あゆっこ様、過分なお褒めの投稿どうも有り難うございます。小生のブログは長すぎて読むのに体力がいるから、もう少し短くまとめろと、お叱りの言葉をビジターの方からよくいただきます。
しかし、橿原日記の冒頭でも記したように、これは小生の備忘録であり自分で理解した範囲で書き綴っているにすぎません。ところが、また橿原日記を更新できない事態が生じました。
6月6日付けの橿原日記でお知らせしたように、上野駅近くで倒れ、東大府7足病院に搬送され3週間の入院を余儀なくされました。心室細動による不整脈で心肺停止の状態に陥ったためです。
さいわい心臓マッサージや電気ショックでなんとか蘇生できましたが、心臓病で倒れるのはこれで四度目で、今回はペースメーカーに似たCRT-Dという機械を胸に埋め込まれました。
そのため、なんだか自分が人造人間に改造されたような変な気分です。3週間の入院で、また体重が5キロ痩せ、そのため体力も足の筋力もすっかり衰えて、道路を歩くのもふらつくような状態は杖をつきながら
散歩で体力の回復に努めております。このような状態では遠くまで出かけて史跡探訪するのはとても無理で、よくアクセスいただいているビジターの皆さんには、しばらくの間「橿原日記」の更新を中断させていただきます。よろしくご了解願います。
ドン・パンチョこと応請矩明
小生は茶道に関して全くの門外漢ですが、最近立て続きに2つの特別展を見学してきました。
4月5日 国立近代美術館で開催中の「茶碗の中の宇宙-一子相伝の芸術」
4月15日 東京国立博物館で開催中の特別展「茶の湯」
前者では、数々の楽焼茶碗の名品を見、後者では歴史上の著名人が愛した名器を多く
見ましたが、たかが土を捏ねただけの茶器に人々が右往左往する背景がよく分かりません。
何事によらず美術品であれ芸術品であれ、興味や関心のある者には無限の価値を有する
のでしょうが、興味のない者にとってはその価値はわかりません。むしろ虚栄心が
築きあげた幻の価値のようにも見えます。
いったい何を基準にして茶器などの美術品・芸術品の価値が決められるのか、そのベースを一度どなたかに教えて貰いたいと思っています。
伊豆の河津桜が満開の時期を迎えたと聞いて、昨日久しぶりに遠出をして見学してきました。
桜と言えばソメイヨシノが代表的ですが、ソメイヨシノより開花時期が早く、しかも花の色もピンクがかった河津桜は、関東地方では有名で、三月下旬のソメイヨシノの開花時期より一ヶ月半も早く桜を満喫できるとあって、結構有名です。
昨日は気温もあがり3月下旬の花見の頃の陽気だったので、久しぶりでのんびりと桜見学を果たすことができました。河津桜の今を画面上で鑑賞していただきたく、下記のブログにアップしました。小生のHPの「フォトアルババム」からアクセスするか、下記アドレスをクリックすることでブログを開くことができます。
http://www.bell.jp/pancho/photo_album/2017_02_16_kawaduzakura.htm
小生のブログ「橿原日記」には歴代の愛猫の写真を載せています。現在飼っているのは、一番上の”チビコ”です。そのチビコが10日前の2月2日の夕方、突然後肢が麻痺し、腰が抜けたように立てなくなりました。激痛が走るのか、今まで聞いたことがないような悲痛な鳴き声を上げるので、犬猫病院へ連れて行きました。
診断の結果、「大動脈血栓栓塞症」と診断されました。心臓の筋肉があまりうまく動かなくなり、血が固まって血栓となって血管の大動脈の中を流れて腰のあたりで詰まるので、後肢が麻痺してしまう病気のようです。人間の場合は難病に指定され、心臓移植が必要な場合があるそうですが、猫での心臓移植の例は今まで報告がないそうです。l
治療方法としては、血栓を溶解する薬剤を投与する方法がありますが、非常に高額な薬剤なので、猫の専門医療に関心がある動物病院でなければ用意していないとのことです。そのため、入院させて血管を広げる薬を投与して様子を見ることになりました。
しかし、病状は改善せず一週間後の2月8日に病院から引き取ってほしいとの連絡がありました。後は、家で家族に見守られて様子をみるより手はないとのことでした。仕方なく連れて帰りましたが、腰砕けのため歩くことができず、トイレにも行けません。食事をとることもできないので、注射で液状の流動物を飲ませています。日ごとに痩せてきて、体力なくなったのか、一日中日の当たる窓際やコタツの中で丸くなって寝ています。家族としては、夜抱いて一緒に寝てやることぐらいしかできません。
チビコは15年前の平成14年(2002)の夏、近くの公園に捨てられていた生まれたばかりの子猫でした。夜中にその鳴き声が耳について、今は亡き家内に家に連れてきました。当時は我が家ですでに茶虎を飼っていたので、すぐに里親を探したのですが、結局引き取り手がなく、家で育てることにしました。
尻の始末の実によい、餌の好みもない、実に飼いやすい猫で、外にも出さず室内だけで育ててきました。寝るときは、家族の布団に潜りこみ、顔だけを出して腕枕で寝ていました。そんなわけで家族の誰からも可愛がられてきましたが、人間の年齢で言えば、もう75歳に相当するそうです。一家の主人と同じく、心臓病を抱えて何時お迎えがきてもよい年になっているようです。
一種の植物人間のようになってしまった愛猫に対して、このまま命の炎の尽きるまで見守ってやるべきか、それとも安楽死の処置をとった方が、チビコにとって幸せなのか迷っています。ビジターの皆さんならどうされますか?
小生のHPにアクセスいただいているビジターの皆さん。
新年明けましておめでとうございます。術後の体調はまだ万全とは言えませんが、今年も古代史の森に迷い込んでさまざまな話題をレポートしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
今年の橿原日記は伊藤若冲の話題で始めました。今年の干支は「酉」。初詣を兼ねて久しぶりに東京国立博物館に出向いたら、「鶏の画家」として知られる若冲の「松梅群鶏図屏風」が特別展示されており、すっかり嬉しくなってしまいました。
小生は歴史の専門家でもないのに、今まで奈良県の橿原まで出かけて、発掘現場で聞いた話や歴史講座の内容を、適当にアレンジして「橿原日記」にレポートしてきました。それを見て、ある友人は「君は自己満足の世界に浸っているだけにすぎない」とよく揶揄します。
自分でもそう思います。とにかく何かをしていないと精神的に落ち着かない性格は、この年になっても直りません。この夏、胆管ガンに冒され余命2年の告知を受けました。あと2年も生きられれば十分ではないかと思いながらも、思い切って手術を受けることにしました。
そう決断した裏には、まだ自己満足の世界に浸っていたいという願望がありました。でも、関西まで出かける体力が失われてしまいました。どうしたものかと今迷っています。埼玉の自宅にいては、飛鳥の地はいかにも遠い。
胆管ガンの手術のため、8月15日から入院していましたが、やっと9月23日に退院することが決まりました。入院中、皆様にはご心配をおかけし申し訳ありませんでした。しかし、入院中、8キロも体重が減り、体力がすっかり衰えました。これからしばらくは体力回復に努めます。
胆管ガン手術入院のため長年通い慣れた橿原市のアパートを解約することことになり、書架を整理していたら、50年前の日記が出てきました。日記というより、当時赴任していたボリビアのカミリ市で行われていた共産ゲリラに対する軍事裁判のマスコミ報道を収集した記録と言って良いでしょう。
諸兄の中には、キューバ革命の思想を体系化し集大成したフランスの哲学者/作家のレジス・ドブレの名前を聞かれた方もおっれるでしょう。小生と同世代にもかかわらず、26歳のとき『革命の中の革命』を上梓し、ゲリラ戦の理論家として一躍有名になった人物です。
そのドブレ氏が、当時ボリビアでゲリラ部隊を率いて武装蜂起を準備していたチェ・ゲバラの取材で、ボリビアを訪れ、ゲリラ隊員の一人として身柄を拘束され、サンタクルス州の南に位置する石油の町カミリで軍事裁判にかけられました。
ちょうどその頃、カミリ市内の電話工事のため小生はカミリに派遣され、宿舎近くのボリビア石油公社(YPFB)の図書館で行われた軍事裁判を身近に見ていました。ボリビアの山中でゲリラ部を組織していたチェ・ゲバラが正規軍との交戦で負傷し、当時のバリエントス大統領の指示で銃殺されたのもその頃です。
彼の死後、多くのゲバラ関係の本が出版されました。しかし、ドブレ裁判に関係した出版物は管見にして知りません。そこで、古い日記を元にドブレ裁判の推移をまとめて、小生のHP『橿原日記』にアップすることにしました。といっても、内容的にはたいした情報はありません。しかし、小生にとっては初めての海外出張で青春の一時期を過ごした貴重な体験でした。
興味のある方は、下記のアドレスからアクセスして、感想などをお寄せください。
ドン・パンチョはまたまた病気で倒れ、入院生活を送ることになりました。
いきさつは、下記の橿原日記に追記しておきおきました。
<a href="http://www.bell.jp/pancho/k_diary-18/2016_06_19.htm">6月19日付け橿原日記</a>
そのため、当分は橿原日記の更新できなくなりました。あらかじめご承知おきください。