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風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

奏楽デビュー無事に。

2009-06-02 00:29:08 | キリスト教(行事、他)
やっとおわった~って、奏楽のことですよ。

31日はペンテコステ(聖霊降臨節)礼拝でした。
キリスト教ではクリスマス(キリストの降誕祭)、イースター(キリストの復活祭)についで重要な日なんです。

キリスト教では父なる神、子なる神(キリスト)、内なる神(聖霊)を三位一体といいます。よく政治や、グルメ番組でつかわれたりするけど、もともとは神学用語です。その内なる神、神の栄光志、私達キリスト者の助け主、導く真理の御霊が私達に与えられた事を記念する日なんです。また教会の誕生を祝う日でもあります。



絵の好きな方はエル・グレコの「聖霊降臨」の絵を見ましょう。
このペンテコステの日に聖霊が降った時の様子が描かれています。

聖書から。「五旬節の日になって、みなが1つところに集まっていた。すると、突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、一人ひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに他国の言葉で話し出した。」(使徒の働き2章1節から4節)




さてこの日の奏楽曲。


前奏・・・Worship song「As the deer」

賛美曲・・聖歌190番「御霊の神よ」
     聖歌576番「聖霊きたれり」
     讃美歌499番「御霊よ、降りて」

献金の曲・・・Worship song「I Love You Lord」


頌栄・・・讃美歌540番「みめぐみあふるる」

後奏・・Worship song「To Him Who Sits on the Throne」


途中ちょっと真っ白になってしまって、これは曲か?っていうようなところもありましたが何とか無事に奏楽を終えました。

フルートで神様を賛美する事はあったけどピアノというのは初めてだったので緊張しましたよ。それに人前でピアノを弾くなんて何十年ぶり?

でもいい勉強になりました。奏楽者の方々の大変さがよくわかりました。

入院していた奏楽のH姉妹もその前日に退院し、礼拝に出てこられました。また彼女のかわいい笑顔がみられてよかった、よかった。

ハレルヤ!





奏楽デビュー

2009-05-25 23:50:35 | キリスト教(行事、他)
デビューなんて書いたらなんだなんだと思うでしょう

奏楽というのは教会での讃美歌の伴奏だったり、礼拝の前奏、後奏などの音楽の奉仕のことなんです。たいていはオルガンかピアノです。

今月になって我が教会の奏楽者の1人が緊急入院してしまった。奏楽者は2人しかいなかったので当然のこり1人になってしまう。だからフルートでもなんでもできることならやりますと牧師に申し出たところピアノでの奏楽をたのまれてしまったのです。

練習し始めてすぐに思いました。
無謀なことしているんじゃないかしら。。。。ひきうけなければよかった。どうしよう。。。

奏楽奉仕を引き受けた事を知っただんなおよび長男は「どうしてそんな事引き受けたの!」と半分あきれたように怒る・・・・。

「なんとかするもん。」


なんとかするというのはこういうことである。
聖歌・讃美歌はそのまま弾くととても難しい。(私には)
だからメロディーラインを引いて左手は簡単なリズムを刻むようにするのである。
後の前奏、献金の時、後奏はワーシップソングから3曲選んだ。もちろん弾く
事が出来て歌の内容が・・いいものを。

奏楽デビューはは31日ペンテコステ礼拝の時。

さてさてどうなるどうなる。


Beautiful

2009-05-09 00:59:44 | キリスト教(行事、他)
この風景見たときゴスペルの「Beautiful」を思い出した。



Beautiful,beautiful,Jesus is beautiful

and Jesus makes beautiful things of my life.




今日の・・・あ、日付変わってるし・・・昨日の空です。





雲の隙間から光の梯子が何本も・・・それはもう美しかったですよ。携帯だからあまりいい映像ではないですけどね。

素敵な風景を感謝して、ふっと後ろを振り返ると。。。。なんと!そこには虹が!こちらもきれいでした。あの色合いが写真で出せないのがくやしいね。



今日は心にあったわだかまりが解決したところだったからこの風景がなおさら神様からのプレゼントみたいに感じて・・・・うれしかったんだ。


「わぁ~きれい~」などといいながら畑の周りをうろうろしていたのだから変な奴に見られたかもね。

それでもいいのだ!

クリスマス礼拝&祝会

2008-12-21 18:46:10 | キリスト教(行事、他)
ハレルヤ!

クリスマスおめでとうございます。

一足早く教会ではクリスマス礼拝と祝会がもたれました。

先月の30日から今日までアドベントの期間、新しく、また、久々に教会を訪れた人もいらっしゃいました。そういう時は本当に嬉しくてなりません!

今日は特に祝福に満ちていました。

小学生の新来会者が4人もいたこと。

障碍児のノーマライゼーションのため奮闘しておられた友人が久しぶりにこられた事。
長い間アキレス腱を切って療養しておられたS姉が松葉杖でいらっしゃり、前から予定していたお証を今日のこの日にできたこと。

体調を崩しておられた方々が、みな健康を守られた事。

それに今日は私の母がきてくれたのです!
5日前、今度のクリスマス礼拝にきてくれるか聞いた時、「行こうと思ってるよ」と言ってくれたのでした。感謝!

礼拝では鳥の歌を演奏しました。やや練習不足は感じましたが、この頃礼拝でフルートでの賛美をさせていただくうちに本当に何も考えず吹く事ができました。


祝会では壮年会の出し物でみんなユダヤ人の格好をし、「ちびたザアカイ」を熱唱!ダンナもユダヤ人の格好をして歌いましたよ。(中東系のあの格好)付け髭までつけてね。

それを見た子ども達の喜びようといったら!
みんな幸せそうに笑っていました。
今日はファミリークリスマス礼拝と言う事だったので、子ども達雅楽しめるような歌やお話が多かったんです。CS教師たちの人形劇も喜ばれていました!


それにしても子どもの笑い声っていいですね。聞いているだけで心がなごみます。

こんな風にたくさん恵みをうけた一日だったのです。


皆さん、良いクリスマスをお迎えください!



コーヒーアワー

2008-12-08 20:27:11 | キリスト教(行事、他)
もう先月の話になるが、東久留米にあるクリスチャンアカデミーでコーヒーアワーが開かれた。年2回、いろいろなテーマでの講演会がある。今回はソプラノの工藤篤子さんのお証とコンサートだった。

最近のコーヒーアワーには体調が悪い時といろいろな行事とかさなって日程があわず行かない事が多かった。だからコーヒーアワーからのお知らせ等も家には直接来なくなっていたのだが、今回は思いがけないところからお知らせがとどいた。


2年前ほど、コーヒーアワーで知り合った方がいた。コーヒーアワーはその名の通り講演会の前の時間にコーヒーブレイクがあり美味しいコーヒーとお菓子がいただける。普通は同じ教会の人同士や、友達同士がテーブルで語らいのひと時となるのだがそのとき私は1人出来ていた。たまたま隣り合った方も1人だったので思い切って話しかけてみたのだった。それがMさんである。それがきっかけでMさんが年賀状をかかさずくださるようになった。

そのMさんからコーヒーアワーのお知らせが届いたのだった。添えられた手紙にはMさんらしいきれいな文字で最近著書を読んで感動された事、音楽好きな私に喜んでもらえる内容だということが書かれてあった。又、Mさんはコーヒーアワーのスタッフもされているということだった。

気にかけてもらえた事への嬉しさと感謝でいっぱいになり、ぜひとも行きたいと思ったのだ。しかし、声楽家の工藤さんの事は名前は知っていてもどんな歌声の方なのかもしらなかったのである。

今回は有名な工藤篤子さんと言う事で満席に近い状態。以前三浦光世さんがいらした時と同じくらい盛況ぶりであった。

私は車で道に迷ってしまい5分ほど遅刻してしまったが、ちょうど工藤さんの歌の前に席につく事ができた。ふと見るとMさんが忙しそうにカメラを片手に走り回っていた。

さて、工藤さんの歌は地中海ソプラノと言う声質なのだそうだ。明るい管楽器のような声。その歌声は本場地中海地方のかたにも絶賛されたという。

工藤さんが歌うと横にいる手話通訳の方が音楽の雰囲気を手で表現し、歌詞を手話でつたえる。聴覚障害者は毎回熱心にこの場にやってきて証や、講演、音楽を楽しんでいるのである。私は歌を聴いてこれほど泣いた事はない。工藤さんの声が心にしみこんでくるのだ。神様がなさった事を証視ながらその内容にあった歌を歌う。それは私にも覚えがある体験だったり、同じ御言葉で導かれたりと工藤さんと私には不思議なくらい共通点があったのだ。

中でも鬱の症状はよく似ていた。起き上がれない。現実に立ち向かえず、気力をまったく失っている。お証でその状態から救ってくれた御言葉を紹介されていた。

「しかし、人が主に向くなら、その覆いは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私達はみな、顔のおおいを取り除けられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと主と同じ形に姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(IIコリント3:16~18)

主の御顔を仰ぎ続けることするべきことなのだと悟ったそうだ。後に工藤さんとお話する機会があり、私も鬱でとても励まされた事を話すとにっこり笑って「主と共に歩んでいくのよ。」と握手してくださった。

また、このコンサートでの恵みがもう一つ。私は21日のクリスマス礼拝で「鳥の歌」をフルートで賛美することになっている。

その鳥の歌を工藤さんが歌っていらしたのだが、初めて歌詞の意味を知ることが出来た。この曲がカタロニアのクリスマスキャロルでイエスキリストの降誕をお祝いしている内容だということは知っていたが、細かい歌詞の意味まではしらなかったのだ。




幸なる夜、一番光る星が現れる
鳥たちはその美しい声で歌いながら
祝福の挨拶を交わしている

鳥たちはこう歌った

「マリアから生まれた幼子はなんてかわいらしいんだろう!」

一羽のつぐみが喜びあふれてこう歌った
今こそ死は打ち負かされた!
私の命であるお方がお生まれになったのだから。



コーヒーアワーは最初から最後まで祝福にあふれていた。涙がでてしかたなかった。

Mさん、工藤さんに感謝だが、今一番必要な事を主は知っているのだ。Mさんを通してコンサートへ導き、工藤さんの歌によって力を与えてくださった主に感謝!

クリスマス礼拝へのご招待

2008-12-01 20:05:35 | キリスト教(行事、他)
教会では30日からアドヴェント(待降節ー救い主の誕生を待ち望む期間)にはいりました。

アルバが見守ってくれたステンドグラス(黒画用紙とセロファン)も完成し教会に飾る事ができました。

それに、H兄が作ってくださったステンドグラスは東方の三博士が星を便りに旅する姿が描かれていてとても素敵です。

又、A姉が毎年、つたや松ぼっくり、針葉樹、可愛らしい赤い実をかざりつけた大きなアドヴェントクランツもすばらしいものです。

アドヴェントクランツ意味については過去記事「アドヴェント・・・クリスマスの本当の意味」をみてね。


みんなで作った立体の星も飾られ、教会の中はクリスマスに向けて喜びにあふれていますよ。

昨日の聖日からクリスマスキャロルでの賛美、私もフルートでの賛美をさせていただいています。曲は「久しく待ちにし」でした。

そして、毎週、礼拝の中でのフルート賛美の御奉仕をさせていただくことになり感謝です。


我が教からファミリークリスマスへのご招待です。下記はこれからの予定です。
お近くの方いらっしゃいませんか?もちろんお子様のご参加も歓迎ですよ。


場所:みずほ台キリスト教会(〒354-0042 埼玉県入間郡みよし台9-2栃木ビル3階......東武東上線みずほ台駅西口下車10分)

電話049-259-6765

時間:10:30~12:00頃


12月7日(日)・・・・クリスマス礼拝2「神への献身」

12月14日(日)..クリスマス礼拝3「愛と真実」

12月21日(日)..クリスマス礼拝4「素朴な信仰」*この日は礼拝終了後、食事とレクリエーションがあります。



皆さんきてくださいね~。

新しいお仕事で気がついた事

2008-10-11 00:34:02 | キリスト教(行事、他)
10月から某お菓子工場のパートではたらいている。
まるでウイリーウォンカのチョコレート工場にいるウンパルンパになった気分。

鬱も良くなり薬はマキシマムだった薬の量がだんだんとへって今は半分になっている。良くなったら働こうと思って、リハビリとしてチラシ配りの仕事などしていたのだが、今回、週3日以上で半日というありがたい条件があったのでその工場で働くことにした。

もう2週間たったが・・・・・今までのパートよりつらい・・・。仕事場にいくたびに情けなくなる。。。


今までの仕事は自分のペースで出来る仕事だったが、今回はベルトコンベアーによる流れ作業。どれもかんたんな手作業だがある一定の速さを求められる。ハッキリいってのんびりやの私にはあせあせしながらの作業だ。それも4時間たちっぱなしのぶっ続け。その間トイレ休憩が1回。

自分のペースで出来ないのはちときつい。従業員不足のためか作業場所がよく変わるのだ。

先日、初めての作業についた時の事である。入れ物を出して並べるだけの単純作業だが・・・・・。

「ああ、そんなやりかたじゃだめよ!」「5つやったらこっちの作業も手伝ってあげてね。」「そうじゃなくて。もっとこうするのよ!」「誰かおしえてやんなきゃだめよ。」

どうしたらいいのかわからなくなった。わからないままあたふたやっているうちにまた違う人から同じ事を言われる。思わず言ってしまった。「やってます!」と・・・。

仕事が出来ないと思われたくない。

こんな人達に馬鹿にされたくない。

そんな思いだった。2つの作業をするのにその速さについていけない自分が情けなくなった。

でも、ふと気がついた。

この変なプライドって何?
何で「こんな人達に馬鹿にされたくない!」っておもってしまったんだろう?
勝手にその人達を下に見ているような高慢な思いはどこからきたのか。

いつの間にか人を敵視して、いつの間にか高慢な思いを抱いていた。

それに今の自分の状況。
これって長男の置かれている状況に似ていないだろうか。

彼もまた、自分のペースを大事にする。そして、2つ以上の指示が入らない。たくさんのことを同時に言われたり、攻められるような事をいわれ続ければパニックになる。相手を敵視する。それにやはり自分はちゃんとできる。理解してほしいとおもうことだろう。

私の高慢は別として、長男がパニックになった時の気持を思った。

私は自分のことを理解してほしいと思いながらも長男を本当には理解していなかったのかもしれない。

これもまた罪の性質なのかと思った。
人を敵視し、憎み、高慢になり、自分を正当化する。

もう一度主に立ち返って謙遜にならなければと思った。

この仕事を何で選んでしまったんだろうと常に思っていたけど私の心の中にある罪を学ぶためだったのかもしれない。

いつか牧師先生が泥水を例えていっていたことがある。

キリストを信じた時の心の状態ーーー泥水のドロが下にたまってクリアな水とにわかれている。そのドロが罪の性質。キリストを信じたからといってもその罪の性質がなくなるわけではないのだ。そしていろいろな事で時々の心の中がかきまわされ再び泥水になる時がある、それが再び罪の性質が表に出る時だと。

泥水の状態だったんだな。

信仰の原点に立ち返って罪の性質について再び考える時をあたえられていたのかもしれない。







憧れの人にあったのに・・・・・

2008-07-19 20:30:12 | キリスト教(行事、他)
英語が・・・・でてこない。

せっかく憧れのM先生とお話しする機会ができたというのに~。

彼女は今、賛美歌を習っているアカデミーの講師のかたである。
70年代くらいから喫茶店で音楽伝道をされていた方で、ちょうど前のゴスペル音楽院のDVD講座でM先生の賛美に対する考え方を知ってものすごく感動したのだった。

今のアカデミーでM先生が賛美の講義をなさっているのを知ってぜひとも賛美奉仕者の講義を聴講したく思い、今のアカデミーに入ったのだった。

いつも優しく微笑んでらっしゃる。今日は「Hi!Dear 」といって抱きしめてくださった。その後授業開始までに時間があったので思い切って話しかけてみたのだ。

私としては「全ての楽器、音楽は神様からのもの、その音楽を神様のもとに奪いかえそう」というその思いに深く感動したのでそれを伝えたかったし、会えたことをとても嬉しく思っていることを伝えたかった。もちろん先生は長く日本にいらっしゃるから日本語は出来るのだが、授業のときは英語になる。

だから、出来るだけ英語で、と思ったのだけどね・・・・・。

出てこな~い!!英語が! 単語が! え~ん。。。

5年間もアメリカにいたのに~。

会話になってない!

情けな~い!!!

多分、お話できた嬉しさで舞い上がっていたんだろうな。
過去形も現在形もぼろぼろ。3単元のSはどこへやら・・・・。M先生が日本語で話しかけてくれているのに英語で返してたり。
もう最後は英語と日本語のちゃんぽん状態。

今日の授業もとても祝福された。私達は砕かれなければならないことや、私達の努力や自分の力ではなく聖霊の働きがなければ何一つなしとげられないこと。私達は1人1人が聖霊の住む宮であり、聖くなければならないと御言葉から学んだ。
M先生も通訳のK先生もすごい信仰の持ち主だ。

このアカデミーに来ると自分の心の汚れが聖められていくような感じがする。受講生の方々との交流も私にとっては勉強になることばかり。

授業のあと、M先生は私を覚えてくださっていて、またお話しすることが出来たのだった。帰る時も優しく抱きしめてくれた。

そのときもひどい英語だったけど・・・・。

なんだかすごく心が満たされた。
いつも移動の時お昼にかかってしまうから「ヴィO-イン・ゼリー」の十秒飯なんだけど、おなかがすいた気がしないくらいにみたされていた。

ハレルヤ!神様ありがとう。




優しさに包まれました

2008-06-26 00:21:22 | キリスト教(行事、他)
小さい頃は神様がいて~
不思議に夢をかなえてくれた~
優しい気持ちで目覚めた朝は~
大人になっても奇跡はおこるよ~

ユーミンの「優しさに包まれたなら」という曲があったね。

その曲を思い出させるようなことがあった。



今日は沖縄のY姉の話。

目鼻立ちがはっきりしていて、モデルさんのように美しい人だ。初めてグリニッチの教会にいらした時、なんだか不思議に打ち解けて話す事ができた人だった。

マンハッタンでルームシェアをしながら働き、学校に通っていた。9.11の後、働き口もなくなり、体調を崩されて私達より一足先に帰られた人だった。

その後、私は彼女の事が心配で励ましのハガキや手紙など送っていた。
もちろん、自分が勝手に送っているだけだから気を使わないでね、なんて書いていたのだが、自分が鬱になって初めて彼女の辛さがわかるような気がした。

手紙に「頑張れとか書かなかったけど、彼女にとって気が重たかったかな。」ときになりつつ年賀状だけは送り続けていた。

この頃、朝の祈りのとき、特に彼女の事が気にかかっていたのでずっと祈り続けていた。たまには電話でもかけようか、でも彼女の調子が悪い時だったら・・・。
そんな感じでかけるのをためらっていて、彼女の癒しを祈り続けていたのだ。

そんな時に、彼女から電話が!

「もしもし、パスピエですが。」
「あの、Yです。」
「え!!!!!」

Y姉は私からの年賀状に少し具合が悪いと書いてあったのをずっと心配してくれていたのだそうだ。どうしているだろうと気になりつつ今日まで来てしまったといってくれた。

それから教会のことやお互いの身体のこと薬の事、ローヤルゼリーがいいみたいとかいろいろ話した。マンハッタンにいた時の過酷な生活などなど。Y姉がこれだけ話せるのはかなり元気になったんだなと感じられた。彼女は彼女で私が元気そうで良かったといってくれていた。

不思議だ。
同じ時に同じ事を同時に考えていたのかと思うとこんな風に粋なとりはからいをしてくださった神様に感謝したい。

Y姉からの優しさに満ちた気持ちが伝わって本当に嬉しいひと時にだった。

ペンテコステの日

2008-05-13 15:53:58 | キリスト教(行事、他)
11日の日曜日。ペンテコステ礼拝であった。

ペンテコステ(聖霊降臨節)というとどうしてもエル・グレコの絵「ペンテコステ(五旬節)」を思い出してしまう。私の好きな絵の一つである。

その絵には驚きの顔で天を仰ぐ使徒、また天をあがめる使徒達、それぞれの頭上には炎(のようなわかれた舌)がとどまっている様子が描かれている。


この絵は新約聖書の使徒の働き2章1~3節の様子を描いたものだ。

「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、一人ひとりの上にとどまった。」

この後使徒たちは聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに他国の言葉で話しだし、周囲のいろいろな国からきていたユダヤ人たちをびっくりさせている。
そして力強くキリストを証し、多くのものが悔い改めてクリスチャンとなっていくのである。キリストを救い主だと信じたものには聖霊の賜物があたえられるのだ。

三位一体という言葉をご存知の方は多いと思う。よくこの頃、政治だの、料理の味などに使われたりするが・・・・本当はキリスト教の神学用語なのだ。

よく「父と子と聖霊の御名によって」と教会で祈ることがある。それは父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊の三位一体の神ということなのだ。

じゃあ三つの神なのかと勘違いしないでくださいませね。

父なる神、子なる神、聖霊、それぞれの本質が1つだということでキリスト教は唯一神を信じる宗教である。

でもこれも聖霊の働きがなければ信じることは出来ないのだ。そして私達信徒がキリストに倣い、生活していくにも聖霊の助けがなければできないのである。聖霊は私達のうちに住むうちなる神であり、導いてくださるのだ。



キリストが十字架にかかる前に使徒達にこういっている。

「わたしは父にお願いします。父はもう1人の助け主をあなた方におあたえになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は真理の御霊です。世はその方を受け入れることが出来ません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなた方はその方を知っています。その方はあなた方と共に住み、あなた方のうちにおられるからです。」(ヨハネの福音書14章16~17節)

そして、キリストが復活して後、昇天する直前にもこういっている。

「しかし、聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなた方は力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」(使途の働き1章8節)

だからその後の使徒の働きにはめざましいものがあったのである。


この日の礼拝では「ラシーヌ讃歌」をフルートで賛美した。「どうか、多くの人が救われますように。私の母の上にも聖霊の働きがありますように。」と心で願いながら。また助けぬしなる聖霊が与えられていることに感謝しつつ。