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風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

復活祭のロケット花火祭り

2010-04-06 20:44:48 | キリスト教(行事、他)
一度行って見てみたいなと思っているのが、ギリシャ・ヒオス島の復活祭に行うロケット花火祭り。

二つの教会がロケット花火を数万発撃ちあう党いうもの。ものすごい迫力。「世界ふしぎ発見」「いってQ」とか今日もどこかのテレビニュースで取り上げられていたっけ。

でもさぁ、よく言われるのが、ライバル教会がロケットを打ちあうっていうのだけどその解説やめてほしいよ。いかにも教会どうしが争っていそうな印象をうける。ってちがうんだよ。

ということで知ったかぶり解説。

このお祭りの起源はヒオス島がオスマントルコ占領下までさかのぼる。

この時教会の鐘を鳴らすことを禁じられていたのだそうだ。
どうにかして鐘を鳴らそうと思いを巡らした結果、2つの教会が騒ぎを起こし、互いの教会の鐘を銃弾を撃って鳴らすという策に出たのが始まり、それがいつの間にか花火になったのだそうだ。

だから教会どうしがあらそってるんじゃないんだよ。


ステンドグラス風切リ絵イースター編

2010-04-04 22:20:51 | キリスト教(行事、他)
S兄にたのまれてイースター用にステンドグラス風切り絵を作ってみた。
はじめまったく図案が浮かばなかったんだけど、祈っていくうちにだんだん出来てきたんだ。




これはイエス様がエルサレムに入場する場面。

この時ユダヤ教徒が行う過ぎ越しの祭りが近付いていていろいろな所に散らばっていたユダヤ人たちがエルサレムにきていたのだ。ゼカリア書にこの様子が預言されていた。人々は自分たちをローマ帝国から解放してくれる救い主だと棕櫚の葉を持ち自分の上着を地面に敷いて、

「ホサナ(救ってください。)祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」

と喜び叫んだのである。


次の作品は、十字架磔刑。



ユダヤ人たちは自分たちをローマ帝国から救って新たな王国を作ってくれると思っていたが人々の思っているようなこととは違っていたのだ。期待は怒りにかわる。イスカリオテのユダもその一人だ彼はイエスを邪魔に思い、なき者にしようと思っていた祭司長、律法学者たちに銀貨30枚でイエスをうってしまうのである。ユダヤのローマ監督だったピラトはイエスに何の罪も見いだせなかったが群衆の反乱を恐れてイエスの身を群衆の判断に任せた。しかし神様はすべての上で働かれている。もっと大きな神様のご計画のために。イエスはすべての人の救いのために十字架の死にまでしたがわれたのだ。

映画の「パッション」をご覧になればイエスがいかに残酷な仕打ちを受けたかを知るだろう。
当時十字架刑は一番、残酷で不名誉な刑であり、長い間苦しみ死ぬための刑罰。それは人びとへのみせしめでもあった。

セロファンの色が限られているのでちょっと配色に苦労した。暗雲は赤と青を重ねてつくった。
十字架は三つ立っている。イエスとともに2人の十字架に付けた。一人はイエスをののしり、一人はイエスを神の子だと信じた。天からの光は罪を悔い改めたすべての人に、嘆き、苦しみ、権力も富も持たない人たちに降り注いでいることを表してみた。



次は復活の場面。



イエスは復活後、いろいろな弟子たちにその御姿を見せている。女たちに、エマオに行く途中の弟子たち2人に、また、迫害をおそれ、集まっていた弟子たちに。。。
弟子たちはイエスがローマ兵にとらえられた時みんな逃げてしまった。そしてイエスが処刑された後も弟子たちは迫害を恐れて戸を閉めてこもっていたのだ。復活のイエスにあった女たちの話も全くしんじられないでいた。その中に「平安があなたがたにあるように。」と言って姿を現すのである。

そして、この復活の主イエスを見た弟子たちはあれほど恐れていたにも関わらず、迫害をおそれず、エネルギッシュに宣教活動をしていくのだ。

ヨハネの福音書20章29節、31節はすべての人に向けられている。

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなた方が信じるため、また、あなた方が信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」





今日はイースターサンデー(写真つき)

2010-04-04 17:28:42 | キリスト教(行事、他)
皆さん、イースターおめでとうございます!

前記事にも書きましたがキリストの復活をお祝いするキリスト教の大事なお祭りです。
今日はみずほ台キリスト教会のイースターの様子をご紹介です。

今日は礼拝の中でフルートで特別賛美をさせていただきました。

曲は「イースターの朝には」

イースターの朝には白百合をいけましょう~

アメリカではあちこちに売られていたイースターリリー、日本ではこの時期、悲しいことにほとんどみることはありません。ユリの苗はあるのですがまだまだ小さな苗でした。今日はO姉が白百合の代わりにユリ科の白のアルストロメリアと黄色のかわいらしいチューリップを生けてくださいました。




イースターエッグです。

これも復活を象徴しています。
拾ってきた枯れ木にエッグをつるしてみました。もうちょっとカラフルにすればよかったかな。




今日の聖書箇所はヨハネの福音書11章1節~44節から「復活のいのち」と題してメッセージが語られました。

ラザロの復活の場面。マリアとマルタの兄弟ラザロが死んで悲しんでいるところへイエスはこういうのです。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

「ラザロよ、出て来なさい。」そしてラザロは復活したのです。

いのちの主はいつでも力強く私たちに語りかけています。


礼拝の後は愛餐会がありました。皆さんで持ち寄ったおいしそうなごちそう。私はほうれんそうとベーコンのキッシュを作りました。このほかに手作りのケーキがあったりしたんですよ。可愛い小学1年生のK君はお寿司メーカー「お寿司屋さん」で巻きずしをつくってくれました。おいしかったよ、K君。



おいしいものを食べた後はまたまたH兄の登場。我が教会のエンターテイナー!!
ぬいぐるみのアマガエル君を片手に腹話術を披露。聖書のお話もためになりました。大人から子供まで笑わせてくれる。何でもやるなぁ。。。。尊敬!

そのあとはジェスチャーゲームなどなど。私たちも夫婦で参加するはめに。。。。お題は「クジャク」。笑いとともに答えはすぐ出ましたねぇ。私はクジャクの本体なので後ろで尾羽の部分を担当した主人が何をやっていたのか見られなかったのだけどなんかうけてたなぁ。


長男や次男はちょっと恥ずかしかったらしい。長男は途中で帰っちゃったし、次男はいい加減にしろよ的な顔してたっけ。

和やかにイースターの愛餐会は終わりました。Hさん、司会御苦労さまでした!

イースターってなんだか知ってる?

2010-03-29 23:22:59 | キリスト教(行事、他)
イースターとは新約聖書、特にその中の福音書に記されているイエス・キリストが十字架上で亡くなった後、三日目に復活したという出来事を記念して行われる礼拝、また、それを行う日曜日のことでキリスト教ではクリスマスと同様にとても重要な行事です。

イースターには彩色された卵を飾ったり、その卵を探すエッグハントのゲームをしたりまた、小さなかごに卵形のチョコなどを入れてプレゼントしたりします。卵がイースターの象徴とされているのは硬い殻を破って新しい命が生まれてくることが復活を連想させるからなのです。またイースターバニーが子供達に卵をプレゼントしてくれるという伝承もあります。

ではなぜイースターは大切なのでしょうか?

聖書によればすべての人は罪びとです。(罪とは神様に背く事、偶像礼拝、不品行、敵意、争い、そねみ、ねたみ、憤り、偽りなど。)罪の結果、人は神様との交わりを断たれ、そして永遠の命という祝福から引き離されてしまったのです。

その和解のためイエス・キリストは私たちの罪を許すため、人となられ、私たちの身代わりに十字架上で苦しまれ、死んでくださり、私たちのためによみがえられました。罪を悔いて、そのことを信じるなら、あなたを救い、あなたに新しい命を与えてくださるのです。そしてキリストが死に打ち勝ったことで私たちすべての人に永遠の命という希望があたえられているのです。

イエスは言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11章25節)

今年のイースター礼拝は4月4日です。あなたも近くの教会の礼拝につどい神様からの命あふれるメッセージを聞きませんか?



詩篇62編

2010-03-22 23:08:08 | キリスト教(行事、他)
この頃、とても心が疲れる。
自分の中にある偽善に嫌悪を感じる。本当は嫌なのに、いい人ぶっている。
居場所がない。そんな気分。自分に存在価値があるのか。
でもその悩みが本当は大したことがないのではないかとかいろいろ考えてしまう。

ただむなしくて仕方がない。私w取り巻くすべてから逃げたい。


20日土曜日、この日は大好きな宣教師、M先生とK先生による「賛美と礼拝講座」。

モーセの幕屋から賛美と礼拝を学ぶ。新鮮な驚きともに深い学びだ。この日はなんだか分からないけど、M先生に悩みをうちあけた。問題が多すぎて神の恵みがわからなくなるときがあると・・・。そうしたらM先生は詩篇62編の1節、2節、5節~8節を贈ってくれた。この聖書個所を声に出して読んでみてと言われたので読んでみた。

詩篇62編

1:私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

2:神こそ、わが岩、わが救い。わがやぐら。私は決してゆるがされない。

5:私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。

6:神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決してゆるがされることはない。

7:私の救いと、栄光は神にかかっている。私のちからの岩と避け所は、神のうちにある。

8:民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなた方の心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。



8節を読む頃には涙声になってしまってほとんどかすれ声だった。いつもいつも注ぎだしているのに。「わかっているけど、時々待ち望むことができない!」というと「神様はすべてご存じよ。」といって手を握り祈ってださった。

とても長い祈りだった。いつのまにかK先生も来てくれてともに祈ってくださった。
優しい慈愛に満ちたほほ笑みにホッとした。

聖書の中で、また礼拝のメッセージの中で友達をかいして、いつも来る答えは「待ち望みなさい」だ。
私は十分待ったつもりでも神さまの時間とは違う。
まだその時ではないのだろうな。

今まで振り返ると必要な時、必ず助けはあたえられたんだ。

やっぱり待ち望もう。

マザー・テレサ映画祭

2010-02-11 21:11:15 | キリスト教(行事、他)
先日ちょっと膀胱炎になりましてかかりつけの医者に行ったのだけど、そこでマザーテレサ映画祭のチラシをもらってきたんだよ。

場所は東京都写真美術館。「ぼくはうみがみたくなりました」の映画を見に行った場所だ。

今日は祭日で主人も休みだったのでマザーテレサの映画をみにいこうということになった。
久しぶりにデートだぁ。

ドキュメンタリー7本を時間ごとに上映している。私たちは12時20分の回から。
写真美術館についてたら人・人・人。ええ~!!何でこんなに込んでるの?
早めについてよかったよ。チケット買ってしばらくしたらもう完売になったんだって!


上映時間を待つ間、マザー・テレサの本のコーナーで本やDVDなどをみていた。多分女子パウロ会のシスターと思われる方が立っていて目が合うとにこにこと優しくほほ笑んでくださった。
そこでダンナ希望のコルカタでの活動の様子など話題となった名作のデジタル復刻版DVDを購入。
それにコルカタは長男がとても興味を持っている場所のひとつだから。

私たちが見たドキュメンタリーは本邦初公開で最新作の「<生誕100年特別記念作品>マザー・テレサと生きる」という作品。企画制作は女子パウロ会。千葉茂樹監督。

内容はマザーが帰天して12年、どのようにその精神が受け継がれているのか?志を持った方々の活動とマザーの精神を見た。インドのニルマル・ヒルダイでの研修、そこから日本に帰って山谷地区でのホスピスの活動など。キリストの愛の精神ゆえにここまで人々を愛することができるのかとマザーの精神とその精神に同じ志をもつ人々にとても感動した。

マザー・テレサのドキュメンタリーを見ながらこんな聖書の個所を思い出した。

「心を尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。」

「まことに、まことに、あなた方に告げます。私を信じる者は、私の行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざをおこないます。」

「あなた方は、以前は暗闇でしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。そのために主に喜ばれることがなんであるかを見分けなさい。」

マザーの行いはまさに光そのもの。

映画が終わってダンナとマザーの人を愛する心が私たちに10分の一でもあったらねと話した。二人とものお父さん(ダンナの)の介護をしていたときのことをおもいだしていたのだ。でもね、マザーの行いの上には神様の栄光があらわされたのだと思う。これは人の努力だけでなしとげられることではないから。

みんながみんなマザーのような行いができるわけではないと思う。それぞれが神様がしめした道を歩んでいくのだと思う。ある人は預言者に、伝道者に、宣教師に、牧師に、教師に、賛美者にといように。

アメリカのある雑誌に未公開だったマザー・テレサの手紙が発見され公開されたそうだ。
そこには人としての弱さゆえの深い呻きのような内容だったという。
あのような尊い活動を支えていたものは主イエス・キリストへの絶対的な信頼と祈りがあったのだと思う。

私は旧約聖書の第一歴代誌23章5節「そして、四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美するものとなりなさい。」という御言葉をしめされた。
私はただのフルート吹きである。音大をでていなければ輝かしい肩がきなんてまったくないけれど主が私を用いてくださるならいつでも吹けるようなフルート賛美者でありたいと思う。

マザーの言葉が心を打つ。
「大切なのは、どれだけ沢山のことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。」

アーメン。(その通りですという意味)

証コンサート

2010-02-09 20:41:25 | キリスト教(行事、他)
この頃証コンサートに恵まれている私。

先日は穣さん主宰の(Down to worship)での賛美大会。そして今日はユーオーディアの証コンサート。


証コンサートとは主イエス・キリストが自分に何をしてくださったか、神様ってこんな方だよっていう話を交えて、音楽奉仕者達が心から神さまを賛美するコンサートのこと。

こういう場で神様をみんなが感じてくれるような演奏ができたらといつも思う。でも賛美をリードするのはあくまでも神様。自分が中心ではないのだ。「賛美者は主の僕、伴奏者であって演奏者ではない。」この言葉をいつも胸に刻んでいる。

両方のコンサートとも私も参加させていただいた。
証の内容は「苦しい時、悲しい時、どうしたらいいかわからない自分の力ではどうにもならない時そんなときでも私たちは神様に祈ることができる。そして心に平安と次に向かって歩む勇気が与えられる。」というテーマで話した。

ものすごい緊張。。。。。
今日のコンサートでは15分間が持ち時間、3分間の話(証)と曲を2,3曲という設定だった。
証を最初にしてそのあと2曲カタロニア民謡「鳥の歌」、賛美歌「この世のなみ風さわぎ」(ロンドンデリーエアー)を演奏した。ピアニストの先生とも今日が初めての合わせだったので本当に緊張。それに曲を吹く前に話をするとなるともっと緊張するんだよ。。。。

それに途中であの震えが来るんじゃないかって恐怖感も。。。。
だから、とにかく「もう震えがきてもいいから、神様、曲の最後まで吹かせてください。」心の中で祈って、すべてをゆだねた。

震えはね・・・・あったけど、ほんの少しだけ。
なんだか曲を吹いている途中で震えとそれを抑える力がせめぎ合っているみたいな感じで、なんだか妙に落ち着いて吹けた。曲の仕上がりは別として最後まで吹けたから良かった~!!!

今日のコンサートは訓練なので、終わった後は先生からもっとこうしたほうがいいとアドヴァイスを受ける。私の場合は聴いてくださるお客さんのことを考えて音楽と話の構成を工夫したほうがいいということだった。

そのあとは仲間たちの証と賛美を楽しんだ。これが一番の楽しみ!!!
神様は一人ひとりと個人的なかかわりを持つ。だから、こんなことがあったんだとか自分にも当てはまることがあったり、励まされることがあったり。最後にはやっぱり神さまはすばらしいって思うんだよね。仲間の神様の話、賛美を聞いているとその構成の仕方も勉強にになるんだ。

本当にこういう時間は楽しい。幸せ。
神様は賛美の中に住まわれると聖書にはある。本当に心があったかくなってそこに神様がいるみたい。なんて幸せな時間。。。。。


今月末にはDown to worshipの賛美大会、来月にはユーオーディアの証コンサートがもう一回ずつある。今から楽しみだな。



グロリア・インエクセルシスデオ

2009-12-24 20:10:45 | キリスト教(行事、他)
今年のクリスマスはどうでしたか?



パスピエ家のアドヴェントクランツです。真ん中の白いキャンドルはイエス様のキャンドル。

24日のイブまで「「きよしこの夜」「諸人こぞりて」「荒野のはてに」なんてクリスマスの讃美歌がどこのお店でも、スーパーでさえ聴くことができました。25日のクリスマスにはがらっと正月モードになってしまうんですから日本て面白い国ですよね。

お次はキリスト降誕。



東方の3博士は上野の骨董市ゲットしたもの。マリア様は別件で買ったものだったんだ。なんだか初めからセットみたい。

ところでパスピエは小さい頃クリスチャンではなかったのでクリスマスキャロルが讃美歌とはしらずイベントの歌として歌っていました。

たとえば「諸人こぞりて」なんか「シュワキマセリ、シュワキマセリ、シュワー、シュワーキマセリ。」と「シュワキマセリ」という外来語か何かと思っていました。

これはカタカナの言葉ではなく「主は来ませり。」なんですよ。子どもの頃はわからんかった。

同じく「グローオーオーオー、オーオーオー、オーオーオーリア、インエクセルシスデオ」

この言葉もなんの言葉かわからないまま歌っていましたねぇ。

インエクセルシスデオの意味は「いと高きところには栄光、神にあれ」って意味なんですよ。知ってました?

今年のクリスマス。あなたの心の中に救い主イエス・キリストはおられましたか?
皆さんに神様の祝福があふれんばかりにありますように!

クリスマス礼拝

2009-12-20 21:33:43 | キリスト教(行事、他)
今日はクリスマス礼拝だった。

昨日は長男のことでまた心がゆらぐことあり。というかもうめちゃくちゃだったのだ。

だからクリスチャン仲間に平安が与えられるようお祈りをお願いした。

そして神様はその祈りを聞いてくださったようだ。

今日は昨日とうって変って穏やかな心が与えられた。

うれしかったのは母がきてくれたこと。

今年は自分からクリスマス礼拝に行きたいと言ってくれた。祝会ようにと大きなお重箱にお赤飯をたくさんつくってきてくれた。ともに賛美し、礼拝ができたことは本当に感謝だ。

母のほかにもクリスマス礼拝のお知らせを知らせた人で痛みの中にある人が救いをもとめてきてくださったり新聞の折り込みチラシを見てきてくださった人がいた。

そのあとの祝会ではみんなで持ち寄ったおいしい料理を食べH兄の怪しげな「エアーマジック」があったり、手話で賛美したり、クイズがあったり、子供たち向け人形劇ともりだくさん。



私もダンナと一緒に祝会で賛美仲間のJoさんが作ったゴスペル「かけら」という曲を賛美した。

この曲はたとえ、私たちの心がバラバラになるくらい辛くてもそこには必ず神様の愛を示すかけらがあるという歌。

(興味なる人はOne Musicのサイトで王羊双羊のCD「ゆらり」をさがしてね。)



小さな教会ながらささやかでも暖かい会となった。

お祈りしてくださった皆さん、ありがとう。
特にJoさん、励ましのメッセージをありがとう。

明日からアドヴェントです!クリスマス礼拝へどうぞ!

2009-11-28 16:37:56 | キリスト教(行事、他)
明日からアドヴェント(今年は11月29日~12月20日)にはいります。
アドヴェントはキリストの誕生を待ち望む期間のことです。


ここでクリスマス礼拝のご案内!

「クリスマスとあなた」というテーマで11月29日、12月6日、13日、20日の4回の日曜日、午前10時30分~12時、特別礼拝を予定しています。

私も毎週、礼拝で聖歌、讃美歌を一曲だけですがフルートで讃美させていただきます。



先週の火曜日には教会のクリスマスの飾りつけをしてきました。

ささやかな飾り付けです。

婦人方が作られたアドヴェント・クランツは見ごたえがありますよ。

常緑樹、松ぼっくり、赤いリボンで飾った美しい大きなリースにキャンドルを5本立てます。

キャンドルはそれぞれ、約束のキャンドル、預言者のキャンドル、バプテスマのヨハネのキャンドル、マリアのキャンドル、イエス・キリストのキャンドル(真ん中)とそれぞれ意味があります。

詳しいことは「過去ログ」を読んでね。


お近くの人はぜひ私たちの教会に来てくださいね。

みずほ台キリスト教会
埼玉県入間郡三芳町みよし台9ー2杼木(とちぎ)ビル3階
連絡先049-259-6765
最寄駅:東武東上線みずほ台駅西口10分

なお、12月20日(日)は礼拝後クリスマス祝会があり、ささやかながら食事をご用意しています。お時間のある方は是非!