胆管ガン手術入院のため長年通い慣れた橿原市のアパートを解約することことになり、書架を整理していたら、50年前の日記が出てきました。日記というより、当時赴任していたボリビアのカミリ市で行われていた共産ゲリラに対する軍事裁判のマスコミ報道を収集した記録と言って良いでしょう。
諸兄の中には、キューバ革命の思想を体系化し集大成したフランスの哲学者/作家のレジス・ドブレの名前を聞かれた方もおっれるでしょう。小生と同世代にもかかわらず、26歳のとき『革命の中の革命』を上梓し、ゲリラ戦の理論家として一躍有名になった人物です。
そのドブレ氏が、当時ボリビアでゲリラ部隊を率いて武装蜂起を準備していたチェ・ゲバラの取材で、ボリビアを訪れ、ゲリラ隊員の一人として身柄を拘束され、サンタクルス州の南に位置する石油の町カミリで軍事裁判にかけられました。
ちょうどその頃、カミリ市内の電話工事のため小生はカミリに派遣され、宿舎近くのボリビア石油公社(YPFB)の図書館で行われた軍事裁判を身近に見ていました。ボリビアの山中でゲリラ部を組織していたチェ・ゲバラが正規軍との交戦で負傷し、当時のバリエントス大統領の指示で銃殺されたのもその頃です。
彼の死後、多くのゲバラ関係の本が出版されました。しかし、ドブレ裁判に関係した出版物は管見にして知りません。そこで、古い日記を元にドブレ裁判の推移をまとめて、小生のHP『橿原日記』にアップすることにしました。といっても、内容的にはたいした情報はありません。しかし、小生にとっては初めての海外出張で青春の一時期を過ごした貴重な体験でした。
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