聖武天皇の娘としては光明子が産んだ阿倍内親王が良く知られています。父・聖武の後を継いで孝謙天皇として即位し、さらにいったん淳仁天皇に譲位しながら、これを廃して再度称徳天皇として重祚した女帝で、生前は藤原仲麻呂や道鏡と浮き名を流したことでも知られる女性だから当然でしょう。
でも、阿倍内親王には一つ年上の姉がいました。井上内親王です。幼くして伊勢斎王に選ばれ、聖武天皇の名代として伊勢神宮に奉仕したため、解任されたときは婚期を逸してしまい、37歳でやっと結婚できた女性です。
ところが、ひょんなことから夫の白壁王が光仁天皇として即位することにあり、自分も皇后になりましたが、それもつかの間、自分の息子以外の皇子を次期天皇に擁立しようとする一派の陰謀に巻き込まれ、廃后とされたばかりか、最後は暗殺されてしまいます。
阿倍内親王が日の当たる表通りを生きた内親王なら、井上内親王は日陰の人生を生きた女性であり、同じ姉妹でありながら、その生き様に落差が大きいので、彼女の生涯を少し調べてみました。しかし、史料はそんなに多くなく、勝手に憶測で補ってみました。
昨日、彼女を埋葬した御陵が五条市にあると聞いて、出かけてきました。しかし、小生の勝手な憶測が内親王の霊の気に障ったのか、お前などに参って欲しくないと,様々な妨害を受けました。詳しくは、下記のレポートにアクセスしてみてください。