JR「八尾」駅の近くに渋川天神社という神社があります。一見したところ、どこでも見かけられるような神社ですが、実はこのあたりに古代寺院があったことが発掘調査によって分かっています。渋川廃寺と名付けられましたが、古代豪族物部氏の氏寺だった可能性が指摘されています。
物部氏と言えば、崇仏・廃仏論争で廃仏派の筆頭とされ、蘇我ー物部戦争にまで発展した古代争乱の一方の旗頭であることは良く知られています。でも、その物部氏が蘇我氏に先駆けて氏寺を建立していたとなると、古代の仏教を再検討する必要が生じます。
実際はどうだったのか、自分なりに想像してみました。勝手な憶測なので、橿原日記では幻想話として綴っていました。下記にアクセスして見てください。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-5/2011_06_13.htm
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