風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

森に行こう

2019-07-29 21:06:00 | 虫、植物、動物、自然
この頃健康のためにウォーキングを続けている。少し離れた森をぐるっと回って帰るとちょうど1時間くらい、いい運動になっている。



森と言っても川沿いにあって道は整備されているから歩きやすい。息子達が小学校の時遊びに行ったところであり、亡き母が好きだった散歩道、そして桜の名所でもある。
 
それに、野鳥観察にはいいところ。
 
最近ではハクセキレイ、キジ、コサギ、カワウ、カルガモの親子。
 





カルガモの親子。😊子ガモちゃん達が可愛い。


 公園で散歩、ウォーキングやジョギングをしてる人は皆、足を止めてカルガモ親子の様子を暖かく見守っている。

 
これはゴジュケイ。ちょっとウズラを大きくした感じ。

ゴジュケイは幼い頃一度みたことがある。それからずっと声を聞くたびにその姿を見たくて仕方なかった。声は大きいのにビビリな性格なのか警戒して藪の中にいるのでその姿を見たことはなかった。
 
今回天気の悪い日だったけど藪の多いの遊歩道を歩いていたらゴジュケイが2羽でコール&レスポンス。すごく近いところにいるらしいのでそーっと近づき木のように立っていたんだけど、そうしたら出てきた!出てきた!目の前で歌ってくれた!すご〜い! さえずりを聴きたい人は下のURLをクリックしてね。


このさえずりはなんと表現したらいいかな。図鑑では「ちょっとこい、ちょっとこい」と聞こえると書いてあるけどちがうような….。

梅雨も明けて、このところ暑いからかゴジュケイの声もきかない。今度はいつ姿を見せてくれるだろうか。

森は、今、蝉時雨だ。明日も暑くなりそう。




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夫婦旅行⑨最終回ー出島・26聖人殉教の地(3月8日)

2019-06-23 22:53:00 | お出かけ・旅行記
続きだよ。旅行記最終回。
もう次の日に帰るのでなるべく長崎観光をしたい!ということで、オランダ坂から出島にやってきた。
 
出島の建物が再現されていて当時の貿易や文化が学べる。
出島の入り口。当時の格好をした門番がいる。(≧∇≦)
当時の出島の再現ジオラマ。
ここから西洋文化や医学などが入ってきたんだね。
日本最古のプロテスタント(聖公会)の神学校、旧出島神学校。
この建物だけは江戸時代ではなくキリスト教が解禁になった明治時代に建てられたんだって。
カピタン部屋。出島商館長の住居兼事務所であり、日本の賓客が出島を訪れた際の接待の場所として使われた。
和洋折衷な一番船船頭部屋。外国人が使っただろうベッドが置いてあった。でも、そのわりになんだか小さかった。子供用?と思えるくらい。これは当時襲撃に備えて横になって寝ていたとか、冬は寒いので習慣で丸まって寝ていたとか説がある。
 
 
出島を後にし、とうとうこの旅行の最後の観光地にきた。
日本二十六聖人殉教の地。下の写真は記念碑「昇天の祈り」
もう、夕暮れ。もっと早くくればよかった。資料館はとっくに閉まっていた。26聖人の事は父の歴史の本や学校の教科書で知っていた。処刑される絵が載っていて子ども心に恐ろしかったことを覚えている。
 
実際のこの地に立ってみて、言いようのない気持ちになった。信仰を守ったこの26聖人を見てやっぱり涙が出てくるのだった。
 
キリストを救い主として信じていたから、洗礼名が付いていたから、たったそれだけで捕縛され、拷問され、冬の寒い中、裸足で京都から長崎まで歩かされ、長崎まで連れてこられて磔にされ、槍で貫かれ殺されてしまった。
 
最年少のルドビコ茨木は12歳だった。(ルドビコを含め子供は3人)、改宗を求められても応じなかった。なんと強い信仰だろう。でもあまりにも悲しい。
 
私達夫婦の他に外国人が3人ほどいた。彼らはこのレリーフを見て、何を感じただろうか?
「人若しわれに従はんと欲せば己を捨て十字架をとりて我に従ふべし。」
 
この言葉はマルコの福音書8章34節にある。現代語訳(新改訳)の文も紹介しておこう。
 
「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
とても静かだ。422年前、この地で恐ろしいことが起こったなどととても考えられないくらい穏やかだ。
資料館と記念碑の背後に建っている聖フィリッポ西坂教会。
 
実は最初に訪れた大浦天主堂はこの日本二十六聖人殉教の地に向けて建てられている。
そう、大浦天主堂は殉教した二十六聖人に捧げられた教会なのだ。
 
大浦天主堂の正式名称は日本二十六聖殉教者天主堂。
 
今回の旅では信仰について色々と考えさせられた。一人一人が聖書もない時代、口頭でイエス・キリストの福音を聞いた当時の人たちが禁教令の中にあって命を落としてまでも信仰をまもった。殉教しなかった人たちも、その後潜伏して家族に代々伝え250年間信仰を継承した事は物凄いことだ。
 
自分がその立場であったら信仰を守り通せただろうか?
 
今は信仰の自由がある、自分の聖書を持つことができる、集うことのできる教会がある、そこで牧師先生(プロテスタントの場合)を通して神様からのメッセージを聞くことができる。信徒どうしの交流もできる。自由意志が与えられている。これらは全て恵み。
 
私たちの信仰の自由は、当時命がけで信仰を宣べ伝えて殉教したの方々の尊い犠牲の上にある。信仰が許されること、礼拝ができることが当たり前ではないのだとそんなふうに思った。
 
そして、ここまでキリシタンを弾圧に駆り立てたものはなんなんだろう。
 
弾圧した側を悪魔のように思ってしまうけど、きっかけは知らない事柄への警戒心とか権力欲とか自分の思い通りにならないことへの怒りとか…そんなことがエスカレートしたのではないだろうか。
 
自分と違う価値観をもった人や違う事をするとその人を排除しようとする心、それは私達の心にもある。悪魔に心を奪われないように主イエス様にしっかり目を向けていたいと思う。
 
今回の旅では、特に長崎・五島列島では、自分の信仰を省みる良い機会になった。こんな機会をくださった神様に感謝します。連れていってくれたパパにも感謝!
 
旅行記を最後まで読んでくれた方々、ありがとうございました!😊
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夫婦旅行⑧ー軍艦島・長崎市内(3/8)

2019-06-10 01:20:00 | お出かけ・旅行記
軍艦島・長崎市内観光!
 
初めは軍艦島(端島)にいってきたよ!
軍艦島クルーズ、ツアーに参加。軍艦島は明治日本の産業革命の遺産なんだそうだ。かつて海底の石炭の採掘でこの島は大いに栄えた。石炭採掘に関わる人で一時期5000人もの人が住んでいたんだって。
平成27年7月5日に世界文化遺産に登録された。
閉山以来37年目の平成21年から上陸がはじまり見学が可能になり、色々な船会社が軍艦島上陸ツアーを企画している。
廃墟好きな人にはたまらないだろうな。私もわりと廃墟好き。でも建物の中の方には入っていけないよ。
 軍艦島に住んでいた人々は本土の人より生活レベルはすごく高かったんだそうだ。高度成長期の時代はいわゆる三種の神器、洗濯機、冷蔵庫、テレビを軍艦島の世帯ほとんどが持っていたという。
高いお給料に家賃や光熱費は会社持ちだったんだって。イイなぁ。
 
角度によって本当に軍艦のように見えるから不思議。
 
軍艦島ツアーを終えたらお昼を食べに中華街へ。横浜よりもずっと小さな中華街。長崎名物ちゃんぽんと角煮まん、をたべた。美味しかったけどちゃんぽんは…うん…特別ってわけじゃなく…リンガーハットと変わらないかな…。お店の人ごめんなちゃい。
 
 
眼鏡橋。その名の通り水面に映る橋影も一緒にして眼鏡のようにみえるね。
 
 
オランダ坂。外国人居留地だったので洋館が残っている。
また、この近くに出島があって外国人がよく通った。この頃の外国人はみんなオランダさんと呼ばれていたのでオランダさんが通る坂からオランダ坂と名付けられたんだそうだ。
 
オランダ坂を登りきったところの高台にある活水女子大学東山手キャンパス。こうしてみると大学というよりお屋敷みたい。
 
活水という言葉でピンとくる。ヨハネの福音書4章にでてくるサマリアの女とイエス・キリストの対話の中に「生ける水」の話が出てくる。
 
罪のため人々から差別されて人目を避けて水を汲みに来たサマリアの女がイエスから「私が与える水を飲む人はいつまでも
サマリアの女の話から学校の名前がつくなんて素晴らしい。
 
オランダ坂を登ったところにある洋館・東山手甲13番館。
入場無料で中は資料館になっている。ここでコーヒーも飲めるよ。
さてさて、ここから出島、26聖人殉教の地へ続く。
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夫婦旅行⑦ー五島列島・久賀島、奈留島(3/7)

2019-06-03 22:51:24 | お出かけ・旅行記
今回は長いよ。😅
 
五島列島2日目、福江島に一泊して、福江港ターミナルから小型のフェリーで久賀島、奈留島へ。
 
下の写真は福江港ターミナル近くの「常灯鼻」。福江城築城の際に防波堤(石垣)がつくられ、その先になんとも趣がある灯台が建てられている。
 
今回は世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」登録となった島、久賀島・奈留島のキリシタンの歴史を堪能できる日帰りツアーに参加したよ。
 
最初は久賀島。浜脇教会。
1881年に久賀の地で迫害を乗り越えた信徒たちによって建てられた。最初は木造だったが傷みが激しく、信徒の数も増えたので新築することになり、1931年、五島で最初のコンクリート造の現教会が建てられた。旧木造教会は五輪地区に移された。あとで出てくるからみてね。
 この表現があっているのかどうかわからないけど…可愛い、メルヘンチック!スペインとかポルトガルとかにある教会みたい。(知らんけど😅)
次に行ったのが折紙展望台。下の写真は展望台からの眺め。この展望台は久賀島北東部ある。天気が良かったので気持ちよかった。
違う角度からの眺め。小さな島々が折り重なるように見える。霞みがかっているでしょう?春だからかなと思っていたらなんとPM2.5のせいなんだって。😵これがなかったらもっと景観はよかっただろうね。
 
殉教の地、牢屋の窄殉教記念教会。五島崩れと呼ばれる弾圧の発端になったところ。
 
下の写真は絵葉書の写真を映したもの。というのはこの地でなんだか写真を撮れなかったのだ。あまりにも悲しくて…潜伏キリシタンの末裔のガイドさんの話を聞きながらあまりにもむごい拷問の話に涙が出て止まらなかった。
 
その頃の幕府はキリシタン撲滅の一手段として宗門改が定めていた。この宗門改に仏教を用いたのが檀家制度。
 
家族は宗門帳に記帳、家族の誰かが死ねば僧を読んで仏教式の葬式を出す。『キリシタンにあらず』の証明がなければ葬式もあげられなかったという。
 
こんな背景の中、キリシタン達は信仰をはっきりと公にした。明治元年のことだった。それから牢屋の笮殉教事件が起こるのである。
 
 明治元年、200人ちかいの信者が捕らえられ、わずか6坪の牢に収監された。座ることも寝ることもできず、排泄もこの中でするしかなかった。それだけでなくむごたらしい拷問は続き、圧死、飢えと乾き、老人や、子ども(5才のこどももいた)、女性、弱いものから死んでいった。この拷問は8ヶ月続き、43人が命を落とした。
 
こんな風にさらっと書いてしまうにはあまりにも酷い出来事、でもあまりにもひどくてわたしには書けない。だからご興味のある人は詳しくはこちらを。またはウィキペディアの「五島崩れ」を検索してみてね。
 
 
この墓碑の隣には牢屋の笮殉教記念聖堂が建てられていれている。聖堂内部は中央部12畳分が灰色のじゅうたんで色分けされている。これは信徒たちが押し込められた牢屋だった場所を意味している。
 
なぜ?!
彼らはただキリストを救い主として信じていただけなのに。あまりにも酷い。こんなことができるなんて信じられない。それに彼らが牢の中で苦しんでいる間、死んでいく間、拷問で殺されている間に彼らの家の家財は全て略奪されていたという。
 
人間って本当に罪深い、醜い、恐ろしい、おぞましい。
 
この石は旦那がちかくの無人販売所で見つけて買ってきた。殉教の地、牢屋の笮と書いてある。ペイントされた赤い椿がまるでキリシタンが流した血の色のように見えた。
 
 
次は五輪地区。先ほど触れた浜脇教会の木造の旧教会堂がこの地に移築されている。
 
五輪地区の入江は静かでとても綺麗だったよ。
 
現在の五輪教会堂、ミサはこちらの教会で行われている。
この先に旧五輪教会堂がある。
もともと五輪地区の教会堂として浜脇教会の旧教会が移築されたのだが、老朽化で新しい教会堂を建てることになり、木造教会は壊されることに決まっていたのだが歴史的な文化遺産として価値があるという指摘を受けて旧五輪教会堂は残されることになった。
 
これが旧五輪教会堂。(もともとは浜脇教会)
弾圧から生き残った信者たちが建てた木造の教会。会堂を建てて信仰の自由をやっと得た時、彼らの喜びはいかほどであったろうか。
木造平屋で遠くから見ると普通に家のように見えるのだが中は立派なリブ・ボールド天井。
 この窓は面白かったよ。外に押し拡げるタイプの窓かと思ったら、そこは日本的に横にスライドさせるタイプになっているの。
守護者の聖ヨセフ像。
聖マリア像。
イエス・キリスト像。
教会堂のドア。素朴なステンドグラス。色も可愛らしい。
ここから奈留島へ行くためにフェリーにのる。海から見た旧五輪教会堂。余談だけど、歌手の五輪真弓(いつわまゆみ)のお父様はこの五輪地区出身だという。かつてこの地区は「五輪」という苗字が多かったそうだ。お父様は教会のオルガニストだったらしい。
 
 
旧五輪教会を後にして奈留島にやってきた!
 
奈留島の奈留島高校にユーミンの歌「瞳をとじて」の碑がある。それは。それはこんな経緯からだ。
 
1974年(昭和49年)に長崎県立五島高等学校奈留分校(現・長崎県立奈留高等学校)の女子生徒が奈留分校の校歌を作ってほしいとラジオの深夜番組『オールナイトニッポン』の「あなただけのイメージソングを作ります」のコーナーに投書したのがきっかけ。
 
最初は加藤和彦に頼んだのだが作ったテープがなくなるなどして最終的にユーミン、荒井由実作詞・作曲による「瞳を閉じて」が贈られた。1976年、この分校は長崎県立奈留高等学校として独立したので、その際にこの曲を校歌とするか検討されたが、校歌ではなく愛唱歌とされた。校歌でもよいのに…。
 
 
さて、そんな奈留島でお昼ごはん。これもツアーに含まれてるのだ。😁
食べきれないくらい!魚は新鮮で美味しかった。特にキビナゴのお刺身!全部五島の新鮮な食材が使われている。
 
 お昼ご飯のあとは、教会建築の名工・鉄川与助の代表作「江上天主堂」へ。白に水色が綺麗な教会。日本に定着した典型的な木造教会なんだそうだ。
 
 
教会堂の下を見て下さい。高床式で少し浮き上がったようになっているでしょう?。
この教会は森に囲まれていて、それも谷になっているため大雨が降ると水が流れこんでくる。周囲を水害から守るため高床式にしているのだそうだ。内部の柱も腐食防止と虫除け効果から下地にベンガラを塗り、その上から木目を描いている。(描いているとは思えない精巧さ!)ステンドグラスも手描き塗装によるものなんですって!
 
そしてオリジナルグッズの製作体験に三兄弟工房に行く。
その名の通り三兄弟で経営されている。輪切りにした木に焼きごてを使って五島の教会や五島列島のキャラクターのネコちゃんなど、いろいろな絵をかいたものがお土産として売られている。それを自分で作ってみるのが製作体験。
下絵になる絵は色々用意されているがオリジナルの絵をかいてもイイので、
私はリリコはん、旦那はウキューちゃん(下絵は私がかいた)を描いたよ。
裏はこんな感じ。これは最初から描いてある。
 
このツアーは良かった!何しろ島の道は狭く急勾配なところもある。旧五輪教会堂などは陸の孤島みたいなところだし、とてもレンタカーを運転して行くところじゃない。
 
それに効率よく観光スポットを回れる上に、潜伏キリシタンの末裔の方がガイドだったのでキリシタンがどんな環境に置かれていたのかどう耐えてきたのか勉強になった。質問にも色々答えてくれる。久賀島、奈留島へ行かれる方は絶対このツアーをお勧めするよ。
 
フェリーで福江港に戻った時の空。綺麗でしょ。天使の梯子だよ。神様が祝福してくださってるみたい。
福江港からはジェットホイル、高速船で長崎港にもどった。
 さあ、明日は最後の長崎観光。続く。
 長文読んでくれてありがとう!🙇‍♀️😘❤️
 
 
 
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夫婦旅行⑥ー五島列島・上五島(3/6)

2019-06-01 20:28:00 | お出かけ・旅行記
今回の旅行で一番行きたかったところ五島列島。
 
 私自身クリスチャンで、また世界遺産登録されたこともあるけれどアメリカで長男がお世話になったセラピストの先生が五島出身だったことがおおきな理由。
 
この日あいにくの雨。1時間半くらいで到着する高速船に乗って上五島の鯛ノ浦港へ。
 
上五島ではレンタカーを借りて移動。上五島空港から発車するシャトルバスで頭ヶ島天主堂へ。
頭ケ島天主堂
 
西日本では珍しい石造りのしっかりとした教会。黒ずんで見えるけど雨が降ったから。
ここにきた時は風はすごい、まるで嵐だった。🌀😵🌀カッパが役に立ったよ。
 
戦国時代、五島列島には2,000人の信者がいたそうだが禁教令で、キリシタンは途絶える。
1797年、五島藩が大村藩に荒地開墾要員の移住を要請したことをきっかけに、外海から潜伏キリシタンが海を渡り、五島各地には再びキリシタン集落ができる。上五島は役人の目が届かなかったから信者は増えていった。
 
長崎から密かに外国人神父が訪れるようになるが、翌年に「五島崩れ」と呼ばれる弾圧事件が起きる。頭ヶ島でも信者は拷問を受け、島民全員が島を一時脱出した。
その後弾圧がなくなってから少しずつ信者たちは戻ってきたんだって。
 
1887年、木造教会が建てられる。
1919年、鉄川与助の設計施工による石造り教会が完成。使用した石は信者らが近くの島から切り出し、船で運び組み立てた。
 2001年、国の重要文化財指定
 
内部は船底のような折上天井で、いたるところににツバキをモチーフにした花柄文様があしらわれ、「花の御堂」とも呼ばれている。この教会はまだミサに使われているので内部の撮影はできないのが残念。
 
正面から見た頭ケ島天主堂。この敷地内、向かって右側に拷問で使われた五六石がある。(キリシタン拷問五六石の塔)
青砂ヶ浦天主堂
 
煉瓦造りの重厚な教会堂。平面は3廊式バシリカ型、内部は木造円柱で身廊と側廊に区切られている。天井はリブ・ヴォールト天井。
 
真っ白なマリア様が入り口で迎えてくれる。
1899年から青砂ヶ浦が上五島の中心の教会となる。
1910年建立の現教会は、鉄川与助設計施工によるもので
信徒が総出でレンガを運びあげた3代目の教会。
2001年に国の重要文化財に指定。
 
大曽教会
この教会が一番好きだったなあ。だってイエス様が両手を広げて招き入れてくれるんだもの。
1916年、鉄川与助の設計施工で現教会が建てられた。レンガ造りの重層屋根構造、内部は3廊式でリブヴォールト天井。県指定重要文化財。
 
受付にこの教会の写真が置いてあったのだけど「環水平アーク」という光学現象をバックに撮った写真だった。
 
この写真を見た時、旧約聖書の詩篇19篇1節を思い出した。
 
天は神の栄光を語り告げ、
大空は御手のわざを告げ知らせる。
 
本当に神様の栄光が表されているような写真で素敵だった。絵葉書になっていたら絶対買うのにな….。環水平アークについては過去ログみてね。
 
 
この時、私たち夫婦の他は誰もいなかったので、静かな礼拝堂の中で「おおくのかむり、主に捧げよ」の賛美歌を歌った。
 
上五島巡りは時間をかけてゆっくりの方がいい。
上五島は教会が多く上五島だけで教会が30もあるんだもの。
 
今回の旅は嵐と他に予定があるのでこの3つの教会しか周れなかったのは残念でならない。車から見える教会に後ろ髪引かれながらフェリー乗り場へ。もし、今度行ける事があったら上五島だけゆっくりじっくり観光しよう。
 
 上五島はレンタカーを借りての観光のほうがゆっくりとできるのでオススメ。
 
フェリーで福江島に移動。五島列島というだけあって大小の島々が見える。風は気持ちよく楽しい。
 
 
 次は奈留島、久賀島のキリシタン物語ツアーに続く。😄
 
 
 
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夫婦旅行⑤ー長崎・大浦天主堂(3/5)

2019-05-20 01:18:00 | お出かけ・旅行記
広島からいよいよ長崎へ来ましたよ。
 
途中、博多から長崎に行くのに乗車した特急カモメ。
初めての電車に乗るのはこの歳になってもワクワクするものだね。
昼食はサッカーの吉田麻也選手が命名・デザインプロデュースをしたというLEKKERというお店でトルコライスを食べた。オランダ語で美味しいという意味なんだって。
 
やっと来た!、大浦天主堂!
正式名は日本二十六聖殉教者天主堂という。この地で殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。
 
史跡内に旧羅典神学校と旧長崎大司教館があり、大浦天主堂キリシタン博物館になっている。私はここで改めてキリシタン達の過酷な、壮絶な歴史を知った。
 
フランス人宣教師プティ・ジャン神父が信徒を発見した場面のレリーフ。浦上から来た潜伏キリシタンたち15名が訪ねてきた。彼らは密かに迫害に耐えながら何代も信仰を守り続けてきた潜伏キリシタンである事を告白する。
 
礼拝堂に初めて入り聖マリアの像を見たとき彼らの喜びはいかほどだったであろうか。禁教令から250年たっても教え導く宣教師や神父がいなくても彼らは何代にもわたって信仰を守り通してきた。本当にすごい事だと思う。
 
この信徒発見から各地で潜伏キリシタンたちが信仰をあらわにしたことで浦上崩れと呼ばれる4度にわたっての弾圧事件や五島列島でも五島崩れと呼ばれる弾圧事件が起こった。知れば知るほど酷いもので本当にもう心が苦しくなる。
 
大浦天主堂を後にし、グラバー園へ。
グラバー園にある旧オルト住宅。他にも敷地内にリンガー邸などの洋館がある。
残念ながら大規模な工事中。グラバー邸見たかった…。
グラバー園から引き返し大浦天主堂のすぐ近くにある祈りの丘絵本美術館。可愛らしいでしょう?
 
ママたちはどこかで聞いた事ないかな?よく小児科のお医者のところにパンフレットが置いてあるんだ。世界の絵本や童話、挿絵原画の展覧会などもやっている。
 
次は五島列島へ続く。
 
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夫婦旅行④ー広島平和祈念公園(3/4)

2019-05-06 12:05:28 | お出かけ・旅行記
宮島を後にして路面電車に乗って平和祈念公園へ。
広島の路面電車、都電荒川線みたいだな。
 
実を言うとこの地には初めて来た。よく修学旅行で訪れる人は多いと思うけど、私の卒業した中学、高校とも修学旅行で平和祈念公園に行くことはなかったのだ。
 
初めて近くで見る原爆ドーム。
静かだ。暖かな日差し、風、鳥の鳴き声。そう言う中にこの原爆ドーム。とても奇異な感じがする
今も残る瓦礫。その間で草花が生きる。とても平和なのにそれがなぜか余計に悲しい。
原爆ドームの元の名称は広島県産業奨励館。この写真は原爆ドームの隣にあった。こんなに立派な建物だったんだ。爆心地はこのドームのすぐ近く、200メートルしか離れていなかった。
 
Wikipediaによるとこの核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡し、原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被爆したとされる。
 
そしてこの特殊爆弾の爆発効果を観測し記録する目的だったと言う。原爆投下直後、軍部によって始められた調査は、放射能によって被曝者の体にどのような症状が出るのか、調べた記録(人体実験も含めて)を日本はそのすべてを英語に翻訳し、アメリカへ渡されたという。
 
エノラゲイ。原爆を搭載した戦闘機をスミソニアン博物館で見たことがある。原爆資料館で原爆が落とされ街が一瞬にして焼き尽くされる映像を見た時、あの時見たエノラゲイと惨状がリンクした。もちろんそこに原爆被害、その悲惨さなどは一切触れていない。
 
アメリカ人の60%の人は原爆投下によって戦争を終わらせることができたと未だに肯定的に捉えている。だから原爆投下のキノコ雲の切手まで発売された。この切手には原爆投下が戦争の終結を早めたと言う文が入っている。
 
また、国立航空宇宙博物館でエノラゲイと広島・長崎の原爆資料と並べて公開する企画があったのに退役軍人などの猛反対、その強い抗議の圧力により、この企画は中止、のちに館長は騒動の責任を取って辞任した。
 
戦争は恐ろしい。残酷である。人間って敵とみなしたら平気で殺してしまうのだろうか。誰もがそうなる残虐性を秘めているのかもしれない。
 
平和祈念公園の原爆死没者慰霊碑にこんな文を記してある。
 
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
 
これは私達一人一人が言うべき言葉じゃないだろうか。
 
 
No more Hiroshima!
No more Nagasaki!
 
 
 
 
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夫婦旅行③ー宮島(3/4)

2019-05-06 00:59:37 | お出かけ・旅行記
尾道から宮島へ。
 
宮島といったら厳島神社。歴史好きな旦那の強い希望であった。
 
私も楽しみだった。いつだったか友達のTちゃんが宮島旅行のことを話していた。「とにかく宮島は良かった!宮島にいる鹿もなんだかのんびりしてるよ。穴子飯がすごく美味しかった!「うえの」っていうお店の穴子飯だよ。」と言っていたので。😆
 
次の日、朝早く宮島行きのフェリーに乗る。
朱色が美しい。
こんな大きな美しい神社を海の中に建ててしまうなんて!
 
厳島(通称・宮島)自体が御神体で御神体の中に神社は建てられないということで海上社殿になったという。
 
「厳島の宮を造営すれば位階を極めるだろう」との夢のお告げにより、清盛は寝殿造の宮を建てたのだそうだ。
 
宮島の鹿。
 
同じ鹿でも奈良公園の鹿は鹿せんべいを貪欲にねだりに来る。もちろん可愛いんだけどがっついているというかスカートまでかじられたことがあった。
宮島の鹿は違ってのんびりしている。
 
私の目の前を止まることなく、鹿さんトリオはしゃなりしゃなりと通り過ぎていった。だからお尻からしか撮れなかったのよ。
 
厳島神社ちかくの立派な五重塔。こちらも朱色が美しい。
五重塔に隣接している豊国神社、通称千畳閣。高台にあるので眺めが良い。また、風が通って気持ちが良かった。
 
近くの土産物屋が軒を並べていて見るのは楽しい。もみじ饅頭のお店がたくさんあった。中の餡も味が色々。食べたかったけどお昼の穴子飯のために胃袋を開けておくのだ。😄
 
フェリーで宮島を後にし、あなご飯を食べに行く。
周りのお店はたくさん穴子飯の看板を掲げているけど、やっぱり老舗の「うえの」でたべることに!
 
美味し〜い!とっても柔らかくて、香ばしくて。(Tちゃん、本当に美味いよと心の中で叫んでいた!)
来てよかったな。
 
さあ、これから平和記念公園!
 
続く。
 
 
 
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夫婦旅行②ー尾道(3/3)

2019-05-03 08:27:28 | お出かけ・旅行記
姫路城をみた後、その日のうちに尾道へ。
 
宿泊場所は倉庫を改造して作られた自転車ごと泊まれるCYCLE HOTEL ONOMICHI U2。尾道駅から近い。
 
中はホテルとカフェやレストラン、尾道の名産、自転車グッズなどの店や世界一のサイクルプロショップ「GIANT」が入っている。レンタサイクルもしている。
なんで尾道かっていうと、大林宣彦監督の尾道3部作がすきだったから。特に「転校生」、「時をかける少女」の舞台が観てみたかったんだよね。
 
一泊して次の日はあいにくの雨。この日は3月3日の日曜日。近くの教会で礼拝を守ろう。
 
ホテルを早くですぎたので最初に御袖天満宮に行ってみた。
 
ここは、「転校生」のロケ地。尾美としのりと小林聡美が階段から転げ落ちて入れ替わるシーンで使われた御袖天満宮。
 
礼拝時間近づいたので日本基督教団の尾道久保教会へ。初めて行く教会でもどこの教会も自分の家のようでホッとする。神の家族としての教会はそんな温かさがある。
 
ともに賛美歌を歌い、ともに神様からのメッセージを聞く。不思議にこの日のメッセージは今置かれている私達の教会の状況と似ていて、それに対して励まされているようなメッセージだった。もちろん牧師先生はそんなことは知らないのだけど。
 
神様、ありがとう。そして温かく迎い入れてくださった尾道久保教会の牧師先生、教会員の方々に感謝だ。
 
 午後は尾道ラーメン食べて、いよいよ尾道散策。
こちらは尾道らしい風景。細い道、坂道、風情があっていいね。
 
 
 
尾道は坂道が多い。本当に多い。ここで問題が…。
私の履いていたジーンズ👖なんだけど。ぴったりしたものを買ったつもりだった。最初はね、ぴったりでとても快適だった。歩いているうちになんか緩んできて…どんどん下がってゆく…。😰ちょっと進むごとにジーンズをキュキュっとあげてまた緩んであげての繰り返えし。
 
この日は寒かったのでお尻まですっぽりのロングセーターを着ていて本当に良かった。そうじゃなかったら、しょっちゅう半ケツ状態だったに違いなかった….。😱お尻見えないで良かった…。😓
 
尾道文学館にも寄ってみた。
文学好きな人なら面白いと思う。林芙美子、志賀直哉などは尾道ゆかりの文豪。文学館から港が見える。なかなかの良い眺め。
文学館の優しいおじさんが今日はおひなさまの日だからと手作りの折鶴をくれた。こういうのなんだか嬉しいな。
 
 
尾道は猫の細道なんて名付けられるほど猫が多くて猫好きの私には嬉しい。
 アルバちゃんみたい。
うちのリリコはんに体型が似ている。ポテポテと歩いてました。
猫の細道付近。尾道散策は坂が多いので体力を使う。喉が乾いたので梟の館というカフェで一休み。オーナーさんが梟がお好きらしい。店のいたるところに梟の置物がたくさんある。もちろんコーヒーカップも梟柄。建物が一見廃屋といった感じ(ごめんなさい🙏💦💦)でも趣があって素敵。写真撮っておけば良かったなぁ。
 
帰りは「時をかける少女」のロケ地。
 
主人公の吉山和子がタイムスリップした時に(七五三のお祝いのために両親と来ていた)幼い自分の姿を見かけるシーンで出てきた。艮(うしとら)神社。千光寺のロープウェイ乗り場がすぐそばにある。
立派なクスノキ。樹齢は900年くらいなんだとか。
手水場の彫り物が亀とは珍しい。龍とかならよく見かけるんだけど。
 
尾道の印象。雨、坂、猫、教会の温かさ。そしてベルト。これはジーンズ下がっちゃって大変だったので尾道福屋で買ったから。😅
さあ、お次は宮島へゴー!
 
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久しぶりの夫婦旅行①ー姫路城(3/2)

2019-05-02 13:39:00 | お出かけ・旅行記
長いゴールデンウイーク、酷い風邪をひいてどこも行けないので2ヶ月前に行った旅行記でも記そうかな。
 
3年前、旦那は初期の胃がんを手術した。20キロ以上も痩せて、不安を抱えながら、それ以来定年後の旅行を楽しみにこの時まで頑張って働いてきたの。結構ブラック企業でさぁ。大変だったと思う。私たちを養うために一生懸命働いてくれた。ありがとう。
 
ということで、もう2ヶ月近くも前のことだけど…3月の初めから7泊8日の旅行に行ってきました。
 
私も旦那も体の調子がイマイチなので海外よりは日本国内がいいということで姫路、尾道、広島、長崎、五島列島の旅にいってきたんだ。
 
旦那一押しの姫路城。日本初の世界文化遺産になった所。別名、白鷺城。本当に白くて綺麗。
美しさもだけど、このお城、攻防においても優れた城なのよ。中は迷路のよう。天守閣になかなか中に入れないようになっている。中にも石落とし、武者隠しなど色々仕掛けがあって面白い。
江戸時代初期に建てられた城に入ることができてしかも触れるのは日本くらいじゃないかしら?アメリカの歴史建造物なんてちょっとしたところも、とにかく「触るな」だったから。
 
 
天守閣から西の丸御殿、百間廊下を臨む。
ここは大阪城落城後、本多忠刻に輿入れした千姫が暮らしていたところですって。
 そういえば、この城の敷地内にあの皿を割って殺され、幽霊となって毎夜皿の数を数える「お菊の井戸」があった。
 
その時ふと思った。あれ?江戸の番町皿屋敷じゃなかったの? 実はこの類の話は日本各地にあり、その中でも姫路を舞台にした播州皿屋敷と江戸を舞台にしたお江戸番町皿屋敷の2つが有名なんですって。
 
私は落語の皿屋敷が一番好きだわ。
 
さあ、旅行は姫路を後にして尾道へ続く。
 
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