吉野は桜の名所として全国に知られて鋳ますが、別の顔があります。南北朝時代の南朝が置かれた場所です。
先週、病気の快気祝いを吉野の山でやって貰ったばかりなのに、今週の初めまた吉野へ行ってきました。南朝を開いた第96代後醍醐天皇の事績を余り知らないので、勉強も兼ねて史籍を巡りたいと思ったからです。
後醍醐天皇は鎌倉の武家政権に対して公家政権の復活に果敢に挑戦した天皇であり、古代の天武天皇のように皇親政治を希求したことで、歴代天皇の中でも異質の存在です。しかし、足利尊氏に吉野へ追われ、吉野の山で過ごした3年足らずの晩年は、おそらく失意の底にあったと想像しています。そのことを確かめるための吉野行きでした。
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