7月23日の午後、明日香村の豊浦寺の南にある難波池の脇で「伎楽伝来の地」の記念碑の除幕式が行われるというので、別に招待されたわけではないのですが、興味があったので出かけてきました。伎楽は聖徳太子の時代に百済人・味摩之(みまし)が伝えた歌舞劇で、太子は教習所を設立して、若者たちに教えさせたとされています。
その場所が、桜井市にある「土舞台」とされてきましたが、最近になってかんこくの歴史学者李応寿氏が、それはおかしい、その施設は豊浦寺かその近辺にあったはずだとする新しい説を発表しました。
論文だけならまだしも、いかに自説が正しいことを主張するため、記念碑まで建てることにしてしまったそうです。日本の研究者からどのような反論がだされるのか、今から楽しみです。
彼の論文を読みましたが、検証の仕方は一応納得のゆくものだったので、記念碑の除幕式の様子とその後に豊浦寺で行われた百済伎楽の特別公演、および李応寿氏の論文の骨子を橿原日記で紹介することにしました。関心のある方はアクセスしてみてください。
その場所が、桜井市にある「土舞台」とされてきましたが、最近になってかんこくの歴史学者李応寿氏が、それはおかしい、その施設は豊浦寺かその近辺にあったはずだとする新しい説を発表しました。
論文だけならまだしも、いかに自説が正しいことを主張するため、記念碑まで建てることにしてしまったそうです。日本の研究者からどのような反論がだされるのか、今から楽しみです。
彼の論文を読みましたが、検証の仕方は一応納得のゆくものだったので、記念碑の除幕式の様子とその後に豊浦寺で行われた百済伎楽の特別公演、および李応寿氏の論文の骨子を橿原日記で紹介することにしました。関心のある方はアクセスしてみてください。