日曜日の倶楽部の例会で僕の数少ない知識の補足ができた。
宝殿駅近くの、生石神社の宙に浮いたように見える巨石を
裏の小高い花崗岩の山を登って見ていて、
昔来たことがあるのを思い出した。
さらに少し東の「高御位山」はトレッキングで2度ほど登っている。
鹿島神社から登り東の北山鹿島神社に降りる縦走路は
結構距離があったのを思い出す。
そう、このあたりは「高御位山」を含めて何度か来たことがある。
その時も北山鹿島神社に降りるあたりが大きな花崗岩の塊だった。
この一帯が花崗岩の山なのだ。
でも「石の宝殿」と言われているのは知らなかった。
歩きながら、花崗岩の産地は有名な
御影の御影石(花崗岩)の地と思っていたが、
ここ宝殿の花崗岩が四国のうどんに関係あるのだと
一人合点がいっていた。
讃岐地方で「うどん」が盛んになったのは
この地方は雨が少なく稲作に適さなかったため、
降雨量が少なくてもできる小麦の栽培が盛んになる。
そして瀬戸内には昔から塩田が多く、
小麦と「うどん」に欠かせない塩が豊富にあったためだ。
そして一番大きな理由は近くに花崗岩が多くとれたこと。
加工の簡単な花崗岩で石臼が発明されたからだ。
戦国時代以前からうどんは食されていたらしい。
ただこの時代、杵と臼で種子を粉にすることは、
餅のように蒸したものならまだしも、
大変な労力と、時間がかかり、少量しか出来ず
「うどん粉」は大変貴重なものであった。
栽培地の領主クラスしか食せず、天皇、将軍への献上品でもあった。
当時の食物としては相当美味しいものだったと思う。
あの「稲庭うどん」で有名な東北の藩では
領主、上級武士以外は食べることも許されず
「うどん」を作る技術さえ門外不出とされ、
確か1軒しか作ることは許されなかったはずだ。
「稲庭うどん」に関しては昭和のほんの少し前の時代までも
数件しか作る所はなく、やっと一般に流通されだしたほどだ。
そんな「うどん」が江戸中期に石臼が発明され、
簡単に「うどん粉」ができるようになり一気に大衆化された。
時代劇で「うどん」の屋台が見られるのはこれ以後の時代設定だ。
花崗岩と言うことで僕はずっと昔から名まで冠した
御影石の御影地方とばかり思っていたが、
この宝殿付近まで、むしろこちらの方が多く産出したのかもしれない。
そんな歴史の推測を楽しめる地方に出会えるのは
本当にウオーキングの面白い所だ。
いつもは倶楽部の代表にそんな話を教えられるばかりだが、
奥さんの実家が四国高知でもあり、その入り口の讃岐が
僕の唯一知っている「うどん」のウンチクである。
なぜか、その思いが一人うれしがって歩いていた。
宝殿駅近くの、生石神社の宙に浮いたように見える巨石を
裏の小高い花崗岩の山を登って見ていて、
昔来たことがあるのを思い出した。
さらに少し東の「高御位山」はトレッキングで2度ほど登っている。
鹿島神社から登り東の北山鹿島神社に降りる縦走路は
結構距離があったのを思い出す。
そう、このあたりは「高御位山」を含めて何度か来たことがある。
その時も北山鹿島神社に降りるあたりが大きな花崗岩の塊だった。
この一帯が花崗岩の山なのだ。
でも「石の宝殿」と言われているのは知らなかった。
歩きながら、花崗岩の産地は有名な
御影の御影石(花崗岩)の地と思っていたが、
ここ宝殿の花崗岩が四国のうどんに関係あるのだと
一人合点がいっていた。
讃岐地方で「うどん」が盛んになったのは
この地方は雨が少なく稲作に適さなかったため、
降雨量が少なくてもできる小麦の栽培が盛んになる。
そして瀬戸内には昔から塩田が多く、
小麦と「うどん」に欠かせない塩が豊富にあったためだ。
そして一番大きな理由は近くに花崗岩が多くとれたこと。
加工の簡単な花崗岩で石臼が発明されたからだ。
戦国時代以前からうどんは食されていたらしい。
ただこの時代、杵と臼で種子を粉にすることは、
餅のように蒸したものならまだしも、
大変な労力と、時間がかかり、少量しか出来ず
「うどん粉」は大変貴重なものであった。
栽培地の領主クラスしか食せず、天皇、将軍への献上品でもあった。
当時の食物としては相当美味しいものだったと思う。
あの「稲庭うどん」で有名な東北の藩では
領主、上級武士以外は食べることも許されず
「うどん」を作る技術さえ門外不出とされ、
確か1軒しか作ることは許されなかったはずだ。
「稲庭うどん」に関しては昭和のほんの少し前の時代までも
数件しか作る所はなく、やっと一般に流通されだしたほどだ。
そんな「うどん」が江戸中期に石臼が発明され、
簡単に「うどん粉」ができるようになり一気に大衆化された。
時代劇で「うどん」の屋台が見られるのはこれ以後の時代設定だ。
花崗岩と言うことで僕はずっと昔から名まで冠した
御影石の御影地方とばかり思っていたが、
この宝殿付近まで、むしろこちらの方が多く産出したのかもしれない。
そんな歴史の推測を楽しめる地方に出会えるのは
本当にウオーキングの面白い所だ。
いつもは倶楽部の代表にそんな話を教えられるばかりだが、
奥さんの実家が四国高知でもあり、その入り口の讃岐が
僕の唯一知っている「うどん」のウンチクである。
なぜか、その思いが一人うれしがって歩いていた。