PEKOのTea Time

PEKOこと山崎浩子のブログです。
新体操の選手と同姓同名ですが、全くの別人です。

耐久レースだったそう!?

2021-05-01 17:29:09 | Weblog
先日の29日の祭日に、
本庄サーキットで開催された3時間耐久レース。
イワセのお客さまが参加されたチームは、
3位入賞だったとのことです。

最近はタイムアタック形式の走行会が多かったそうで、
耐久レースで戦うというのが良かったそうです。
すごく楽しかったそうで、達成感があったと。
人間は時には人と競争することも必要なのかも知れません。
大人になると、人と競争することは少なくなります。
精神的に競争することはあっても、
運動会とか、レースも少ない。
ある意味、アドレナリンがすごく出て、
全てが刺激されて、若返るかも知れません。
雨と聞いていたので行かなかったのですが、
見に行けば良かったかな・・。

そういう意味ではラリーは競争ですが、
1台ずつが何分かおきにスタートするので、
前の車に追いついてしまう以外には、
並走することも少ないです。
それでも私たちはラリーが好き。
明らかにサーキットスポーツとは違いますが、
やっぱりラリーだなあ。
なぜ?の説明はうまくできませんが、
赤ワインと白ワインの好みの違いみたいなものかな。
今年は6月にWRCに「サファリラリー」が復活の予定。
けれど、ケニアには行けそうもありません。
残念だなあ。

写真はイメージです。
良ちゃんが写っていますが、
最近は山梨にも行けない!
ROCKのカレーが食べたい!!



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9 コメント

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岩瀬様のSafari rally 1985年参戦車の写真 (渡邊良夫)
2021-05-12 11:38:12
はじめまして。
唐突な投稿失礼します。
私、1985年にケニアで放浪旅をしていた時に滞在していたMoi's Bridgeという村がサファリラリーのルートになっていて写真を撮影する機会がありました。
その写真の中に車番は泥で汚れて見えないのですが、ワークスとことなるペイントや日本ラジエーターや中西産業の文字が岩瀬様のプロフィールにある写真と一致することから岩瀬様の雄姿に違いないと思いせっかくなのでお伝えしたいと思い投稿しました。
URLのブログにUPしてあります。
スライドの複写のためあまりきれいな写真ではないですが喜んでいただければ幸いです。
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サファリラリー (ヤマザキ)
2021-05-14 13:29:37
ご連絡ありがとうございます。岩瀬と一緒に写真を見させて頂きましたが、おそらく、岩瀬なのではと言っていました。サファリラリーの時期に、放浪していたとは羨ましい限りです。私は社員ですが、初めてのサファリラリーは1992年でしたので、この頃のことは、聞いた話だけです。色々、貴重なお写真もあるかと思います・・・。サファリラリーはお金がかかり過ぎるという理由もあり、世界選手権からは外れていました。でも、来月の6月24-27日にケニアで復活開催される予定です。本当は岩瀬も行きたいと言っていましたが、コロナのこともあり、行けない状況で残念がっています。足立区鹿浜にガレージがありますので、お近くを通られることがありましたが、是非、お寄り頂ければと思います。うちでは、ランチアデルタをはじめ、FORD RS200やランチアS4,FORDエスコート、トヨタセリカなど、今でもWRC(世界ラリー選手権)を戦っていた車両ばかりが入庫しています。また、ケニア人メカニックも在籍しています。日曜、祭日以外は営業していますので、お寄り頂ければと思います。長くなってしまい、すみません。
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ご返事ありがとうございます。 (渡邊良夫)
2021-05-15 21:36:04
ご本人直々に写真を見ていただいたとのことでとても嬉しく思います。1985年のサファリラリーにNissan240RSで参戦られていた日本人は他には岩下良雄様だけです。岩下様とペイントやスポンサーステッカーが同じでなければ100%岩瀬様ですね。
ネットで調べて知りましたが岩瀬様の戦績もすごいです。またこの頃のグループBは過激な車だったのですね。参加車種が多くそれも楽しみでした。
今年からWRCに復活とのことで嬉しいですね。また三菱がラリーに復帰するというのも嬉しいニュースです。
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岩下さんは (ヤマザキ)
2021-05-17 15:21:24
岩下さんは岩瀬の師匠に当たる方で、岩下チームで2台走ったそうです。同じカラーリングの可能性は高いですが、写真を見た岩瀬が、自分ではと言っていました。この頃のグループBカーは本当に過激だったようです。1986年の5月のツールド・コルス・ラリーでH.トイボネン選手が死亡事故を起こしてしまい、その後、グループBは禁止となったようです。以前に、グループBカーのランチアS4を購入した方がいて、何度かサーキットのデモランなどで乗せてもらったことがありますが、まさにモンスターカーでした。
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遅い返事で申し訳ありません。 (渡邊良夫)
2021-05-27 16:04:03
1985サファリは岩下チームとして二台で参戦されたんですね。ランチア・デルタS4のスペックを見たら、昨年のヤリスと較べても馬力で1.2~1.5倍、車重は0.8倍さらに足回りや安全性は当時より向上しているでしょうから、いかにモンスターだったか分かりますね。S4に乗られた時はこの動画のようだったんでしょうね(Thierry Neuvilleとレポーター)
https://www.youtube.com/watch?v=DT2jO4JLEJE
ケニア人のメカニックがいらしゃるとのこと、サファリラリーのご縁でしょうが、そういえば当時はシェカー・メッタ選手が人気で地元新聞も氏のレース経過を大きく取り上げていた記憶があります。
ラリーは全然詳しくないですが妙に縁があって2000年のパリダカールラリーの時はマリ、ニジェール辺りの治安が悪くゴールがエジプトのピラミッド前になり滞在していたので見に行きました。篠塚氏を見ようと待っていましたがリビア砂漠でクラッシュリタイア。後で知ったのですがゴールには松任谷由美やジャッキーチェンが来ていたとか。
また2004年のラリージャパンでは仕事の現場と開催地が重なり宿は取れない、ド田舎で交通渋滞といろいろありました。外国と異なり観戦場所が限られるので見ることはできませんでしたが高速道路を移動中のスバルインプレッサとすれ違って感激したのを覚えています。
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色々ご縁があるのですね (ヤマザキ)
2021-05-28 18:14:58
S.メッタさんは岩瀬がよく存じていました。サファリラリーで5回連続で優勝したドライバーとのことで、英雄だと思います。でも、亡くなってしまい残念です。今でも奥さまとはクリスマスカードなどのやり取りはあり、奥さまと息子さんでクラシックラリーに参戦をしているようです。
私も1987年のパリダカールラリーのスタートのパリに行く機会がありました。三菱自動車のキャンペーンで新聞に載っていたクイズにハガキで応募したら当たったため、パリに行くことができました。その時も、ユーミンも一緒でした。いい思い出です。
私達は毎日新聞社のお手伝いをしていたので、ラリージャパンも現地に行っていたと思います。でも、運営の方を手伝っていたので、走っているのはなかなか見れませんでしたが。その際もS.メッタ氏もラリー委員長でしたので、北海道にはいらしていました。何かとニアミスもしているようですね。
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またまた亀レスで申し訳ありません。 (渡邊良夫)
2021-06-11 17:41:51
S.メッタさんはさん北海道にいらしてたんですね
。なくなられたとのことで残念です。当時はラリーに関わっているケニア人は富裕層のインド系の人ばかりだった気がしますが、最近はネイティブの方々も参加しておられるようでうれしいです。1987年のパリダカールラリーでユーミンとご一緒だったとのこと、ユーミンはラリーファンなんですね。探したら少しですが2000年のゴール地点Gizaで撮った写真がありました。
http://egeo2000.blog.jp/archives/9866830.html
今年のラリージャパンのコースは2020年に予定されていたものに近いのだと想像しますが、愛知岐阜のあの辺りは最近仕事で行くことが多いので観戦は出来なくてもラリーカーを見る機会があればいいななどと思っています。
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ゴール地点良いですね!! (ヤマザキ)
2021-06-14 15:20:28
私はパリのスタートだけでしたので、本当はずっと付いていきたかった・・。なので、ゴール地点など、全く想像の世界でした。羨ましいです。
ラリージャパンのコースの詳細はわかりませんが、行くことになるかも知れません。秋頃までに、ワクチン接種が進みそうなので、11月の開催であれば、問題なくできるのかも・・・です。もし、行くのであれば、岩瀬も一緒かと思いますので、また、ご連絡します!!
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あの地域は縁があるようです。 (渡邊良夫)
2021-06-25 19:55:06
7月は県は違いますが近隣の飯田市に長期出張します。
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