goo blog サービス終了のお知らせ 

風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

外脛骨?なんだそりゃ?

2012-10-30 07:52:29 | Weblog
外脛骨ってはじめてきいた。

100人に15人くらいの割合でこの骨がある人がいる。ンで、私もその一人なんだそうだ。

なんでこの骨の話になるかっていうと、芸工展の後のことなのだが、街中歩き回ったせいなのか?その次の日教会便りを地域に配り歩いたせいなのか、ウォーキングでも頑張っちゃったせいなのか、足がいたくなったのである。


右足首の内側くるぶしより少し下のあたりがなんだか痛い。歩くと時折ズキっと痛む。捻挫みたいな痛み。たしかに依然右足首を捻挫したことはある。しかし、その時のように足をひねったこともなければこれと言って心当たりがないのだ。

それほど腫れていないのでとりあえず湿布を張って様子を見ていたのだが、それでもまだ痛みはとれない。

それで整形外科に行ったら有痛性外脛骨だった。

有痛性外脛骨?

レントゲンを撮ったときくるぶしの少し下にでっぱりがあり、小さな骨あった。その小さな骨が外脛骨。

この骨がある人は運動のやり過ぎとか、シューズによる圧迫、さらには捻挫などの外傷が引き金となり、他の人よりその部位に痛みが出やすいのだそうだ。

当たり前のことだけど、15%の人がこの骨を持っているということは85%の人たちはこの骨がないのね。

不思議~!

「スポーツ好きですか?」と医者。「いいえ、それほどでは・・・・」

「わりと若い人に多いんだよね。」(・・・・・)(48歳ですが、なにか?)

また型どりして足につけなければならないのかなと思ったが湿布だけで済んでよかった。痛みも少しずつ良くなっている。

小さな骨があったりなかったり、みんな違うのね。面白いものだな人間の体って。

女性の皆さん、乳房検診は超音波検査を必ずしてね!

2012-09-24 09:58:28 | Weblog
今年もまた、人間ドック、今年は山王メディカルセンターにお世話になりました。ものすごく・・・なんというか・・・落ち着いた雰囲気の上品な、高級ホテルみたいな病院でした!!色々と引っかかりましたよ。

ドキッとしたのが、病院からの電話。
人間ドックでその日のうちにわかってお知らせしなければならないことはお電話でお知らせしますっていうのがあるんだけど、これが、かかってきちゃったわけです。

乳房検査でひっかかったとのこと。ということは悪性か良性かのしこりがあるということ。

そのための再検査を進める電話だったのだ!

ドキドキしながら再検査にのぞみました。
しこりは両胸に見つかった。右胸は1cm以下の小さいもの、超音波画像からのう胞と呼ばれるもので今は心配ないということ、しかし左胸のしこりは1cm以上で画像も良性のようだけれどもとても微妙。年齢的に乳がんになってもおかしくないということなので生体組織検査をうけることに。

生体組織検査は4か所の違った場所からからしこりに針を刺して中の組織をとりだすもの。麻酔で痛くなかったけど、一瞬に針を組織へ入れるためのバネの音がバチンと大きな音を立てるのでちょっと怖いかんじ。



私は依然、23歳のころ良性腫瘤・線維腺腫があって摘出手術を受けている。今回はどうなのか…。不安を抱えながら結果が出るまでの1週間。

そして、結果は「良性腫瘤」つまり、また「線維腺腫」だったのです。悪性じゃなかったのでひとまず安心。でも大きくなるようだったらやっぱり摘出手術はあるのですって。。。


それにしても毎年人間ドック受けてたのになんで??? 

先生が超音波は去年受けなかったんですか?って聞いてきたので思い出した!

そういえばずっとマンモグラフィーだけで超音波は受けていなかったのだ。マンモグラフィーをすればそれで大丈夫と思っていたのだが、担当の先生が言うにはマンモグラフィーだけでは不十分なのだそうだ。しこりが映らないことがあるんですって。

ネットでそのことを調べていたらこんなサイトがあったよ。

All About 乳がん.info

ですから女性の皆さん、乳房検診はマンモグラフィーだけでなく超音波検査も受けたほうがいいですよ。

特別なお母さん

2012-08-05 00:31:31 | Weblog
先日、ある方がこの詩を紹介してくれました。
とても励まされました。




「特別なお母さん」 エルマ・ボンベック



母親になる女性にはいろいろいます。思いがけなくなる人、自ら望んでなる人、周りのプレッシャーからなる人、また慣習でなる人。今年、約100,000人もの女性が障碍児の母親になります。

どうやって障碍児の母親に選ばれるか考えたことがありますか?
私はなぜか神様が地球の上を浮遊しながら生殖のための器を丹誠込めて選び抜いておられるような気がします。神様が観察されたことを天使達に大きな台帳に記入させます。

「アームストロング、ベス、息子。守護聖人はマタイ。フォレスト、マージョリー、娘。守護聖人はセシリア。ラトレッジ、キャリー、双子。守護聖人は…そうだな、ジェラルドにしよう。彼は冒涜にはなれているから。」


最後に神様は天使達にある女性の名前をお伝えになり、
「彼女には障碍児を与えなさい」とおっしゃいます。

天使達は不思議に思います。「なぜこの人なのですか?とても幸せそうなのに?」

「まさしく。」と神は微笑まれます。「喜びを知らない母親にどうして障碍を持った子を与えられよう。それはあまりにも残酷です。」

「この人には忍耐はありますか?」と天使が訪ねます。

「あまり忍耐がありすぎると、哀れみと絶望の海に溺れてしまう。彼女ならショックと憤りを乗り越てしまえば大丈夫。」

「私は今日を彼女見ていた。彼女は母親としてまれで重要な自我と自立心を持っている女性である。彼女には自己の世界を持っている子供を授けるが、その子を彼女の世界に引き込む必要がある。しかし、それは容易な事ではない。」

「でも神様、彼女はあなたを信仰していないと思いますが。」

神様は微笑まれます。「それは心配には及ばない。彼女は最適だ。ちょうど良いくらいの身勝手さを持っている。」

天使は驚きの声を上げます。「身勝手さが長所なのですか?」

神様はうなずかれます。「時に子どもから離れることができなければ、長くは持たないだろう。この女性には完璧ではない子どもを与える。今は気づいていないが、やがて人にうらやましがられるようになる。」

「彼女なら子どもが発したことばを当然のことと受け流すことはないだろう。子どもがはじめの一歩を踏み出すことを当たり前だと思うことはないだろう。

子どもが「ママ」と初めて言えるようになったときに奇跡を見たと思うだろう。

目の見えない子に木や夕焼けを説明するとき、ほかの誰も見えない
ような目で私の創造物を見ることができるだろう。」

「彼女には私が見えるもの、たとえば、無知や冷酷さや差別を見せてあげよう。

そして彼女にそれらを克服させよう。彼女は一人になることはないだろう。私のための仕事をするのだから、私は毎日、毎分、一生、彼女のそばにいつもついていてあげよう。今彼女が私の傍らにいるように。」

「彼女の守護聖人は誰にしましょう?」と天使がペンを構えてたずねます。

神様は微笑まれながらこうおっしゃいます。「鏡で十分だ。」





いじめ

2012-07-10 08:34:01 | Weblog
畑澤聖悟さんという現役教師が描いた「親の顔が見てみたい」という劇を見たことがある。私はこの劇を見る前、勝手にコミカルな劇かなぁと想像して楽しみにしていたのだが…楽しい演劇への期待は無残にも打ち砕かれた。これがとても重いテーマだったのだ。

しかし、たった一度見ただけなのにその劇は鮮明に頭の中に残っている。それだけ引き込まれる物語だった。

テーマは「いじめ」。いじめた側の子どもたちの親が必死にその罪を隠そうとする様子が描かれている。

私立女子中学校の会議室が舞台になっている。
ある日数人の保護者たちが会議室に集められる。
聞けばある女子中学生が自殺をしたという。自分たちには全く関係がないと思っていた保護者達はそこで自分たちの娘がいじめの加害者だということを聞かされるのだ。自殺をした生徒の遺書に加害者のクラスメートの名前が書かれていたからだった。
バックグラウンドが全く違うそれぞれの親たちだが、必死に子どもをかばおうとする。いじめをなかったことにしたかった彼らだったが自殺した生徒のまわりの人たちが次々事実を明るみにしていく。そのいじめのひどいことといったら!事実を認めない親、知っていた親、事実を知って隠蔽しようとする親。現場の教師は対応に戸惑うばかり。。。

現実に起こり得る話。とても演劇の物語の世界とは思えない。

事実、今も大津市のいじめの問題、北本市のいじめの問題がニュースで毎日のように取り上げられている。このニュースを聞くたびにこの劇を思い出していた。教育委員会は自殺の練習をさせられていたことを隠し、北本市の事件でも裁判所も自殺といじめの因果関係をみとめず、学校側の怠慢もみとめない。

いやだな毎日こんなニュース、やるせなくなってくる。

私も中学生の時いじめを受けたことがある。言葉によるいじめ、あるいはクラス中からの無視。いじめの首謀者たちが陰で「自殺すればいいのに」と言っていたのを聞いてしまったことがある。悔しかったから「思い通りになってやるもんか!」と学校は一度も休まなかった。休み時間は誰とも話さず、本を読んで過ごした。何か嫌なことを言われても無視を通した。

心配した母が担任に相談した。「どうしてなんでしょうかねぇ」だけだった。その後担任はクラス全員にアンケートを書かせた。私は書くのをためらった。書くのにためらってけれど、やっと書き始めたころに時間切れになってしまい、いじめられていますとまでかけなかった。が何か悩んでいることぐらいはその文章の途中までよめば先生はわかってくれるだろうかと少し期待したが、助けてはくれなかった。教師なんてそんなものだなとあきらめた。私の場合はまだ言葉や態度によるものだからなんとかなったのかもしれない。

そしてもう一つ、私はいじめに加担してしまったこともあるのだ。いじめられたことがどんなに嫌なものだったかわかっているのに。
その子は私が小学校の頃から仲良くしていた子だった。何が原因だったのか、たぶん私の心の中に誰からも好かれる彼女へのねたみがあったのかもしれない。誰かが彼女の悪口を言った。「あの子はこういうところがあるよね」陰でひそひそ話。くすくす笑う。それに私はおろかにも乗ってしまったのだ。その時の変な一体感がなにか妙に心地よかった。

でもさすがに罪悪感が付きまとった。馬鹿らしくなりほどなくしてやめた。そして自分も加害者になり得るのだと痛感した。私は友達を裏切った最低の人間。

しかし、この後、幸運にも彼女とはまた仲よくすることができた。私に普通に接してくれて、赦してくれた彼女にはとても感謝している。今もいい友人、いや、こんな私が友人とよんでいいのかな・・・・?ありがとう、あの時は本当にごめんなさい!


それから何年もたって結婚し、子供ができて、今度は子供のいじめで悩んだ。子どもには発達障害があったから、その言動が理解されず、みなと一緒のことができないことがいじめの原因になっていた。それはアメリカの日本語補習校に行ってた頃、帰ってきて気づいたことは彼のバックパックに無数の足跡が付いていたこと。そして帰国して通学していた地元中学でも障害児という意味で「ガイジ」とからかわれた。ノートが破られた。机が所定の位置から隅のほうへ追いやられる。そんなことが続いたから地元の学校へはいかせず、フリースクールで学ばせた。


これは余談だけど、もちろんアメリカの学校でも彼をよく思わない生徒はいたらしい。ちらほらとそんなことを聞いたので先生に相談するとそれが発達障害によるものだということ先生自ら特別授業という形で生徒らに説明してくれた。お互いに理解しあうべきであるという先生の配慮だった。
なんだろうな、この違い。少なくともアメリカの教師たちは問題をそのままにはしない。それにスクールカウンセラーが常駐している。また、困ったとき助けを求めることを最初からおしえられていたから、子どもはいつでも助けを呼びやすい環境にあるのかもしれない。(これは私が住んでいた街の話だけれど。)



いじめをしている人は気づいてくれ。自分の心の中の汚さに。人をいじめる人たちの一体感なんてまやかしのもの。人を悲しませるな、悪いことに加担するな。人の心も自分の心も傷つけることになる。いじめを正当化するな!


いじめられている人は我慢なんてしないで。親に、先生に、まわりのだれでもいい信頼できる大人に相談して。誰が何と言おうとあなたを作られた神様が「あなたは高価で尊い。」と言っているのだから自分を大切にしてほしい。

生きろ!そんな奴らのために命をすてるな!あなたの世界は学校だけじゃない。あなたが安心して学べるところが一番の学び舎。



今日もテレビでこの話題。テレビ番組で紹介された教師の意見は「いじめはなくならないと思う」だった。それはそうだろう思うけど、ひどくならないように食い止めることはできる。いじめはあったと認めることもできる。そこをなんとかするのも教育じゃないのか。

もう「いじめは難しい問題だから」でかたづけられない。


母のこと

2012-07-09 13:12:49 | Weblog
母はもうすぐ83歳になる。

このところ健康の不安をを訴えることが多くなった。先週は病院に3回も連れて行った。

先日、夕方になって電話がかかってきた。

「(フルートの)練習してたの?」なんだかその声がとても元気がなかった。
「どうしたの?元気ないじゃん。」

最初は練習してるのに悪いからと電話を切りそうだったのが、そう聞いてみると歩くのがつらいくらい足が痛いという。

歩けないからずっと安静にしていたらしい。遠慮しないでもっと早くいってくれればいいのに。

「車を出すから早く医者に行こう」とすぐ母を迎えに行った。

医者についたのは受付終了間際だった。そのため検査は次の日になり、痛みどめをもらって帰った。

次の日検査を受けて先生から「脊柱管狭窄症」と言われ、痛みは座骨神経痛ということだった。腰に注射をしてもらったらだいぶ痛みが治まったようだ。


その次の日、また、電話。すると今度は手足がピリピリしびれてきて心臓もはってくる感じがして怖かったという。
そしてもう一回病院へ。ついでに健康診断もしてしまおうということになった。

心臓に異常なし。血液検査も異常なし。ほ~、よかった。。。。血圧は高いけど・・・。

しびれは糖尿病による神経障害からもかんがえられるし、脊柱管狭窄症からくるものかもしれない、ほかにも母にはたくさんの病気があるのでどこからと特定できないそうだ。それに糖尿病からくる痺れには薬が前からでているということだった。

医者につれていくまで気が気じゃなかった。もしかしたら動脈硬化?心臓が悪いのか?医者は信頼できる人なのか?

セカンドオピニオンも考えて望んでいたが、実際に行ってみると医者も看護婦もとても良い印象を受けた。難しい病名は使わずにわかりやすいように原因などを説明していた。母は「今日はお前がいたからいつもより説明が丁寧だったね。」なんていっていたけど。それに母は今の病院を変えたくないのだそうだ。だけどあんまり痛みやしびれが続くようなら別の医者に行くことも私はかんがえている。


本当に心配で一時期はこちらが息苦しくなってまたパニック発作が起こるかもしれないという不安にかられた。でも母のほっとした顔を見て一安心。

今回は働いていない時期だったからすぐ対処できたし、医者の送り迎えもできた。これからももっと気を付けてあげなければなぁ。う~ん、仕事どうしよ。。。

NPO法人「燈台」の現地報告会がことしもありますよ~!

2012-06-21 00:58:01 | Weblog
アフガン難民の医療支援、教育支援をしているNPO法人「燈台」の現地報告会2012&チャリティーコンサートがあります。

日時:6月30日(土曜日)午後2:00(1:30開場)
会場:お茶の水クリスチャンセンター8Fホール

内容:NPO法人燈台(アフガン難民救援協力会)現地活動報告会2012
    オクサーナ・ステパニュック(コロラトゥーラソプラノ)
    チャリティーコンサート(w/ピアノ:比留間千里)

問い合わせ:電話:048-591-7191
南福音診療所内「燈台」事務局

チケット:前売り1,300円   
*チケットのお申し込みはFAXでどうぞ!048-591-9668 
6月23日締切!

当日券は1,500円 
    
詳細をぽちっとな

こちらは「燈台」のホームページ

続・大エルミタージュ展・17世紀~20世紀

2012-06-01 07:07:49 | Weblog
感動した作品がおおすぎる!たくさんの作品のレビューを書きたいのだけど、無理だな。

それではつづきを・・・・。

「ゴリアテの首を持つダヴィデ」ヤコプ・ファン・オーストI世


あどけない少年ダヴィデ(のちのダヴィデ王)がペリシテ軍の巨人ゴリアテの首を持っている図。

どんな場面を描いているのか?
これは旧約聖書の第一サムエル記17章の場面。
ゴリアテはペリシテ人軍の代表戦士として登場する。背の高さが3mに達するかと思われるほどの巨人であり、50kgをこえる鎧で完全武装していたというその戦士に少年ダヴィデが戦いに挑む。巨人と、かたや羊飼いであり、音楽療法士として王に召し抱えられていた少年。

ダヴィデは羊飼いの持ち物の石投げと石をもって立ち向かった。石投げで投げた一つの石がゴリアテの額に命中、石は額に食い込みゴリアテは倒れた。そしてゴリアテの剣でもってとどめを刺して、首をはねた。

この場面は信仰による勝利を描いている。ドラマティックなこの主題を描いている画家は多い。カラヴァチォ(3作品も!)、ティッツィアーノ、ミケランジェロ、グエルチーノ、グレド・レーニ、ストロッツィ、などなど。比較して鑑賞するのもいいけど、やっぱり恐ろしい絵だな・・・。




「牛飼いの女」ヤン・シビレヒツ

あつい夏の午後なのか、牛を放牧している牛飼いの女が木の根元に座り休んで汗を拭いているのどかな風景。こういう日常生活が垣間見える風景画はいいな。じつにのどか。




「農婦と猫」ダーフィト・ライカールト3世

農婦のおばあちゃんが猫にご飯を食べさせようとしている。まるで猫を赤ちゃんのように「おくるみ」に来るんで、その顔はとても愛情にあふれた優しく微笑んでいる顔。でも猫は身動きがとれなくて迷惑そう。。。その迷惑そうな表情がとてもいい。。。




「ヤコブに長子の権利を売るエサウ」マティアス・ストーマー

これも旧約聖書(創世記25章の話)。
長子の権利とは親から受け継がれる神様からの祝福。ある日狩りから帰ってきたエサウは空腹から、双子の弟のヤコブが作っていた豆の煮ものがほしいために、「今すぐ長子の権利を私に売りなさい」というヤコブの言葉にのって誓いを立て長子の権利を売ってしまうのである。ほんの一時の空腹のために神の祝福を軽蔑したのだ。

この絵にはヤコブ、エサウ、彼らの母親のリベカが描かれている。兄弟が前面にほのかなろうそくの光によって顔が照らされている中、リベカはヤコブのそば、それも奥のほうに描かれ、薄暗い中にリベカの顔が浮かんでいる。この場面ではただの兄弟の口約束にすぎなかったのだが、この話の後半はヤコブを偏愛するリベカがヤコブに入れ知恵をして兄のエサウから本当に神の祝福をだまし取ることになるのだ。

だからこの絵の暗闇の中のリベカはヤコブの影で祝福を奪い取るようにまるでヤコブを操っているように実にその表情が興味深い。





「パレルモ港の入り口、月夜」クロード=ジョゼフ・ヴェルネ

夜のパレルモ港の風景。夜の海に満月が雲の切れ目から顔を出し、大きな帆船のシルエットを浮かび上がらせてる。右下のほうには船を待つ人々だろうか、たき火をしてその光にうす暗くぼんやりと人々の様子がわかる。暗い色調なのに美しい絵だ。パレルモ港があるのはシチリア島。ああ、行ってみたい。



「エカテリーナ2世の肖像」リチャード・ブロンプトン

絹のような髪の毛、澄んだ青い瞳、バラ色の頬、美しさと威厳に満ちた肖像画。
エカテリーナ2世の文化戦略のひとつが、積極的な美術品の収集だった。ロシアの財力と文化水準をヨーロッパ諸国に誇示するために海外から多数の美術品を購入し、宮殿内の美術ギャラリーに展示し、それがエルミタージュ美術館の礎となるのである。





「死の天使」オラース・ヴェルネ

ベッドの傍らに祈る人がいる。壁にキリストの肖像画、机の上には聖書。美しい白い服の女性(少女?)が天上を指さし、黒い天使に支えられて今まさに天に召されようとしている。女性の顔は白く輝き、穏やかな顔をしている。とても美しい絵なんだけど・・・。

天の御国に帰るのだから穏やかな顔をしているのはわかるのだが、なんで天使を黒くしてしまったのか。この天使、天使というよりは死神に見える。まるでハリーポッターに出てくるデス・イーターのように不気味。本当に天国につれって行っていってくれるの?と思ってしまった。どうせならその女性のような美しい天使がいいと思うのだが…。この作品はヴェルネ自身の娘の死が影響されているという。






「廃墟(内なる声)」ジェイムス・ティソ

実はこの作品が一番心に残った作品。この絵を見たとき涙がでてきた。

廃墟のがれきの中で疲れている農民夫婦。荷物が前方にあるのは彼らが巡礼者だから。行き場がない人たちのようにも見える。その一人によりかかるように寄り添う傷だらけのキリスト。茨の冠をかぶり、悲惨なまでに傷だらけのキリスト。瀕死の状態のようにも見える。それはグリューネヴァルトのイーゼンハイムの教会に掲げられていた祭壇画の磔刑のキリストの絵をほうふつとさせる。キリストの衣にはアダムとエヴァの原罪、ユダの接吻の場面が描かれている。

キリストはいつも弱い者とともにおられる、友なき人の友であり、行き場のない人、迷える人を導かれる。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。」と言われ、暗闇の中に光をもたらし、恐れがあるとき、いつも「恐れるな私はあなたと共にいる」といわれる方なのだ。

衣にアダムとエヴァの原罪とユダの接吻が描かれていたが、罪ある私たちをそのまま愛し、赦してくださる、またユダのように裏切っても悔い改めれば赦してくださる深い愛の神ということを描きたかったのだろうか。

この作品は1885年パリのゼードルマイヤー画廊に出品した《パリの女・15点シリーズ》の最後の作品《聖なる音楽》(所在不明)を制作中に,サン・シュルピス寺院のミサで,キリストの聖霊が現れたのを目にし、その神秘的な経験によって彼は《内なる声(廃墟)》を描いた。以後,ティソは世俗の主題から離れ,《キリストの生涯》の挿絵を描くことを決心した(ただし依頼された肖像画は例外)という。

きっとイエス・キリストを知らない人がこれを見たら気持ちが悪いと思うかもしれないが、この絵は何を意味してるのと思うかもしれないが、クリスチャンの私にとっては涙がでるほど心が揺さぶられる絵だったのだ。


大エルミタージュ美術館展!よかったよ!

金環日食!

2012-05-21 16:52:20 | Weblog
金環日食見ましたか~!
初めて見ました!感動!

実は小学生のころから天文ファン。そうです!元祖空ガール。もうガールなんていえないけどさっ・・・。月の観察とか、流星観測とかやったもんです。高校の地学の自由研究では「流星観測」で「Aー」もらったよ。その頃はよく星空をみていたっけ。


今もうないかな~、天文雑誌の「天文ガイド」、「スカイウォッチャー」。そんな雑誌とにらめっこしてた時もあった。天文ファンだったけど、天体ショーのために旅行するほど熱心ではない。それに結婚して子供できてからすっかりそんな雑誌も読まなくなってしまった。それでもヘールボップ彗星も子供たちと見たし、アメリカの家は窓が大きかったから窓越しに流星を見たり、近くの天文台で星雲などをみせてもらったこともあった。

部分日食、月食その都度見るけど、皆既日食も金環日食もわりと外国で見ることがあっても、日本のしかも関東で見られることなんて今まであったかしら?それだけに今回は見逃したくなかったんだ。

曇りという予報も私たちの地域は晴れ!

やったー!晴れたー!神様、ありがとう!

長男と一緒にベランダで日食グラスをかわりばんこにつかいながら見ました。太陽に月の影がだんだん大きくなっていく。その様子に長男も感動していましたよ。ベランダには低木が植えてあるんですが、そこからの木漏れ日がちゃんとまん丸のリングになっているんです。すごい!


ちゃんと映るかどうかわからなかったけど、デジカメの対物レンズに日食グラスをあてて撮ってみました。

これです!



固定していないのでこんなにずれた位置に…。また、ズームめいっぱいしてるため粒子があらかったけど・・・。
最近のデジカメは撮れちゃうものなんですね。すごいわ。

日食を通して太陽ってすごいって思ってしまった。日食が進むたびに日の光が減ってきて夕方のような日差しに・・・そして、温度もひくくなる。太陽から受ける恩恵はものすごいねと長男と話しました。

そういう太陽を創られた神様はすごいわ!

見た後はうれしくってハイドンのオラトリオ天地創造から「御空は語る神の栄誉」を思わず歌ってしまった~。

(今、ユーオーディアで合唱を習っていて、この曲を練習中なんです。9月に発表の予定。私はアルトパート)


「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇​19篇1節)

幸せをくれた男の子

2012-05-15 00:36:27 | Weblog
日曜日の午後、教会で新しく始まる英会話クラスのチラシを地域にくばってたんだけど、そういうのを快く思わない方もいていやみを言われてすご~く嫌な気分になっていたんだ。でもね途中で出会った小学校2年くらいの男の子に、とっても幸せな気分にさせてもらったよ。

その子は私を手招きして何かを見せてくれようとしていた。見るとそれは大きな4つ葉のクローバー。

「すごいね!」というと男の子はにこにこしながら私に「あげる。」と言ってプレゼントしてくれたの。

「え~!いいの?!」と聞くと、その子はうれしそうに「うん。」
「ありがとう!宝物にするね。ありがとうね。」と私。その子は「どういたしまして」とにこっと笑って去っていった。

嫌~な気持ちはどこかにすっ飛んでしまったよ。それからうれしくてずっと心がホカホカしていたんだ。





そしてこんな聖書の場面を思い出したよ。

「さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、身元に連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。

イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。

「子どもたちを私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国はこのような者たちのものです。まことにあなた方に告げます。子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに、入ることはできません。」

そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。


四葉のクローバーは幸せをもたらすというけれど、幸せを私に届けてくれたのはあの男の子。
四葉のクローバーはめずらしいし、かわいいけれど、幸せをもたらすのは物ではなくて分かち合う心なんだと思う。

神様、あの男の子との出会いを感謝します。


3月の出来事

2012-04-13 09:03:56 | Weblog
久々にブログ更新です。

3月はなんだかあわただしかったですねぇ。。。

次男の卒業式からもう1か月もたっちゃったじゃないですか。

なんといってもフルートの発表の場が3回もあったんです。

一つアカデミーの授業の1つとして証コンサートというのがあります。

私たちはクリスチャン音楽家なのでコンサートも神様を賛美する場となります。どうしてクリスチャンになったのかというお話を交えながら1人15分間の持ち時間で2,3曲を演奏するのです。

私の選曲は次の通り。

賛美歌「いつくしみ深き」
賛美歌「だから今日希望がある」
賛美歌「この世のなみかぜさわぎ」

「いつくしみ深き」は皆さんもよく知ってる曲ですよ。キリスト教式の結婚式を挙げた方なら歌ったことがあると思います。また、小学校唱歌で「星の世界」と言ったらメロディーがわかるでしょうか?

「だから今日希望がある」は以前、このブログでも取り上げたことがあるタンゴの讃美歌です。この曲の譜面はピアノのものしかないので、フルート用はちょっとばかり自分でメロディーを編曲しました。伴奏者の方にはいろいろ相談しましたが本当に素敵なピアノ伴奏にしてくださいました。さすがはK先生!

「この世のなみかぜさわぎ」もまたよく知られたメロディーなんです。ほらほら、あのロンドンデリーの歌ですよ。

この曲の合間にお話しした私がクリスチャンになるまでのお話は過去記事「バプテスマを受けるまで」「バプテスマをうけるまでー続きー」という題で書いてます。カテゴリーの中の証という部分にはいってます。



さて2つめ。3月20日は私にフルートを教えてくださってる紫園香先生の門下生の発表会・香笛の会がありました。

3月31日はアカデミーの期末試験でした。どちらも演奏した曲はベーム作曲「華麗なるスイス民謡変奏曲」。

難しかった…。音源が見つからず苦労しました。というのもこの変奏曲の全曲を演奏しているCDがないんですよ。この曲はテーマも含めて7曲の短い曲でできていますが、CDやYOUTUBEで見つけた演奏者は3曲くらいの演奏なんです。

難しかったですが、本当に素敵な曲です。ピアノの情熱的な出だしに始まりフルートが歌い、早いパッセージもたくさん出てきます。この速いところを譜面に書いてある速度でふけたらよかったんですが、直前の練習までうまくいかないので確実にふける速度で演奏しました。テーマのメロディーは本当にのどかで美しく、スイスのおおらかさがあらわされています。

変奏曲なのでこのテーマが変わっていきます。だんだん音符が細かくなっていく!のです。2番目はかわいらしい感じ。
3番目の変奏曲はヨーデルを連想させるメロディー出てきます。私もヨーデルをうたっている感じで…そう聞こえたかどうかわかりませんが、そんな感じで演奏しました。まるでアルプスの少女のように(うそ!
変奏4番目、今までとは打って変わったなめらかでもっと美しいメロディー。しかし、この部分が一番難しかったです。フルートは4拍子なんですが、ピアノは3連府を刻んでいくのです。だからフルートの付点の部分でずれが生じやすくなってしまうのです。何度も何度も練習したんですが、本番ではやっぱり3連符につられてしまいました。
変奏最後の曲は軽快な早いパッセージが続き華やかに終わります。しかし、ブレスをとるのに四苦八苦。息切れ、う~ん・・練習不足だな。

今回もこの曲を通して曲のイメージをつかむのに音源に頼りすぎてしまうことに気づきました。音楽って音符に関しては本当に数学的なんです。私は数学的な部分が本当に苦手。でもそれは避けて通れないし逃げたらだめだな。もっと頑張ろうっと。


そうそう、3月31日のアカデミーの期末試験は声楽、クラリネット、オーボエ、フルート、ピアノ、バイオリンの学生たちがそれぞれ演奏するので本当にちょっとしたコンサートなんです。だけど、審査官は10人以上目の前にいるので非常に緊張します。しかし、非常に贅沢な時間であり、勉強になります。そしてジュニア科の子供たち、若い方々の一生懸命な演奏。素晴らしかった。私はただただすごいな~と感心するばかりでした。また、この日は同じアカデミーの学生たちとの楽しい交流の時、卒業試験を受ける方の証コンサートなど恵まれた時となりました。