風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

社会保険業務センターへ行く

2008-05-30 23:55:42 | Weblog
ホントに社会保険庁のおかげで・・・・とぶつぶつ言っても始まらない。母のところにも年金特別便がきた。ハガキを送るだけで手続きはできないし、しかも母の住むF市の役所でも出来ないので、K市までわざわざいかなくてはならない。それで今日は母と一緒にK市の社会保険業務センターへいってきたのだった。

いろいろ調べていくとやっぱり抜け落ちているところがあった。母は遺族年金として父の年金をもらっているのだが・・・。


あのスナフキン気質の父の事、まあ、よく仕事をころころと変わっていたこと。結婚以前に3回、結婚してからも4回転職している。無職の時もあったようだ。仕事に行くといって映画を見ていたという話もでてきた。

正義感が強いので他の人をかばったり、代表で文句を言ったりするので出世とは無関係の人であった。そういうことも会社を変えるきっかけになったんだろう。

調べていくうちに歯科技巧の会社で営業で外回りをしたことがわかった。
また、晩年、近くの小学校から頼まれて戦争体験を語った時の下書きから蒲田の軍事工場で働いていた事もわかった。また、母が結婚したばかりの頃、終戦後、北海道に戻り炭鉱で働いていた事もわかった。

早いほうがいいよと9時ごろいったのだが、業務センターには人、人、待ってる人がすごい!待ち時間がすごいとはきいていたが、これほどとは。。。番号札をもらって2時間以上待った。

やっと番が回ってきて、説明は私がする。こういう時母は人任せなんだから。結局抜け落ちていたところは歯科技巧会社のところだけだった。軍事工場と炭鉱は古くて名前がわからないだけでちゃんと年金に入っていたのだった。書類を書き手続きを終えてやっと重荷が降りた感じ。年金に今回の会社のものが加算されるのは1年以上もかかるという。でも父が年金をもらっていた時からもらえるらしいので母は助かるだろう。加算される額はほんのわずかなものだがそれでもありがたい。

私が知っているのは父がIHIの現場で働いていた時の事だけ。私が生れてからは定年までずっと会社を替わることはなかった。風来坊でプライドの高い父のことだから嫌な事もたくさんあったに違いなかった。そうやって私を養ってくれたんだとあらためて知ることが出来た。

母が言った。「お前はお父さんにとって宝物だったからねぇ。」

あの大空襲を生き延びて、母と結婚して、働きながら書を極め、一時期は民謡歌手になるために早O一門に入門、名取までなったのに金儲け主義だと師匠に文句を言い、名取の免状を帰して破門になってしまった父。そういう中で育ててくれていた。なんとも・・・愉快な父だ。

年金を通じて母の事父の事いろいろと考えさせられた。
全ては神様の御手の中のことなんだろうな。この両親を与えられた事に感謝した。



デート

2008-05-30 22:59:03 | お出かけ・旅行記
木曜日、ダンナが仕事がはやく終わるというのでと久々に2人でデートだった。

まず神楽坂3丁目にあるイタリアンレストラン「Sorriso」でちょっと優雅にランチ。

コースで頼んだけど量はそれほど多くないから食べられちゃう。でもピッツアは結構デカイ。いくつかの料理から選べるのでダンナと別のものを選んでお互いの料理を味見したりして、美味しかった。ダンナは結構こういうグルメなお店を良く知っているのだ。

神楽坂は面白い。ちょっと路地裏に多分昔からあるような風情のある小料理屋があったり、また、芸者さんが昔、歩いたであろうというような道がある。呉服屋さんもあったりして、飾ってある紬を見て、ああ、着物もいいなぁなんて思ってしまった。

神楽坂といえば名物不二家のペコちゃん焼きがあるが・・・・そう、ペコちゃんの顔の人形焼のようなもの。かわいいはずの顔は・・・・不気味。。。


その後、日本橋にあるブリジストン美術館で「岡鹿之助展」を見に行った。
ダンナが会社でチケットをもらったのだ。ダンナいわく岡鹿之助は教科書に良く乗っている画家だといっていたが、私とダンナは6学年離れているので、そこはジェネレーションギャップ、私の美術の教科書にはなかったな。

でもスーラに似た点描の技法で描かれた絵はどれも繊細で美しいものばかり。それぞれシリーズがあって、「海」「堀割」「献花」「雪」「燈台」「発電所」「群落と廃墟」「城館と礼拝堂」「融合」といったもの。

ダンナは「発電所」シリーズを見て、「機能美だ!わかる人にはわかるんだよ」と感動していたっけ。そう、ダンナは発電所とか工場とか橋とかを見ると「機能美、機能美」とうるさい。私には機能美はわからん。「廃墟」「融合」シリーズのほうが好みだ。

こんな好みの正反対の私達がこれはすごいと意見が一致したのは「林」と題名の着いた雪の中の林の奥向こうに山小屋のようなものがうっすらと見える絵。うっそうとした林の枝という枝に雪が積もった大作だった。

絵を見た後はダンナの希望で丸善へ。ダンナは読書好き。私も好きだけど美術館で次男ようのマンガ美術史と他に2点美術本をかったのでここでは買わなかった。でも荒俣宏の江戸文化の面白そうな新刊本があったな。それよりもいつもジーンズ、スニーカーの私がスカート、パンプスなど履いたものだから足が疲れちゃって。。。。ダンナが本を選んでいる間ずっといすに座ってました。

丸善の後は高島屋の向かいにある「珈琲処ボナール」で一休み。お店の雰囲気はとても素敵。だけど。。。。全席喫煙席なのでタバコ臭いったらなかった。さすがにダンナもこれにはまいったらしい。帰るとき地下鉄の入り口近くの山本山の喫茶コーナーが目にはいった。お茶とみたらし団子とか、羊羹とか、カステラのセットがあってお値段もお手ごろ。今度はここにいこう、などといいながら家に帰った。

ケンカの後だっただけにちょっとした心遣いがうれしかった。

長男のご帰還

2008-05-27 00:53:14 | 長男のこと
日曜日、長男が黒姫山の合宿から帰ってきた。

顔なんか日焼けしちゃってすっかり山男。とても楽しい事ばかりだったらしい。

「大変だったよ。ビバークしなきゃなんなくてさ。」なんて大変といいながら楽しかった事がよくわかる口ぶりだった。

ニコル氏は忙しいらしくいなかったようだったが、コンパス、ナタやのこぎり、ロープの使い方など習ってきたらしい。

お風呂は2日に一回だと蚋に刺されたとか、OO君がタバコが切れて辛そうだったとか。友達関係も良かったみたいでほっとした。

そんな長男が食事の時にこういった。

「あ、茶碗が新しくなってる。さてはお母さん、お父さんとケンカしてかんしゃく起こして割っただろ。」

すかさずまってましたといわんばかりににやにやしながら次男が言う。

「そうそう。ケンカしてたよ。」

ええ、図星です・・・・・。ママチャリ家出の次の日ですけど、またまたケンカしてワンワン泣いて食器を壊しまくりました。そのうえ破片で手切るわ、足切るわ。。。。馬鹿です。

でも次男が塾に行っているときだったからケンカの状況は見ていなかったはずなのに、ダンナともお互いそんなそぶりは見せてなかったのに。
ケンカしていたことはすっかりばればれ。


なんだか子どものほうが私より大人だったりするんだな。

真夜中ママチャリで。。。

2008-05-25 23:57:52 | Weblog
ここのところダウン気味で過食はおさまったもののまたあの息苦しさがでてきており、金曜日はメンヘルで前のんでいた薬をまた処方してもらった。

またその日にダンナと大ケンカして10時ごろ家を飛びだした。
教会の鍵は持たずにきたし、実家に帰るのは嫌だし、ママチャリに乗って当てもなく走ってた。通っていた昔の中学校のあたりから変な横道にそれて田んぼだらけのところに出たり、もうめちゃくちゃ走り回った。

そのうち車の教習コースにでたと思ったらまた知らない道へ川や田んぼがたくさんある田舎だから、かえるがゲコゲコうるさいのなんの。走りながらかえる嫌いのダンナに持って帰って見せてやろうかとか意地悪い事を考えたり、そういえば飛び出す時止めてくれなかったなとか寂しくなったり、そうすると悔しくってまた泣きながら知らない道をめちゃくちゃに走り回った。

夜は景色が全然違って見える。そのうち真っ暗な森の坂道、横にはお墓、どんどん上ると小さい薄暗い道で何かの工場の裏に出た。すぐ近くに有料道路らしきものがみえる。そんな道を通ったら拾い道に出てまったく知らない町名。「清見」「川崎」ってどこだ?

迷ったな、と思いながらもうどうなってもいいや、とどんどん走っていったら小さな川を越えて標識が出てきた「南古谷」。「げ、こんなとこまできてたんだ。」もっと先にいってみようかと思ったけど、そういうときに限っていくなといわんばかりに息苦しくなってくる。薬持ってこなかったしこんなところで発作おこして行き倒れいやだと思い、コンビ二で水分補給、そこにあった地図で帰り道を確かめていつも車で走る254沿いで家に帰った。

家に帰り着いたら12時過ぎてた。塾から帰ってきた次男はもうすでに寝ていて、ダンナは不機嫌そうにまっていた。お互い気まずい雰囲気。まるで夜遊びしてきた娘をとがめるような親父の雰囲気。私もひどい事言ったんだけどこういう時素直になれないのでそのまま疲れて寝てしまった。

だけど何で車じゃなくママチャリ選んだんだろう。車だったらもっと遠くへいけたんだろうに。主婦だからガソリン代節約とかエコとかすり込まれてしまってるのかしら。それに私のママチャリ、後輪のタイヤの空気が抜けていたからこぐと重い。。。。(自分の体重で。。。。)ああ、なんだか悲しい。





次男は受験生

2008-05-20 23:41:56 | 次男の事
前の記事にも書いたが長男がパニック状態だったとき他のことでダンナともめていたのだった。

次男は来年受験である。その進路についてダンナと私はことごとく考えがちがうのだ。長男が実習に行く前日は次男が通う塾講師との面接もあった。

進路についてこの頃はっきりと話してくれない次男。何か秘密主義みたいになっている。多分、反対されるのをおそれているのじゃないのかな。

前までは県立の芸術系の高校を目指していたのだった。ところがこのところこの高校のことはぴたっと言わなくなってしまっていた。

塾の先生と希望高校は今の成績だとちょっと・・・・という話であった。
なぜなら、次男は身体が弱いので出席日数が引っかかる。それに美術で提出物を出しわすれてしまったため1をつけられてしまったので内申が悪いのである。

じゃあ近場のO高校かF高校か、いろいろきいてみたが、そこらへんはスポーツ系が熱心で、やっぱり私としては演劇であれだけ生き生きしている次男を見ているとそちらを応援したい。でも前述の芸術系の高校はなぜかこの塾講師は遠くて通いにくいことを理由にあまり勧めたがらない。


塾講師は親切で、いろいろな情報をくれるがやっぱり確実に受かる所を押してくる。こんなことを言ったらその方に悪いかもしれないが何かビジネス的なものを感じていやになる。

次男が漫画家になりたい、美術系の学校にいきたいらしいといった時も「絵のほうは・・うまいんですか?」「現実問題として食べていくのは大変ですからね。」

そんなことあなたにいわれなくてもわかってる。なんかむかつく。

家に帰って次男に本当はどこがいいの?ときいてみたらはやり芸術系の高校がいいのだという。そして自分なりに今書いている絵が賞をとったらやっぱりその高校を選ぼうかなと考えているという事だった。

それでその話をダンナにしたら、ダンナも塾講師と同じ事を言う。

「普通高校のほうがいいって。あいつの演技だって一本じょうしじゃないか。普通科いって大学いって普通に就職したほうがいいよ。そんなやくざな商売じゃなくてさ。大体食っていけないだろう。俺はあいつに自立してもらいたいんだ。普通科に言って普通に結婚してもらいたいんだ。」

ここでときてカチンときてしまった。私は「普通」という言葉が大嫌いである。

「普通ってなによ。じゃあ、あきらめさせるの?
それはあなたの希望であって決めるのはOO(次男の名前)でしょ!
それにOO(長男の名前)に付きっ切りだったとき小さい頃からチックになるほど我慢して我慢してきた子なんだよ。その子がやっと演劇で自分を表現することを見つけたのよ!何で最初からあきらめさせなきゃならないのよ!やっとでた芽をつみとりたくないの!」

ということでケンカになってしまったのである。

もちろんダンナが言っていることもわかる。私達を養うために一生懸命働いてくれているのだから社会の厳しさを一番よくわかってるのはダンナだ。

でも最初からあきらめることを教えるというのはどうだろう。試させたっていいじゃない。次男の人生を決めるのは本人。塾講師でもダンナでもないのである。

その日次男は塾なので遅く帰ってきた。私はダンナにピシャッといった。
「あの子に余計なこと、いわないでよね!!」

そして、長男の地図探しにもどる。。。疲れた・・・疲れた。。。。

一日過ぎて、ダンナがかの芸術系高校の説明会を調べてきてくれた。どうやら応援する気になってくれたらしい。よかった。。。


次男よ、なんでもトライすればいい!
失敗したってそこから学べることがある。
何をしたってそれが無駄になることはないと思う。絶対何かの時に役立つことがあると私は思っている。

その声と演技、造形美術は神様から与えられた賜物。まだ出たばかりの小さな芽かもしれないけどがんばれ!!!








長男、黒姫山へ

2008-05-20 16:04:47 | 長男のこと
早朝、長男は学校の実習で黒姫山へと旅立った。
まるでレンジャーのような制服に身を包み、大きなザックを書って山男の格好だ。この大雨の中「元気にいったよ」と車で送ったダンナが言っていた。

今日から5泊6日でニコル氏のもとで森林保護活動の実習がはじまる。

それなのに・・・・・・昨日はパニックだった。。。

ザックの中に必要なものは彼なりにそろえていた。が、肝心の黒姫山の地図がないと大騒ぎを始めたのである。

あったはずの場所に物がなくなる・・・・これは彼にとっては一番弱いところ。18歳にもなれば冷静に落ち着いて対処できるだろうと多くの方は思われるかもしれない。それが彼にはとても難しいことなのだ。

明らかに手伝ってくれるのを舞っているのがわかる。でも彼の成長を考えて手はかさずだまって初めは彼が探す様子をみていたのだった。

「あなたがいた場所をさがしてみなさいよ。こっちにはないよ。」
「ない!ない!ない!」「なんでなくなるんだぁ~!」「なんでいつもこうなるんだろう~!」

「いつも置いておくところを決めておきなさいって言ってたじゃない!」私もだんだんがまんができなくなってくる。

「バックパックの中に入れて持ち歩いていたんだ! だれかもっていかなかった?お父さんすてたんじゃないの?」

挙句の果てに大騒ぎになり、「うわ~!!」と頭をかきむしって頭を自分でボコボコ叩くのだ。ここで私もダンナもきれてしまった。

私は食器洗いの途中でお皿を一つ割ってしまい長男のもとへいき、探すのを手伝い始めた。

「もう一度確認の意味でザックの中のものをあらためよう。」
「うん、お母さん本当にごめんね」

考えや行動を共に考えようとするととたんにパニック状態だったのがスーッと治まるのである。

いつもは不良ぶってるのにこうなると小さな子供のようになってしまう。もう泣く寸前だった。

長男と2人して夜遅く探し回ったが、結局実習で使う地図はでてこなかった。
「減点されるかなぁ・・・・。」
「減点されたんなら、どこかで取り戻せばいいんだ。もしかしたら学校に落としたってことだって考えられるでしょ!」

次男はその様子を見て、「お前自分でやれよ。俺は出来るぞ!」と威張っているちょっと馬鹿にしているので、「そういう態度よくないよ!」というと「ごめんなさい。」

自分の部屋で何か知らしていた次男がまた私に話しかける、「お母さん、見てみて。」

私もイライラしながら「OOちゃん、ごめんね。今、お母さん、今見られないの!」

「フン!」と次男。次男は長男に付きっ切りになっている時、小さい頃から自分に注意を向けたがるのだ。

探すのをあきらめた頃次男の部屋を見ると部屋がきれいに片付いてある。「ああ、きれいにしたんだね。」というと「ちがうよ、アルバだよ。」そこにアルバがちょこんと座っていたのだった。

次男はいつまでも幼いなと思っていたが、私にとってアルバが癒しになっているのを知っているのでカッカしている私にアルバの姿をみせたかったのかもしれない。

それに私がカッカしていたのは長男のほかに理由がある。主人との価値観の違い。



あああ、疲れた。

先生方も、ニコル氏も発達障碍には理解があるとは思えない。
心配だけど、本人が一番不安なんだろうな。

「何かあったら電話しなよ。」といおうとしたら、
「お母さん、心配して電話かけてこないでよ。」だって・・・・。
少しずつ成長してるんだな。。。

「God Bless you! I pray for you! OK?」

「はい。」

そういって家をでたのだった。
今頃、長男は黒姫山で何をしてるんだろう。




祝福された一日

2008-05-16 00:16:49 | Weblog
今日は・・・・って、もう次の日になってしまってるじゃない!

昼間、パスピエはコメントくださったlilyさんとお会いしてきました。
lilyさんもフルート賛美者。

カラオケBOXで2時間半、歌は歌わずにフルート吹いたり、お互いの証や賛美について語り合ったりとっても有意義な時間でした。

出会いってつくづく不思議だなと思います。
まったくあったことがなかった人でもlilyさんとはなんだか昔から知ってる人みたいに話していて。

今日はとってもいい時間をくれた神様に感謝です。

そしてlilyさん、ありがとう。これからもよろしくです。

過食とまりません・・・

2008-05-14 18:45:18 | Weblog
もう2ヶ月くらいこの状態がとまらない。

ゆえに・・・・・体重も増幅中・・・・。

2,3Kg増えて、食べ過ぎて胃をおかしくしてしばらく食べないで体重減っての繰り返し。

でも泊まらない・・・。おなかいっぱいになっても何か満たされない感じ。前はわざと吐いたりしてたんだけど。。

ダンナが目の前に食べ物を置かなければいいと食事後片付けたりしてくれるが、それでも見つけて食べてしまう。

もう!どうしたらいいんだ!

ペンテコステの日

2008-05-13 15:53:58 | キリスト教(行事、他)
11日の日曜日。ペンテコステ礼拝であった。

ペンテコステ(聖霊降臨節)というとどうしてもエル・グレコの絵「ペンテコステ(五旬節)」を思い出してしまう。私の好きな絵の一つである。

その絵には驚きの顔で天を仰ぐ使徒、また天をあがめる使徒達、それぞれの頭上には炎(のようなわかれた舌)がとどまっている様子が描かれている。


この絵は新約聖書の使徒の働き2章1~3節の様子を描いたものだ。

「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、一人ひとりの上にとどまった。」

この後使徒たちは聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに他国の言葉で話しだし、周囲のいろいろな国からきていたユダヤ人たちをびっくりさせている。
そして力強くキリストを証し、多くのものが悔い改めてクリスチャンとなっていくのである。キリストを救い主だと信じたものには聖霊の賜物があたえられるのだ。

三位一体という言葉をご存知の方は多いと思う。よくこの頃、政治だの、料理の味などに使われたりするが・・・・本当はキリスト教の神学用語なのだ。

よく「父と子と聖霊の御名によって」と教会で祈ることがある。それは父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊の三位一体の神ということなのだ。

じゃあ三つの神なのかと勘違いしないでくださいませね。

父なる神、子なる神、聖霊、それぞれの本質が1つだということでキリスト教は唯一神を信じる宗教である。

でもこれも聖霊の働きがなければ信じることは出来ないのだ。そして私達信徒がキリストに倣い、生活していくにも聖霊の助けがなければできないのである。聖霊は私達のうちに住むうちなる神であり、導いてくださるのだ。



キリストが十字架にかかる前に使徒達にこういっている。

「わたしは父にお願いします。父はもう1人の助け主をあなた方におあたえになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は真理の御霊です。世はその方を受け入れることが出来ません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなた方はその方を知っています。その方はあなた方と共に住み、あなた方のうちにおられるからです。」(ヨハネの福音書14章16~17節)

そして、キリストが復活して後、昇天する直前にもこういっている。

「しかし、聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなた方は力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」(使途の働き1章8節)

だからその後の使徒の働きにはめざましいものがあったのである。


この日の礼拝では「ラシーヌ讃歌」をフルートで賛美した。「どうか、多くの人が救われますように。私の母の上にも聖霊の働きがありますように。」と心で願いながら。また助けぬしなる聖霊が与えられていることに感謝しつつ。

反抗期!

2008-05-10 22:45:46 | Weblog
何で兄弟2人ともが同時に反抗期になるんだか・・・・。

まず次男、「うるせえ!くそおやじ。」
この頃ダンナに何か言われるたびにこの台詞がぶっ飛んでいる。
私にはまだマイルドな反抗の仕方をする。「あんた、だれに物言ってるの!」と怒れば「ごめんなさい」とすぐあやまってくるが・・・・。
ダンナは本気でしかりつけることをしない。私は助長するから本気で怒ってくれといっているのだが・・・・。

そして、長男。

とにかくおとなっぽくみせたい。
不良っぽく見せたい。
こっそりとタバコ、お酒、まったくもう~


何かのことで私とケンカ担った時、ちょっと頭をこづいた。
それで長男が手を跳ね返そうとして長男のひじガがツンと目の下にあたったこともあった。すると長男は「本気になったらどっちが勝つと思ってんだよ!」とすごんでくるようになった。

だからこっちもまけていられない。
「ふざけんな!殴り合いになったって私はあんたに本気でぶつかっていくからね!あたしにはあんたを全うな人間にする責任があるんだ!」
今、巷では「少林少女」がはやっているけどこういう時まさに「少林親子」になりそうな雰囲気である。(わたしだって回し蹴りくらいならできる。)

父親への反抗は次男と同じでもっとすごい。
ダンナは細かいのでああだこうだと次々にぽんぽんと攻めるような口ぶり。
自分の気持ちをうまく表現できない長男はイライラが募ってパニック寸前。

「なんだよ!」「うるせえ!」「このやろう!」ダンナに体当たりまでするようになった。私はひそかにダンナが本気になって相手をしてくれれば名と思っていたんだけど。ねじ伏せただけで本気で取っ組み合いもしなければ叱りもしない。

何で本気でしからないの!ときくと無駄な言い合いはしたくないんだとダンナは言う。それって現実からにげてるだけじゃないの!

もう長男の障碍がわかって10年もたつのに発達障碍関係の本なんかよんだことがない。それなりの対応をしてくれといっているだけなのに。そしたら余計なケンカだってなくなるじゃないよ。それでこちらも夫婦ゲンカ。。。

反抗期は成長のあらわれだけど・・・・疲れるよ・・・・・。