パンチョの世に棲む日々

自称ドン・パンチョが訪れた名所旧跡の感想を綴ります。

特別展「キトラ古墳壁画」

2014-04-27 10:28:37 | 日記

 現在、東京国立博物館で4月22日(火)から5月18日(日)まで会期で特別展「キトラ古墳壁画」が開催されています。橿原にいるときは、今まで何度も飛鳥資料館で催された特別展で修復を終わった壁画をみており、いわばおなじみの四神像や十二支像ですが、先週末先輩と一緒にまた見に言ってきました。

 驚いたことに特別展が開かれている本館の前は長蛇の列が続いており、最後尾に並ぶと60分待ちとのことでした。わざわざ飛鳥まで出かけられない大勢の人々が参集してきたものと思います。

 当日の様子を橿原日記にレポートしました。忙しくで見学に出かけられない方や一時間近く並ぶのは御免だと言う方は、下記にアクセスしてパソコンのモニター上でご覧ください。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_04_25.htm


蘇我石川麻呂の墓

2014-04-19 08:32:20 | 日記

蘇我倉山田石川麻呂といえば、古代史に興味のお持ちの方ならどなたもご存じだと思います。645年の乙巳の変に参加し、その後大化の改新では右大臣として孝徳政権を支えた重要人物ですが、異母弟の蘇我日向の讒言によって自殺に追い込まれ、一族は滅亡しました。

ただ、彼の末子だけが助かって、現在の越前市粟田部に流刑になりました。その末裔が現在も生きて血統を守っています。江戸時代の末期に第53代目の山田重貞という人物がでました。彼は、平家物語』で石川麻呂が朝敵としてさんざん罵倒しているこを知って、祖先の無実の罪をすすぐため雪冤碑の建設を思い立ちました。

雪冤碑は天保12年(1841)に山田寺の観音寺の脇に建立されましたが、その2年前の天保元年(1839)には、重貞が地元の山田家の墓地に石川麻呂の霊を祀る石廟を再建しています。

越前市粟田部町は小生の生まれ故郷の隣町です。そんな近くに古代史の重要人物の墓があるとは、最近まで知りませんでした。たまたま郷里で中学時代の同窓会があり久しぶりに帰省したので、その石廟を訪れてきました。立派な石造物でした。詳しくは、下記をご覧ください。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_04_16.htm


奈良の桜巡り

2014-04-10 18:45:04 | 日記

今年の春は、思いがけず奈良県の主な桜の名所を巡る機会を得ました。と言うのも、50年来の友人G君が小生のアパートを根城に、各地の桜を撮影して回ることになり、その案内役を頼まれたためです。

G君は4月3日から8日まで滞在したため、彼を案内してずいぶん方々の桜の名所を訪ね歩きました。桜の名所も場所によっては、見頃を迎えた場所や見頃を過ぎた場所、まだ開花に早い時期など様々でしたが、こんなに桜を見たのは初めてのことです。

各地で撮影したスナップ写真の一部を、HPのフォト・アルバムで紹介しています。下記のアドレスからアクセスできますので、パソコンの画面上で奈良の桜を満喫してください。

http://www.bell.jp/pancho/photo_album/2014_04_08_sakura.htm