沈黙の春

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どこが新発見?Nスペ「巨大古墳の謎」に肩すかし 安易な古代ロマン報道

2012-07-17 12:42:30 | 日本

どこが新発見?Nスペ「巨大古墳の謎」に肩すかし 安易な古代ロマン報道

2012.7.17 09:00 (1/5ページ)westライフ
仁徳天皇陵(左)で知られる百舌鳥古墳群(本社ヘリから)

仁徳天皇陵(左)で知られる百舌鳥古墳群(本社ヘリから)

 NHKスペシャル「知られざる大英博物館 巨大古墳の謎」が7月8日夜に放映された。冒頭には国内最大の仁徳天皇陵の映像や復元CG、「古墳時代の謎を解く鍵が大英博物館にある」などのナレーションが流れた。

世界を代表する大英博物館と仁徳天皇陵-。どんな新発見があるのだろうと期待したが、番組では別の古墳の調査成果を披露。「幻」「発見」「謎」という言葉が飛び交ったわりに、大発見はなかったように感じた。

視聴者へ分かりやすくとの工夫なのか、過剰演出か? 文化財を追う同じ立場の記者として自戒の念を抱きつつ考えた。(小畑三秋)

未公開コレクション

 番組は大英博物館シリーズとして、収蔵品と日本との関連にスポットを当てた。

「大英博物館の未公開コレクションや最新の調査研究から巨大古墳の謎に迫る」「日英合同チームが調査を開始。

全貌が明らかになってきた」と語られ、明治時代に来日した英国人、ウィリアム・ガウランドが日本国内の古墳調査などで収集したコレクションを紹介。日英合同チームが研究する様子を放映した。

 

第一のテーマは「よみがえる幻の古墳」。

番組では、約50年前に開発で消滅した大阪府東大阪市の小さな前方後円墳、芝山古墳からガウランドが持ち帰った出土品と図面をもとに埋葬当初の様子を復元。石室には二つの棺があり、それぞれに大刀などの副葬品、中央には大型の須恵器を据えて埋葬時の祭祀(さいし)などに使われたことなどを指摘した。

 もう一つのテーマは「ガウランドが見た最後の巨大古墳」

。ガウランドが奈良県橿原市の前方後円墳、丸山古墳(6世紀、全長310メートル)の横穴式石室に入って描いた図面を手がかりに、調査団が新たに古墳本体を測量。石室の位置が墳丘中心部から大きくずれていることが明らかになったと紹介していた。

新発見、謎、幻…

  ただし、ここでちょっと気になったことがある。

そもそも丸山古墳の墳丘の図面は以前からあり、石室の測量図も宮内庁が作成して公開されている。

この二つの図面を照合すれば、石室のズレは明らかで、大英博物館のコレクションをあえて持ち出さなくても分かることではなかったか。

 

このほか、古墳出土の鏡についても、「大英博物館の調査でまた新たな発見がありました」とのナレーションとともに、もともと中国から伝来した鏡が日本風にアレンジされていたことを指摘した。

 しかし、中国鏡を模倣して日本で制作され、次第に鏡の文様が日本風に変化したことは、これまでの鏡の研究で明らかになっており、今回の調査はそれをさらに補強するものだった。あえて新発見を強調しなくても、調査の価値は伝わると思った。

 番組では「極めて重要な発見」などの言葉とともに、CG映像や音響、ガウランドの調査時の再現ドラマなどがちりばめられていた。その一方で、大英博物館での実際の調査風景は少なかったように思う。

 確かに、大英博物館で100年以上も大切に保管されているガウランドコレクションについて、日英合同という国境を越えた調査の意義は大きい。

それだけに、5年がかりという息の長い調査なら、抑え気味の表現で紹介しても十分に伝わるはず。

日英合同チームがなぜ今回結成されたのかという経緯もしっかり伝えれば、調査の意義がより視聴者に分かるのではないだろうか

。「発見」「謎」などの言葉の頻繁な使用は、かえって調査の意義を小さくしてしまうようにも感じた。

邪馬台国論争を追う

ここで思い起こされるのは、古代史最大の謎でありロマンであり続ける「邪馬台国論争」。筆者自身、邪馬台国の有力候補地である奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡や佐賀県の吉野ヶ里遺跡などを訪れ、畿内説や九州説を取材し、たびたび報道してきた。

 関西の新聞やテレビなどは特に、纒向遺跡で発掘があると、「邪馬台国畿内説に弾み」「卑弥呼の宮殿が見えた」「畿内説へさらに一歩近づいた」などとロマンを駆り立てるように報じてきた。しかし、「どこまで進めば畿内説が確定するのか」と突っ込まれると、明確なゴールはなく、自身も頭を悩ませている。

 

 記事を書くたびに、「発見」「古代史の謎」「ロマン」という言葉をつい使いたくなるが、あまり乱発しすぎると、かえって大げさにとられて信憑性(しんぴょうせい)が薄れるのではないか。そんな葛藤を感じながら記事を書いている。それだけに、今回のNHKスペシャルの言葉の表現などは、自身の文化財報道と重ね合わせて考えてしまった。

 

卑弥呼の金印どこに

 

 邪馬台国論争を決着するうえで、決定打といえるのは、卑弥呼が中国の皇帝から下賜されたと魏志倭人伝が記す「親魏倭王」の文字が刻まれた金印の発見といわれている。

しかし、もし纒向遺跡で見つかったとしても、九州説の研究者からは「もともと九州(邪馬台国)にあった金印が、のちに畿内に移された」などの見解が出されるかもしれない。

 九州で見つかったとしても、畿内説側からは別の反論が出ることは十分予想される。

金印が山陰や四国、大阪など全く想定外の場所で見つかったらどうなるだろう。

その場所が邪馬台国かといえばそれを認める研究者は極めて少ないはずだ。

 邪馬台国と大英博物館は全く異なる話かもしれないが、古代への夢とロマンを人々にもたらすうえでは共通している。

日英合同調査は5年がかりという。今後の研究を楽しみにしたい。

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