ウォールストリートジャーナルより
http://jp.wsj.com/US/node_455632?mod=WSJ3items
リンカーン大統領がワシントンの劇場で銃撃された際、大統領席に最初に駆けつけたチャールズ・リール医師は、大統領の全身がまひして昏睡状態にあり、夫人にもたれかかっている姿を見た。
リール医師はすぐにブランディーと水を持ってこいと命じた。
同医師の診断・治療記録は大統領が死んでわずか数時間後に書かれたもので、先月末に米国立公文書館にあった箱の中から147年ぶりに見つかった。
リール医師は1865年4月14日の夜、フォード劇場でリンカーン大統領から40フィート(約12メートル)離れた席に座っていた。同医師は、階下の舞台の上に飛び降りた犯人ジョン・ウィルクス・ブースが短剣を振りかざしているのを見た。そして「大統領が殺された」という叫び声を聞いたため、群衆をかき分けて大統領席まで進んだ。大統領が刺されたと考えていた同医師は、衣服を脱がせるため大統領の上着を切断するよう周りの人に命じた。
リール医師は「わたしは(肩の近くには傷は見つからなかったため)、彼の頭部を調べ始め、指でさぐってみて、すぐに後頭骨の上項線の1インチほど下に大きな血の塊りがあるのを感じた」と書き、「自分の左手の小指を銃弾で生じた非常になめらかな傷口に入れ、銃弾が脳に入ったのが分かった」と述べた。
同医師の診断書を発見した歴史家たちは、これがファイルされ、箱の中に収められ、147年間、公文書館に保管されていたと考えている。 発見したのは、リンカーン大統領関連の書簡を収集している団体「ペイパーズ・オブ・エイブラハム・リンカーン」の研究者ヘレナ・イレス・パパイオアノウ氏。同氏は、1865年4月の米国軍医総監の通信文資料の中から発見した。
ペイパーズ・オブ・エイブラハム・リンカーンのダニエル・ストーウェル所長は「この診断書が素晴らしいのは、その生々しさと、医師として事実のみ記述するアプローチだ」と述べ、「華美な言葉は多くないし、感情も抑制されている」と語った。
医学関係者たちはこれまで、リンカーン大統領は現代医学を使えば生き延びていただろうかと議論してきた。ストーウェル所長は、1865年当時、外傷治療はほとんど知られておらず、リール医師の診断書も「医師たちの絶望」を物語っていると指摘。「リール医師自身はそう書いていないが、診断書を読めばそれが感じ取れる」と述べた。
リール医師はリンカーン大統領暗殺を調査していた1867年設立の議会委員会のために報告書を書き、当時の診断状況も言及されているが、だれもそれを見た者はいなかった、と同所長は述べた。同所長の「ペイパーズ・オブ・エイブラハム・リンカーン」は、リンカーン大統領が生前書いたり、受け取ったりした全ての文書の発見を目標としている。
同医師は当時23歳で、陸軍軍医となって6週間しか経っていなかった。その後1909年にリンカーン大統領生誕200年の記念スピーチで話すまで、自ら経験したことを話したり、書いたりすることはなかった。
(AP通信)