風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

茶トラが帰ってきた!

2006-09-28 21:20:43 | 我が愛猫たち
夕方、里親会から電話があった。

「茶トラが帰ってきたようなんですよ」

ああ、よかった。事故とかにあってなくて。へんな人に捕まってなくて。猫殺しとかあるからね。

我が家に来るのは来週になるそうだ。1週間のトライアルをしてから決める事になる。

週末は猫ちゃんグッズを買いにホームセンターに行く事になるだろう。
もう名前はきめてあるんだ。

皆様お騒がせしました。

そりゃないよ・・・・

2006-09-28 16:35:38 | 我が愛猫たち
子猫を迎えるに当たってここ2,3日異常にテンション高かった私。
今朝それが一気にダウン。

そのわけは今朝の電話。
里親会からだった。なんと、里親の申し込みをした子猫ちゃんがいなくなってしまったとのこと!

ええ~!何で!と思いましたよ。
その人の話によると里親募集のサイトに乗せていたがその時点で子猫をまだ保護してケージにいれているわけではなかった。つまり、まだ野良猫として外にそのままの状態になっていたらしい。保護しようと思っていた矢先にいなくなってしまったとの事。誰かに連れて行かれたのかそれとも親猫がどこかに隠してしまったのか・・・。誰かに連れて行かれて幸せになるならいいけどね。。。。

申し訳ありませんといわれたら「いいですよ、しようがないです。」というしかない。見つけたら連絡しますといっていたけど。。。
今ドーンと落ち込んでいる。

お願い・・・・保護してから里親募集してよ・・・・。

少し待って連絡がないようならまた新たに申し込もう。

とうとう申し込んじゃった!

2006-09-27 00:38:14 | 我が愛猫たち
うふふふふふ。

とうとう申し込んじゃったのだ。何って・・・・。それは・・・・。
捨て猫の里親~!!!!

私は動物なんでも好きなんだけど、どちらかというと猫派。
子どもの頃は実家で「みぃのすけ」と「チャック」という猫をかっていた。

近所の「でるでるちゃん」(猫)も「ラルゴ」(犬)もかわいいのだけどやっぱり自分で猫を飼いたかったんだ~。ずぅ~っと。

子ども達も今年の夏、母の田舎で猫と遊んでからすっかり猫にめろめろになってしまっていたのでもちろん猫を飼う事は大賛成!残りはだんなだ。

今までずぅ~っとだんなを説得していたのだ。だんなもどちらかというと猫派のクセに「旅行にいけなくなる」とか「家の中だけじゃかわいそうだ。猫はもっと自由であるべきだ。」とかなんだかんだと理由をつけて反対していたのだ。そりゃわかるけどね・・・・・。私もそう思っていたから。

でも里親ボランティアの友人が何人かいるが、その方たちの活動をしってから捨て犬猫のおかれている厳しい状況をしった。おびただしい数の捨て犬猫が安楽死という言葉で表現されているが本当はガス室で苦しみながら処分されている。かわいらしい子犬や子猫でさえも。

友人は捨て犬を保護して終生かわいがってくれる里親を見つけている。その方の家には自分の犬4匹、保護犬5匹、計9匹の犬を世話をしている。犬の健康管理もちゃんとしている。そういう活動を知るたびに尊いボランティアだなと感心してしまう。同じマンションの友人も2匹の犬を飼っているが、ひどいブリーダーが放棄した犬をもう一匹、新しい家族として迎えた。わたしにはとても彼らのような活動はできないけど、捨て猫の1匹だけでも共に生きていけるのならと思う。

そんな話を根気よくだんなに話して説得。やっとお許しが出たわけなの・・・。

申し込んだのは茶トラの生後1ヶ月ほどの子猫。
早く会いたいな。

捨て犬猫の里親に興味がある方はこちらをどうぞ。

「いつでも里親募集中」





アフタヌーンコンサート

2006-09-24 21:30:49 | 音楽
今日は久々に会場をかりてのコンサートだった。

前にブログで「舞台が怖い」という題で記事を書いたのだがその時にちょうど受けたコンサートが今日あったのだ。

今日のコンサートは日ごろお世話になっている音楽教室の楽院長で作曲家の先生が「(コンサートに)いい機会だからみんなで一緒にやろうよ」とお声をかけていただいたのがきっかけだった。1部は私達の音楽ボランティアグループでクラッシックを、2部、3部が楽院長先生のピアノとウッドベース奏者のジャズ、ジャズと朗読のコラボレーションという内容だった。

私はバッハの無伴奏ソナタ・パルティータ A minor BWV1013から1番と3番、同じくバッハでフルートソナタ E-flat Major BWV1031から2番の「シチリアーノ」を演奏した。

この曲は高校時代からあっためてきた曲。高校の吹奏楽部はコンクールでいつも上位に入賞した学校だったので、時々どの程度演奏できるのかというテストがあったくらいに熱心な顧問の先生がいた。その課題曲がこれだった。コンサートでは今まで無伴奏の曲を一度もやった事がなかったのでこの曲をいつかやってみたいと思っていたのだ。

今回はなんと一番初めに演奏!
直前まで落ち着いていたのに吹き始めてから変な震えが・・・・。
(あ~まただめなのか・・・・)とあせる。息継ぎがうまくいかなくて苦しい。。。そのうち、ちょっとミスった。(あ~もうだめ!)

そんな事を考えているうちになんかもうやけくそになってしまった。
(間違えたってもういいや!なんとでもなれ!こんちくしょう!)
そうしたら面白いもので何か吹っ切れた。2曲目からはとっても調子が良くなってしまった。あがる事もなく落ち着いてふける。ただ、右手だけが変に震えていた。

終わったら腕がとっても疲れている。後頭部から首すじにかけてつっぱって痛い。緊張のせいで変に力が入っていたようだ。
で、演奏が終わってちょっと落ち込んだ。1曲目のことで。リズムが崩れたとか変な音が出てしまったとか、なんで震えがくるんだろうなーなんて。先生は深みのあるいい音がでていたとほめてくださったが、1曲目の演奏に満足できなかった。パーフェクトに吹きたかったのだ。

でもその後の打ち上げの時、先生がとてもいい話をしてくれた。


*「パーフェクトな演奏が普通だ」とか「こうあるべき」と思ってはいけない事。
*本番は何があるかわからないが、だからやっていて面白いという事。
*お客が気づかないようなミスで悩むか、また、ミスをしてもそれを感じさせないくらい楽しむかの差なのだという事。
*お客受けを狙った曲はお客は喜ばせようとしているんだという理解があっても感動はしない。かえって自分の思い入れがある好きな曲のほうが裸の自分になれるから自分の思いが相手に伝わるという事。
*有名な演奏家の演奏を理想としない。それにとらわれてしまうから。自分の曲作りを目指せばいい。

こういう話をしていて、本当に目からうろこ状態。吹っ切れた。
そういう意味で今日のコンサートはすごくいい勉強になった。

もう悩まない。バッハは難しい。いつも同じ演奏になるとは限らない。きっと今度演奏する時はまた違うバッハになるだろう。もう一度練習して挑戦してみよう。今度はどんなバッハになるか楽しみだ。


虫の音

2006-09-15 22:52:21 | 虫、植物、動物、自然
この頃虫の音がすごい。

近くのファミレスの植え込みや空き地から夜になると特にすごくなる。無数の鈴をジャンジャカ一斉に鳴らしたみたい。まるでムシムシ合奏団。

この間、物干しのところで小さな虫を見つけた。
茶色というよりコーヒー牛乳みたいな色の虫。見たことがなかった虫だったのでとりあえず捕獲し観察してみた。図鑑によると「カネタタキ」でその音は「チン、チン、チン」だった。卵管があるからメス。

そういえばよくベランダの近くでそんな虫の音が聞こえていた。一番小さい鈴を鳴らしたような高くてきれいな音。きゅうりをあげてみたが食べないので子ども達に見せた後はすぐ逃がしてあげた。

この近辺はこの頃マンションや住宅がどんどんたっている。引っ越してきた小学生の頃は自然がたくさんあって、まるで隣のトトロの風景だった。東京の板橋区に住んでいたのだが、そこは自然は少なく引っ越してきた埼玉にはものめずらしいものがたくさんあった。野鳥、植物、動物、いつも何かを見つけてはその後、図鑑とにらめっこ。

私はおてんばだったので近くの林に行っては藤のつるでターザンごっことかしてあそんでいた。家の中にクツワムシ、クワガタ、タマムシが飛び込んできたり、近くの林からコジュケイの「チョットコイ、チョットコイ」という大きな声が聞こえてきたり、ヒグラシの大合唱、アマガエル、大きなカタツムリ。

また、実家の前が原っぱだった頃、ホコリタケというきのこがいたるところにはえていて、これが結構お気に入りだった。このきのこは踏むと埃のような黄色い胞子をぷしゅーと出すので面白がってやたらと踏んだのだった。

でも、今はコジュケイの声も聞こえてこないしアマガエル、大きなカタツムリも姿を消してしまった。野草や珍しいきのこもすくなくなった。

だからこんなに虫の音がジャンジャカ聞こえるのはなんだかうれしくなってしまう。でも今空き地があるところも駅前とつながるように道路の建設が始まっている。生活は便利になるけど、この大合奏もそのうちきこえなくなるんだろうか。便利じゃなくても自然がたくさんあるほうがいいな。

9.11 それから

2006-09-12 21:59:37 | Weblog
つづきだよ。

教会では緊急の祈り会が開かれた。皆、犠牲者のために、傷ついた人のために、悲しんでいる人のために、家族のために主の慰めと癒しと平安があるように祈った。そしてこのテロに対して戦争という行為に及ばないように。

その時、牧師先生がやりきれないような顔で言ったことがある。会堂として部屋を借りているルーテル教会でも緊急の礼拝があり、牧師夫妻が出席していたのだ。その礼拝でルーテル教会の牧師はこういったのだという。

「パールハーバーの悲劇が再び起こりました。」

なんと教会のメッセージでパールハーバーが引き合いに話をしたのだった。日本人として出席していた牧師夫妻にとってはさぞかし居心地の悪い思いをしたに違いない。もともとグリニッチの街自体にパールハーバーで犠牲になった軍人の記念碑がたっていたりするところで、そのルーテル教会の中にもそのことで日本人を忌み嫌っている教会員がいたということだ。

パールハーバー現象は何もこの教会だけに限らなかった。テレビをつければやはり自爆テロ=パールハーバーなのだ。悪の象徴としてのパールハーバーなのである。だからこのテロの後どこに行ってもパールハーバーを引き起こした日本を非難されているようで嫌な感じだった。

元々愛国心が強い国である。街は日を追うごとに星条旗が増えていった。思わず戦時中の日本を思い起こした。そして街のいたるところでお葬式。いたるところでバグパイプがアメイジング・グレイスを奏でていた。

しかし、こういうときのアメリカ人の行動力はすごいと思う。
長男のミドルスクールでは必死に捜索活動をするファイアファイターのためのランチを1人2つ作ってくることになった。この非常事態に「自分達にできる何かをしよう」というのである。私もサンドイッチと飲み物、りんご、スナックなどをブラウンバッグに入れてPTAの回収ボックスまでもっていった。また、テロ当日の交通の諸事情から帰れなくなった人がいて、全く知らない人なのに親切にも自宅に止めてくれた人もいたという。

私達の教会ではワールドトレードセンターのオフィスにいて、九死に一生を得た方が心の平安を求めて集うようになった。また、このことがきっかけになり洗礼に導かれた方もいた。また友人はその頃生まれた新しい命にミドルネームとして正義という意味の「JUSTICE」という名前をつけた。

同時テロから3ヵ月後。極寒のグランド・ゼロに家族で祈りを捧げに行った。崩れたビルの粉塵と思われる粉がまだ街のいたるところにあり、グランド・ゼロ周辺は尋ね人の写真張り紙、キャンドルや花が無数にあった。グランド・ゼロは幕で周りを覆われていて所々破れたところから崩れたワールドトレードセンタービルの瓦礫の山が見え隠れしていた。

「泣くなよ。」長男がぽつりと言う。彼は私が泣き虫なのを知っている。そして私が泣くのが長男は大嫌いなのだ。でも涙があふれてしまった。何でこんな事がゆるされるんだろう。その瓦礫の中にまだ数え切れないほどの犠牲者の遺体があるのだ。

帰国間際にもこの地にたったが、その時にはもう幕は泣く瓦礫の山もほとんどきれいになっていた。その代わりビルの鉄筋で作った十字架がたっていた。その十字架を見たとき聖歌の「遠き国や」がおもいだされた。

遠き国や海の果て
いずこに住む民もみよ
慰めもて、かわらざる
主の十字架は輝けり
慰めもてながために
慰めもてわがために
揺れ動く地に立ちて
なお十字架は輝けり

時々神様に抗議したくなる。いつまで悪者をほおっておくんですか?と。
でも今の状態が御心であるわけがない。自分勝手な人間達が勝手に神の名を語って戦っているだけだ。

私には何もできないけれどただいのるだけ。
痛んだ人々に癒しと平安があるように。いつの日にか、お互いが尊重と理解を通して手をつなぎ平和にいたるようにと切に祈るだけだ。

9.11 その日

2006-09-09 22:44:26 | Weblog
これは私が見聞きした9.11だ。


その日は青空のきれいな良く晴れた朝だった。

私達家族はアメリカ・コネチカット州グリニッチにすんでいた。だんなはすでにマンハッタンに出勤。長男はスクールバスで現地中学へ、私は次男を日本人学校のバス停まで送って家に戻ったところだった。さあ、これから洗濯でもしようかと思ったところへ、突然、電話がなったのだった。

電話は日本にいる母からで、切羽詰った声だった。「OOちゃん(だんなの名前)ところは大丈夫なの?!」
「え?なんのこと?」
「テレビつけてごらん!すごい事になってるよ!」

テレビを見て言葉を失ってしまった・・・ワールドトレードセンターが火を噴いていた。

だんなと連絡を取るからととりあえず電話を切った。私の英語力では何がどうなっているのか把握できないので衛星放送のNHKに切り替え今何が起こっているのかを理解しようとしていた。

そのうち階下にすむ日本人の友達もやってきて、事の成り行きを見守っていた。
彼女のだんなさんは銀行員で無事な事が確認された。うちのだんなには何回か電話をかけたが、電話はつながらなかった。会社はグランドセントラル駅のすぐ近くだったのでワールドトレードセンターとはなれたところにあり、多分大丈夫だろうと思ってはいてもやはり異常事態なだけに心配だった。

「うそぉ!」

ワールドトレードセンタービルが崩れていく。私の頭の中ではもうすぐ炎は沈下されるだろうと思い、まさかくずれるなどということは・・・・。
ワールドトレードセンターには展望台があり、長男が行きたがっていたので連れて行ったことがある。あの場所が今、炎の中で崩れている。
なんだか、夢を見ているような映画をみているような変な感覚だった。

何回か電話をかけてやっとだんなとつながった。だんなのオフィスからもワールドトレードセンターから煙が上がっているのを見ることができたという事だ。またグランドセントラル駅に爆弾が仕掛けられているかもしれないというがデマが流れていて避難していたという事だった。

お昼になって長男の通うミドルスクールに行かなくてはならなかった。
長男はその障碍のために日本人学校編入を断られてからミドルスクールに入学したので他の子ども達よりも入学が1週間遅れてしまったため「スクールナースが薬を与えてもよい」という許可書類も遅れていたので今日は私が薬を飲ませなければならないので学校まで行ったのだった。

学校に着くと先生と思われる人に抱きかかえられて泣き崩れている女の子が2人いた。きっと親がテロの犠牲になったのだろうとおもわれた。人々の顔にはみなこのことへの動揺が見られた。ただ空がいつものように青く、鳥は美しいさえずりを聞かせ、静かでとても矛盾した世界に思えた。

後の新聞で知ったのだが、このグリニッチの街では11人の犠牲者がいたということだ。ワールドトレードセンターの中で働いていた人が多かったが、搭乗者もいた。その中には長男の行っていた小学校でボランティアコーディネーターをしていたとても親切なGさんのご主人もいらっしゃった。Gさんのご主人は航空関係者であのペンシルベニアに落ちたユナイテッド93便にいたのだった。Gさんとはたった1回しか話した事はなかったが、こんなに身近なところに犠牲者がいることが信じられなかった。

つづく・・・・。







じんじんと・・・・

2006-09-07 00:49:12 | キリスト教(行事、他)
人差し指がいたいのさっ・・・。

なんでかって?


久しぶりに切り絵をやってました。はじめたらやめられなくなって・・・ず~とカッターナイフを持って・・・こつこつときってましたよ、夜中まで・・・・。切り絵をするようになったのは前にも記事にしてるから、知りたい人はこのページにある検索機能で「切り絵」で検索してみてね。

2年くらい前から教会の掲示板を飾らせていただいている。
そこに切り絵の聖画を時々飾らせていただいているのだ。でもここの所いろいろと考えるところがあって、また、からだの調子の悪い事もありまったく切り絵ができなくなっていた。まったく場面がうかんでこなかった。っというより場面が浮かんだとしてもつかめてこないといったところだろうか。

今回の場面はルカの福音書から、5章4節から11節。イエスが船に乗り、民衆から少し間をおいたところでたとえ話をし終たところ。

4.話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を取りなさい」といわれた。

5.するとシモンが答えて言った。「先生。私達は夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもお言葉通りに、網を下ろしてみましょう。」

6.そしてそのとおりにすると、たくさんの魚が入り網は破れそうになった。
7.そこで別の、さらに魚を船に揚げると2艘とも沈みそうになった。

8.これを見たシモン・ぺテロはイエスのあしもとにひれふして、「主よ。私のよ  うなものから離れてください。私は、罪深いものですから」と言った。

9.それは、大漁のため、彼も一緒にいたみなのものも、ひどく驚いたからである。

10. シモンの仲間であった ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。
   イエスはシモンにこういわれた。「怖がらなくてよい。これから後、
   あなたは人間をとるようになるのです。」

11.彼らは、船を陸に着けると、何もかも捨ててイエスに従った。

と、以上のような場面を切っていたのである。いい大人の男が漁師の命である網も何もかも捨ててイエスに従っていくのだ。きっとなにもかもゆだねて生きてゆくってこういうことなんだろう。

今の私の問題をイエスにゆだねよう。そんな気持ちになった時この場面が一つの絵としてうかんできた。今なら切り絵ができる。そう思ってカッターを手にしたらどんどん絵になっていった。今すごくにすがすがしい気持ち。主イエスが「怖がらなくてよい」といっておられるのだから。切り絵を作ることも私にとっては賛美だ。そして神様の導きなくしてできないと思っている私なのだ。

親ばか

2006-09-01 15:26:48 | Weblog
薬を変えてから1日中寝ている今日この頃。
だるくてだるくてしょうがない。
何もする気がないのだ。

ただでさえ、家事ができない人なのにもっとできない状態なっていることへの引け目を感じる。楽器の練習だってできてない。あせる。心はあせるのに体が動かない。



もう9月1日なんだね。今日から次男は学校である。

通信簿を持っていくというので家庭からのコメントを書いてなかったなと思い、通信簿を開くとまた怒りがふつふつとわいてきた。(短気なんだ。。。)

それは1学期の先生からの評価欄。こんな事が書いてあったのだ。

「いつまでもひな鳥が巣の中でえさを待っているような状況ではいけません。真面目さに何を付け加えたらいいのか考えましょう。2学期に期待します。」

要するに積極性がないということですかね。それにしてもまどろっこしい表現。嫌みにも取れるぞ。

真面目大いに結構じゃないですか。先生好みのロボットつくってるわけじゃないんだよ。

ええ、ええ、書いてしまいましたとも。家庭からのコメント欄に思わず。

「このような表現はやめていただきたい。子どもの心を傷つけます。真面目,やさしさは彼の賜物です。心さえ豊かならそれでいいと思います。」

うるさい親と思われようが、親ばかだと思われようが別にいいや!ふん!