水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

アメリカで出会った動物達 その1

2007年05月25日 | カテゴリー外

自分のブログを読み返すと、時々思い出し笑いのような感じでくくくっと笑ってしまうことがある。何がいいかってゆうと、動物があたりまえのように出てくるのがなんかいい。アメリカの田舎にいると動物がいるのがそれほど特殊なこととは思えなくなってくるので、自分の残した記録なんかを見てみても、動物の登場に対してそれほど驚いていないというか、割と泰然自若としてる自分がいる。日本に帰ってきてから会った動物は今のところ犬とハトと今朝ぼくのシャツにひっついていたテントウムシくらいで(テントウムシは動物だろうか?)、街にあふれんばかりの個体数のヒト科のひと達は一体生態学的に見て上位に立っているのかどうなのか悩ましいところである。それはさておき、動物がいろいろいるというのは一つの豊かさではあるかもしれない。ちょっと今回はぼくがアメリカで出会った動物について書いてみたい。

ぼくが最初にいたオハイオ州の田舎には実に多くの動物がいた。アメリカに留学した経験を持つ人なら誰でも知ってると思うけど、まずキャンパスにはリスが多い。ぼくもはじめてその姿を見たときには、ここはなんて自然の豊かな場所なのだろうと心をふるわせたものである。たくさん写真も撮ったきがする(なぜか残っていないけど)。緑の多いキャンパスはぼくの目には楽園にうつり、巨大な図書館は過去の知が眠る聖域であった。いい時代だったなあ(とおい目)。というのはさておき、動物である。ぼくにはルームメイトがいて、そもそも彼が半分動物的だったのだが、彼はその上イタチを飼っていた。このイタチがやっかいでいっつもぼくの足を噛むのだ。放し飼いにされてて気を抜くとすぐに噛まれるので、ぼくはいつもソファの上であぐらをかいて食事をしたりしていた。結果皿をもって食事をすることになり思いっきりニッポン人であった。このイタチだけはぼくになつかなかったなあ。

あと、鹿はたくさんいた。大学にも出てくるし、道路にも出てくる。鹿は家族思いなので、4匹とかで行動して道を優雅に横切ったりして車を待たせたりすることもままある。まあ、それはそれでなかなか牧歌的でよかったりする。しかし、不幸なことなんだけど、高速道路で轢かれてしまう鹿が後を絶たないのだ。夏になるとその被害が多いみたいで、過去に何十匹もの哀れな亡骸(なきがら)をみてきた。鹿はもちろん一番かわいそうなのだけれど、衝突した車の方も被害は大きくて、ハイウェイでの衝突の場合廃車はまぬがれないと聞いたことがある。ぼくも過去に2度ほど運転中に鹿と接触しそうになったことがあったけれど、若かれし頃の反射神経で事無きを得た。それにしてもなぜ鹿はハイウェイに出てきてしまうのか?学習能力が乏しいとも言えるのだが、やはりぼくが思うに自然界には時速100kmで突進してくるものってないんじゃないだろうか。

実はアメリカでは今、鹿が増えすぎなのだそうである。鹿の社会では平和ボケが進行しているのかもしれない。ぼくのルームメイトはハンターで、よく週末になると鹿を撃ちに山に入っていった。よく獲物(鹿のステーキです)を持って帰ってきてくれたものだ。ある日の夕方、山に入った彼から電話が入った。しとめた鹿がひっぱれないから来てくれとかなんとか言っている。ぼくはなんかとてもワクワクしてきて、友人を呼んでみんなでルームメイトが待つ山へと向かっていった。

彼に案内されてその場所へ言ってみると、なるほど、ちょっとした谷に鹿が落ちてしまったらしく、足場が悪いため一人で引きずることができないのであった。彼はぼくにナイフを見せて、「大丈夫だ、もう内臓はとってあるから」という。よく分からないけれど、彼がいうんだから大丈夫だ。で、協議した結果、ぼくが鹿の上半身(?)を、別の友人が下半身を肩に担いで運ぶことになった。日が暮れてきたのでルームメイトはライトを照らして先頭に立ってもらうことに。足場が悪いし、こう、掴むべき取っ手みたいなのもないので、結構大変な作業であった。鹿のぼさぼさした感じの毛の質感を手に感じ、まだあたたかいよーな、まだやわらかいよーな肉感に対してあくまで鈍感になるべくひたすら心の目をつぶり、ぼくらは車のある場所までたどり着いた。ルームメイトは鹿を直接トランクへ収め、ブッチャーへと向かっていった。ほてった体と、なんか今日はとんでもないことをしたゾというもってき場のない高揚感を夜風で冷まし、ぼくはそこで友人と別れてアパートへ帰った。洗面所で手を洗い、ふと鏡をみると、ぼくのブルーのブルゾンは鹿の血で濡れてドス黒くなっていた。ゾーっとしたぼくは震える手でブルゾンを脱ぎ、即ポリ袋に突っ込んだのは言うまでもない。

つづく。