風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

猫は三日で恩を忘れる?

2013-05-12 17:38:32 | Weblog
先日、久しぶりに母と我が家でお昼ご飯を食べたときのこと。

退院してしばらく我が家にいた母に我が家の猫たちはべったりなついていたけれど、大丈夫かな?

いったいどんな反応をしめすだろうか?

して、その結果。

みんな逃げた・・・・・。


ちょっと、ちょっと、もう~、母がかわいそうじゃないよ~。

しばらくすると初めからいなかったアルバ(こいつだけはほかの三匹とは常に別行動をとるので最初から別の部屋で寝ていたと思われる。)が母にすり寄ってきて挨拶をしてくれた。

さすがはアルバ!アルバは頭がいい!ちゃんと覚えていたんだね!

さらに30分くらいたったころ、リリとベルが出てきた。

「何となくどこかで見たことあるわね~。」という顔つきで見ている。

撫でようとすると逃げる。だけど近くに来て観察している2匹。

マロンはというと、おどろいて逃げて、次男のベッドの下にかくれて出てこない。

マロンが一番母になついて、母に一番かわいがられていたというのに。マロンは母のほっぺにチュッもしてたのになぁ・・・。

要するに超ビビりのマロンはわからないの。だって家を脱走したマロンを保護しようと声をかけた私を見て逃げたくらいだもの。家の中にいないと怖い人になっちゃうのかもね。

三日で恩を忘れるというのはどうだかわからないけど、マロンには当てはまるのかもね。。。

清見オレンジの思い出

2013-05-12 01:04:56 | Weblog
この季節になると父のことを思い出す。

正確にいうと清見オレンジが店頭に並ぶ頃。

父は2000年4月28日に胃ガンがもとで亡くなった。72歳だった。

当時アメリカで暮らしていた私は母からの父の容態を伝える電話で急きょ子供たちを連れて帰国したのだ。父がなくなる4日前だった。

3か月前に一時帰国したときと比べ物にならないほど父はやせ細り起き上がるのもやっと。病院のベッドの傍らにはカレンダーがあり、父はいつもそれを眺めていた。もうその頃には食べ物を食べられないので管をとおしておくられる栄養剤のようなもので命をつないでいたと思う。わたしが父のところに行ったときにはよく吐いていた、亡くなる前の日には血を吐いていた。

そんな状態だった父が私に買い物に行って買ってきてほしいものがあるという。

清見オレンジとチョコレート。

父がよく買い物をする生活協同組合のお店。何がどこにあるかすべてわかっている店。

当時清見オレンジなんて私は知らなかったから聞いてみると清見オレンジは入口の近く何番目くらいにあるというので行ってみると本当にそこにあったのだ。

こんな状態で食べられはしないだろうが父はもう末期の状態。房を取った鮮やかなオレンジ色の実を口にいれてあげた。父は噛みしめていた。チョコレートもひとかけら食べた。

たったそれだけだったがすぐに吐いてしまった。食べることの大好きだった父が何か月も食べられないでやっとの思いで口にした清見オレンジ。どんな味だったのだろう。うれしかったのだろうか。絶望の思いだったのだろうか。あの時の情景と切ない思いは今もはっきりと思いだせる。

だからなのか清見オレンジが店頭に並ぶとなぜかしら買ってしまう。それほど好きなわけでもないのにどうしてか食べてたくなるのである。チョコレートもしかり。

今年はなんだか特別は思いがある。

母が年末にガンがわかって手術を受けたから。父もガンがわかったのは年末、手術も同じころ。だから母の入院、手術は私にとって思いのほか不安だったのだ。母が退院するまで、「また、父のようになったら…」。そんな不安は常にあった。

でも、うれしいことにそんな不安を吹き飛ばすように手術で患部はきれいに摘出することができ、経過は良好である。
3週間で退院し、今は2週間おきに通院、薬を飲みながら日常生活が普通におくれているのだ。清見オレンジとともに父の時を思い出し、母の経過と比べてはよかったと胸をなでおろすとともに、あの時の父の気持ちを考えずにいられないのだ。

母の時は聖書の御言葉と讃美歌と祈りをもって励ますことができたが、父の時は私は未信者だったので何もそんなことはできなかった。あの時は父が好きだった禅の教えの本を興味もないのに読んで病室での話題にし、父の気持ちを安らいであげたいと思っていたが、それも何もならくて・・・。

私がキリスト教徒になったのは父の死んでから、父の書道家としての雅号であった「天命」の意味をかんがえるようになったのもきっかけだ。父は生前、天から与えられた命だなと常々思っていたので雅号を天命にしたのである。
父はもしかしたら天の神様の存在を何となくはわかっていたのかもしれない。

と、清見オレンジを食べながらなんとなくかんがえる。

今日の清見オレンジはすっぱいな・・・・。

いろいろあって・・・。

2013-05-06 01:30:04 | Weblog
またまた久しぶりのブログ。もう五月じゃん!

母の入院、長男は精神的に不安定、出社拒否状態、仕事場での困難、12月から4月にかけて、いったいなんなんだろうこの状態は…というような感じ。痩せたよ、3キロも。


退院後、私たち家族と一緒に暮らしていた母は、このまま私たちと一緒に暮らしていると上げ膳据え膳で何もできなくなってしまう、母には母の世界があるようで、近所の友達ともカラオケやお茶を飲みながら語り合いたいと4月には自分の家に戻っていった。
元気なのはうれしい限りだけど、私は心配でたまりませんわ。やっぱり気をつかってたのかな?これからはちょくちょく顔を見に行こうと思っている。

長男は仕事場へ復帰。(やったー!良かった!)だけど、今度は睡眠障害がひどくなり、またまた不安定。以前も寝られないからと処方された薬を夜中にこっそり余分に飲んでしまっていて次の診察までに足りなくなることも!あ~、どうしてこうなるんだろう。(ちょっとは安心させてほしいよ!)

でもねぇ、この頃ちょっと長男の気持ちがわかるようになった。

それは私の仕事場でのこと。

決して仕事をいい加減にやろうとか思ってないんだけど、結果的にいい加減になってしまったり、間違えて覚えて全く違ったことをしてしまったり、言われたことを聞いていたつもりなんだけど、理解していなかったリ、全く忘れていたり、相手の話に集中できない。物事の優先順位がわからなくて、やるべきことを後回しにして結局仕事仲間にはいつも迷惑かけていたり、急な変更が入ったら全く対応できずなんてことが続きまして、しまいにはあきれられてしまい、先輩パートのひとから叱責もしばしば。


「ほら前にもいったでしょ!」
「全然違う!」
「そんないい加減な仕事じゃ真面目に働いてる人がかわいそう!」
「そんなことよりほかにやることあんじゃないの?!」
「もうどうしたらいいんだろうね!」

面倒くさいから、手抜きしているように見えていたらしい・・・。

それに仕事もノロいから急がなくちゃと早くしようとすると・・・

「うろちょろしないで」

結構へこんで、でも頑張らなくちゃ、これくらい誰だってある、次は今日よりいい日だと自分に言い聞かせて仕事を続けていたんだけどが、またパニック障害の小発作みたいなのが出てきてしまった。朝からずっと息苦しい、叱責されているときは血が全部下がるよう、手も震える、メンタルクリニックで薬を2倍に増やしてもらった。


「次は今日よりいい日」の期待は裏切られ、とうとう責任者に仕事仲間が私のことを良く思ってないといわれた。注意すると、私が反抗的な態度をとっている。先輩パートにすみません、以後気をつけますの一言がない。」と。

正論だけど、誤解です・・・。反抗して黙ってるわけじゃありません・・・。

本当は何か言われるたびにびくびくしてて、注意された時の言葉が厳しければそれだけショックで何も言えなくなってしまう。またやってしまった。本当は自分が情けなくて仕方ないのに。

っていうことも言えなかった。「そんな・・・反抗しているわけではありません…」というのが精いっぱい。涙のほうが先に出てきて。

この日メンタルクリニックに直行。泣きながら仕事場での困難とパニック障害の小発作が依然よくなっていないことを相談。それに仕事場での困難について前述してるけど、実はこの症状、長男もあるんだよね。だから、私は以前から自分にもなんらかの発達障害があるんじゃないかと思っていたからそのことも相談すると、とりあえず(というのも大人になると診断がつかないらしい)注意欠陥多動障害の薬とパニック障害の薬を処方してもらった。パニック障害の薬のほうはこの時点でこの職場に入る前のなんと4倍になってしまった。薬を4分の1に減らすまで4年もかかったのに…。ああ、また、元に戻ってしまった。これはちょっとショックだった。。。

こんなことがあって心は折れまくり。自分の特性みたいなものを伝えても分かってもらえない。
「メモを取ってそのメモをいつもポケットに入れてわからなくなったら見るとかしたら」とアドヴァイスをしてくるけど、最初からそれはやってることでそれでもできないことなんですよ。

わかってもらえないことの辛さをこの時初めて知った。そしてその時、長男をおもった。
今まで長男のことわかったように思ってたけど、わかってなかったな。そういえばおんなじような叱責を私も長男していたかもしれない。


こんなわけで、母のため、自分の体のため仕事をやめた。


だから今はちょっとほっとしているところ。
この仕事場にいた意味はわけがわからないけど、それで長男の置かれた立場が少しわかったことは大きな収穫だったかも。