の水道管
江戸時代も道路の地下に水道管(木製)が埋設されていたとのこと。
長屋の井戸に最終的につながっていて、組み上げて水を使っていた。
※東京・千葉では地下水が天然ガス入り化石海水だったりするため、あまり
おいしくなかったとの事情もあるようです。(こちらの回を参照)
ぺんちゃんはてっきり井戸水(地下水)かと思ってたけど・・・ちょっと意外。
江戸以外にも当時の都市部には上水道が徐々に整備されていたようです。
左下の直線上の水路が玉川上水。大きな川が多摩川になります。
羽村の堰を書いた絵です。
もともと土木屋さんだったようですが、玉川上水の成功で玉川の姓を受けました。
神田上水の水道橋
なかなか江戸時代もやるなぁ。と今回も思う。
続いて1階展示室(明治以降)へ。
郵便には前島密さんとかいるけど、水道で有名人って誰だっけ?と思っていたら
中島さんと言う人らしい。
実は外人さんも驚いたのかも。江戸時代にすでに上水道の原型はできてるし。
当時の地図。右側中央の黒い横線が当時のJR線。国鉄線?東海道線?どう書けば
いいんでしょっ?
皇居の位置は変わってないから、明治時代って海が深川とかの近所まで
来てたんだ。たぶん、地震の津波も当時の海の範囲くらいまでは行くと思うので
要注意かも。勝手な想像だけど。
明治時代の水道管。あら、灯台マークだ。
↑こちらは水圧計。
↓ロンドン市牛馬給水槽協会から寄贈された、お馬さん用水飲み場。
うまく写ってないけど、お馬さん用の下には犬・猫ちゃん用。裏には人間用。
大正10年に発生した地震により浄水場が停止し初の東京市内全面断水。
関東大震災は大正12年。
カスリン台風により金町浄水場停止。
戦時中は水道管の破損や毒の混入の恐れなどがあったとのこと。
↑こちらは漏水を調べる機械。(幹線区間)
機械で自動的に調べてくれるのではなく、水道局のおっちゃんが夜間にこの機械で
地面の音を聞いて漏水を見つけるらしい。職人技が必要。
日本だと、それが普通。
今年の夏まではよく見かけた「東京水」
ビデオコーナー
どこかで見かけたような・・・金町・関宿・江戸川などが何度も登場。
ちなみに水道の水が夏を中心にクサイのは坂川の生活排水が原因!東京都
水道局では金町浄水場に最先端の技術を何度も投入してます!!!
とか、水道局の取り組みの紹介から、玉川兄弟のアニメなど。
ここから館外。
↑小さいけど左が「水玉ちゃん」、右が「水滴くん」
テクテク・・・(ぺんちゃん的には結構歩いた)
ここからはバスに乗って移動。
いったい何なんでしょ?
文京区ですが吉祥寺の元になった所。
バスを降りたら石碑があった。
次は六義園です。
“こんにちは”で茣蓙居ます.
この水道橋周辺はあたくし奴(め)の青春が埋
もれて居るところで茣蓙居ます。
お茶の水側の改札口をで、千代田区側の坂道を
御茶の水に向かった右側には、一世を風靡した“三一書房”(超ベストセラーの『人間の条件』)
がありました。
また、文京区には後楽園球場がありましたですよ。
もう、半世紀以上も昔の事です。
今回の回は紋狗悠之輔さんの青春が埋もれている場所と反対側の場所になりましたが、結構女子校が多かった気がします。あと、タイプスリップしたかのような町並が点在してて昭和と平成が混ざった独特の感じでした。
文京区の後楽園球場・・・東京ドームのことかな?荒川区の東京スタジアムとか松戸の競馬場とかが出るとヤバイかも。
今度、天邪鬼な紋狗悠之輔の青春の発掘でもしようかな?って地図を見てもビルばっかで、ぺんちゃんが寄りつきそうな施設がない。あんまり行くと飯田橋に出ちゃうし。確かに、出版・印刷系の会社が多い気がする。講談社とか印刷博物館とか。