パンチョの世に棲む日々

自称ドン・パンチョが訪れた名所旧跡の感想を綴ります。

ノムギ古墳

2012-10-29 07:39:11 | 日記

1979年、『あゝ野麦峠』という映画が作られました。戦前に飛騨の農家の娘たちが、野麦峠を越えて諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出、劣悪な環境の元で命を削りながらで生糸の生産に従事する姿を伝えたノンフィクションを映画化した作品でした。若い頃の大竹しのぶや原田美枝子、古手川裕子、友里千賀子らが出演していました。

その悲惨な生活を描いた女工哀史の印象がなぜか強く心に残っていたので、9年前に橿考研が発掘調査したノムギ古墳の名前が、その映画のタイトルと結びついて、現地説明会に参加したことがあります。

今年、天理市の教育委員会が第6次調査を実施し、今月の27日(土)に現地説明会を開いたので、また参加しました。その時の様子を下記の橿原日記でレポートしています。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_10_27.htm


菟田野みくまり祭

2012-10-22 19:46:06 | 日記

昨日、宇陀市で菟田野みくまり祭が行われました。水分神社上社の女神が神輿で一年に一度中社の祭神である夫君に会いに来るというまことにロマンチックな祭です。後学のために一度は見学したいと思い出かけてきました。

神輿渡御行列はトレース出来ませんでしたが、6基の太鼓台が次々の境内に繰り込んできて広場で錬り回る光景は壮観でした。その様子を橿原日記で紹介していますので、興味のある方はアクセスしてみてください。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_10_21.htm


終末期古墳

2012-10-17 17:51:36 | 日記

古墳の種類に終末期古墳があるのは以前から知っていました。しかし、その概念が確立したのは、40年前の高松塚古墳発見が契機だったとは知りませんでした。

去る13日、祝戸荘のあすか塾では第220回講座として元橿考研付属博物館館長の河上邦彦氏を招いて終末期古墳としての高松塚の講演がありました。そのとき初めてその事を知りました。

その講座を機に、終末期古墳についてすこし勉強しておこうと思って、河上氏の講演レジメや氏の著作をもとに少し調べてみました。詳しくは下記をご覧下さい。


http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_10_13.htm


安萬侶墓誌に記された謎の墨書文字跡

2012-10-11 09:24:57 | 日記

今年は太安萬侶が『古事記』を撰録してから1300年目にあたる節目の年。各地でさまざまな催しが開催されていますが、橿考研でも秋季特別展「「日本国」の誕生~古事記が出来たころ」が10月6日から始まりました。

特別展の目玉は安萬侶の墓誌ですが、特別展の開催に先立って、橿考研は安萬侶の墓誌に銘文に酷似した墨書跡が見つかったとマスコミに公表しました。

墓誌が発見されてから33年、今頃になって新しい発見があるとは何事か・・・と興味を抱いて、急遽自宅から橿原に戻って、7日と8日に橿考研の講堂で開催された特別講演会に参加しました。その時の模様を下記の橿原日記にレポートして置きました。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_10_07.htm


それにしても謎の多い筆の跡ですね。考古学や古代史の専門家はさまざまな推測をマスコミに発表していますが、今いち納得できる説がありません。たとえば、墨書文字が銘文の文字と酷似している点から、銘文を彫った人物が墨書したと思われますが、墓誌が出来たあとに追記したとする説には無理があるようです。なぜなら、墨書文字を避けるように銘文の位置が右によっています。つまり銘文を線刻するまえに毛筆文字が書かれていた様子を伺わせます。

と言って、銘文を彫る前の下書きと考えるのも不自然です。彫り師が右利きの場合、タガネは左手で握りますから、墨書の文字は左のこぶしのかげに隠れて見えなくなります。また、前もって墨書で下書きしたにしては、文字位置が左下にずれており、最後の文字などは銅板の外にはみ出す格好になります。

したがって、下書き説も追記説もこの謎を解くには不十分です。皆さんなら、どの様は状態を推測しますか?


曼珠沙華

2012-10-05 05:49:27 | 日記

例年、秋の彼岸の時期を記憶しているように、すっくと茎を伸ばし、頂きに朱の花を咲かせる曼珠沙華(彼岸花)。でも、今年は夏の極暑で体内時計が少し狂ったのか、各地の見頃が1週間から10日ほど遅れた模様。

埼玉県の日高市には、日本一と称される曼珠沙華の群生地があります。高麗(こま)川の蛇行で巾着の形をした地形から巾着田と呼ばれている所。この時期になると、100万本とも200万本とも言われる曼珠沙華がニセアカシアの林の中で一斉に咲きそろいます。
例年、9月中旬から9月末まで「巾着田曼珠沙華まつり」が催されますが、今年はその期間が10月8日まで延期されました。一昨日のNHKテレビでも今が見頃と報じていました。台風19号の接近で天候が危ぶまれたのですが、幸い午後から晴れたので、5年ぶりに巾着田に行ってきました。どこまでも広がる朱の絨毯の見事さを画面上でビジターの皆さんにお見せします。下記のアドレスにアクセスしてみてください。

http://www.bell.jp/pancho/photo_album/2012_10_04_kinchakuda.htm


早稲田大学キャンパス

2012-10-03 08:07:37 | 日記

先週の土曜日(9/29)、52年ぶりに早稲田大学のキャンパスを訪れました。
古代仏教寺院のシンポジウムがあり、その講演を拝聴したかったためです。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_09_29.htm


土曜日の午後でしたが、それぞれの教室ではゼミの学生たちが熱心に講義を聴いたり討論していました。その様子をドアの開いた入口から拝見して、いいものだなと思いました。

52年前この大学に入学していたら、当時の自分もあのように熱心に授業に出席していたかもしれない(?)と思うと、若さというものが羨ましくなりました。戻れるものならもう一度あの時代に戻ってみたいものです。