今年は太安萬侶が『古事記』を撰録してから1300年目にあたる節目の年。各地でさまざまな催しが開催されていますが、橿考研でも秋季特別展「「日本国」の誕生~古事記が出来たころ」が10月6日から始まりました。
特別展の目玉は安萬侶の墓誌ですが、特別展の開催に先立って、橿考研は安萬侶の墓誌に銘文に酷似した墨書跡が見つかったとマスコミに公表しました。
墓誌が発見されてから33年、今頃になって新しい発見があるとは何事か・・・と興味を抱いて、急遽自宅から橿原に戻って、7日と8日に橿考研の講堂で開催された特別講演会に参加しました。その時の模様を下記の橿原日記にレポートして置きました。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_10_07.htm
それにしても謎の多い筆の跡ですね。考古学や古代史の専門家はさまざまな推測をマスコミに発表していますが、今いち納得できる説がありません。たとえば、墨書文字が銘文の文字と酷似している点から、銘文を彫った人物が墨書したと思われますが、墓誌が出来たあとに追記したとする説には無理があるようです。なぜなら、墨書文字を避けるように銘文の位置が右によっています。つまり銘文を線刻するまえに毛筆文字が書かれていた様子を伺わせます。
と言って、銘文を彫る前の下書きと考えるのも不自然です。彫り師が右利きの場合、タガネは左手で握りますから、墨書の文字は左のこぶしのかげに隠れて見えなくなります。また、前もって墨書で下書きしたにしては、文字位置が左下にずれており、最後の文字などは銅板の外にはみ出す格好になります。
したがって、下書き説も追記説もこの謎を解くには不十分です。皆さんなら、どの様は状態を推測しますか?