水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

Mendocinoでキャンプ その2

2007年04月15日 | キャンプ

翌朝。どうしてテントで寝てこれほど熟睡できるのか、と自問したくなるくらいよく寝た。なんて気持ちのいい朝なんだろう。うーんと背伸びをしてみる。湯を沸かし、インスタントコーヒーとココアの粉でモカを作って飲んだ。ちゅんちゅんと鳥が鳴いている。モカを飲み、グラノーラバーを食べながらテントの中のものを少しずつ片付ける。それが終わると二杯目のモカと一緒にスナックをぼりぼりとかじった。さあ、今日は漕ぐぞ!

9時。ぼくは車を出して、カヤックのレンタルの出来る"Stanford Inn"というホテルへ向かった。面白いことにここではカヤック以外にもアウトリガーカヌーなんかもあったりして、ホテルのオーナーの趣味人ぶりが伺える。メンドシーノの岬の「脇」に流れ込むBig Riverというのが、今日ぼくが漕ぐフィールドだ。けっこう水量があって、一見水が流れていないように見える。この時間が潮止まりだと知ったのはそれから少し後のことであるのだが。



カヤックにしようかカヌーにしようか迷ったのだけれど、ぼくはカヌーを選んだ。シングルブレードのパドルで一度漕いでみたかったのだ。簡単な講習を受けてぼくは出発した。カヤックの漕ぎ方とは微妙に違って面白い。ぼくの選んだのはアマ(浮き)が左と右に対称についている、ダブルアウトリガーカヌー。ポリネシアの人たちの航海能力を飛躍的に高めたと言われる、歴史のあるフネだ。木でできた美しい船体である。ローカルなビルダーが作ったのだとショップの人が言っていた。船体から柔らかな曲線を描いて繋がっているアマ。このアマは常に片方は空中に浮かんでいるようになっている。漕ぐサイドのアマが水に触れているのが正しいのだそうだ。なるほど、両方のアマを低くしてしまうと、うねりのなかでは船体が浮いてしまってアマを繋げている棒が折れてしまうだろう。



馴れないシングルブレードに最初は戸惑った。カヤックも普段はスケグ艇しか乗らないので、足で操るラダーも難しい。なかなか真っ直ぐ進めなかったのだが、200mも進んだら慣れた。慣れてくるとこのフネは楽しかった。がっぷりと水を掴んで後ろへ送るとぐっとフネが走った。この体幹や後背筋にぐっとかかる負荷がいい。



水は充分綺麗だった。水深の低い箇所では水面の模様がゆらゆらと川底に写って見える。森の奥へゆらりと入ってゆく川の姿に、その向こうの景色を思いやる。あそこに着いたら何が見えるだろう、という原始の欲求を感じる。



漕いでいるうちにシングルブレードにどんどんと魅了されてくる自分に気がついた。パドルのトップの木の丸みなんかこう、上に構える手の平になんとも柔らかくフィットしていい。途中でカヤックを漕ぐ一組のカップルに出会ったが、自分でも驚いたことにぼくはそこはかとない優越感に似た感情まで持ってしまった。なんかこう、シングルブレードって優雅なのである。カヤックのダブルブレードが二刀流というか、ズルに見えてしまうといったらお叱りを受けるだろうか。

カンティーンに入れてきた昨日の残りの白ワインを飲む。もちろん酔うほどの量は入れてない。まだ冷たくておいしかった。持論だけど、白ワインはステンレスの容器で飲むとおいしい。グラノーラバーを食べて休憩を入れる。ずっと上流にバウを向けて漕いできたのだが、どうもさきほどからスピードに乗るなあと思っていたら案の定潮が満ちてきた辺りであった。ようするに河口付近のこの広い川は、満ち潮に近づくにつれ川の水が上流に向かって逆流するのだ。なのであまり調子に乗って距離を漕ぎすぎないように、なるべく野鳥を見たり自然を観察しながら、ワインをちびちびやりながら、ゆっくりと進んだ。時折ダッシュなどしてスピード感を楽しんだりもしたけど。

陽もだいぶ高くなってきたあたりでぼくは折り返した。おお、案の定下流へ下るのは難しい。フネがすすまなーい。瀬という瀬はないのだが、それでも水流の速い箇所があって、そういうところは全力で漕がないと後ろへ(上流へ)戻されてしまう。一箇所、これはほんとにキツイというところがあって、岸に一度フネをつけて休んだ。仕方ないので岸を歩いて片方のアマを手で持ってフネを押そうと思ったのだが、ぬかるみがひどく2mも進めなかった。意を決してぼくはフネに乗り込み、出来る限りの岸よりを全力で漕ぎ、事無きを得たのだった。度を過ぎなければこういうがむしゃらな漕ぎも楽しいものである。上流に押し流されるというのが若干理不尽ではあるが。

納艇したころにはぼくの後背筋はすっかりパンプアップしていた。まさかレンタルでこれほど体力を使うとは思わなかった。「この潮のなかよく帰ってこれたね」とショップのお兄さんに驚かれ、どう言葉を返していいものやら思案したのだけれど、ふと気が抜けてなんかこれもアメリカらしいやと思い、ぼくが返したのは笑顔だった。結局ぼくは漕げたら幸せなのである。

それからぼくは海岸へ出て、スープを作りそーめんを突っ込んで食べた。二艇のカヤッカーが波打ち際で遊んでいた。すると海坊主が海面から音もなく現れた。ボンベを背負っていたからあれはひょっとしたらスキューバダイバーだったかもしれない。もしくはもじもじ君だったかもしれない(スキューバダイバーです)。なんか楽しい場所である。

帰るべき時間が近づいてきた。ぼくは車に乗り込み、メンドシーノを発った。サヨナラ、ありがとうメンドシーノ。(帰りは違う道で帰ろう)とふと思い立ち、ぼくは次にあらわれたジャンクションで左折した。海岸部ではなく、内陸部へ向かう道だ。そして、みるみる森が深くなったと思ったら、レッドウッドの森の中にいた。外気を入れると清廉さを呼び起こしてくれるような森のにおいが車内に広がった。先ほど気まぐれに左折した、ささやかな幸運にぼくは感謝した。



カリフォルニアの地形や気候の変化は、南北のそれに比べて東西のそれは大きい。植生も大きく変わる。ものの20~30分のドライブで海岸部から、森林地帯、さらに今それを抜けて乾燥したエリアに入りつつあった。からっと晴れた大空の下にはブドウ畑が広がっていた。わー、わーと一人歓声をあげるぼく。なだらかな丘陵地帯に綿々と続いて見えるブドウ畑。曲面に描かれた律儀なブドウ畑の平行線は、遠近法の手法を具現化しているようで、一種の構造美をもってぼくの目にうつった。



こんな北部の方にワイナリーロードがあるなんてぼくは知らなかった。旅は気まぐれ世はお酒。これはどこかで止まってワインの試飲でもするより他にないのではないか。しかし時間も押してるし、運転者はぼく一人だし、いくつものワイナリーに行くわけにはいかない。そう、勝負は一つ。ただ一つ。ぼくの脳内で、ロボコップさながらのスコープがオンになり、『いいワイナリー』センサーが作動した。そしてぼくはある一つのワイナリーの前で車を止めたのである。



ぼくが足を踏み入れたのはStandishという名前のワイナリー。もちろんこれまでに聞いたことはない。ここ全体はAnderson Valleyというエリアで、徐々に注目を浴びつつあるのだという。親切そうなおにいちゃんがぼくのサーブをしてくれた。たまたまここに? どこからきたの? ああ、もうすぐ日本に帰るんだね。平日に一人でキャンプか。などと、いくつか個人的な会話を交わした。彼にはぼくのこの二日間の旅がセンチメンタル・ジャーニーにうつったかもしれない。非常に丁寧にぼくに説明をしてくれた。ぼくはここで2種類のChadonnayと1種類のMerlotを試飲した。

最初のChadonnayはステンレスの樽で寝かせたさわやかな仕上がりになっていた。雑味が少なく、単調なきらいはあるが、個人的にこういうのが好きなのでああ、これは買いだな、と心の中でこぶしを握る。もう忘れてしまったが、お兄ちゃんはブドウの遺伝子やルーツのことまでちゃんと知っていた。研究してる人なのだ。たとえ理解できなくても、こういう人にサーブされると嬉しい。

次のChadonnayはうって変わって味が重層的になっている。よくこういう味をbutteryとかcreamyなんていったりするけれど、比喩として悪くないとその時思った。なめらかであるが、ワイン自体の味が濃い。重層的ではあるが不協和音は入っていない。これはうまい。値段も高いが、味はそれ以上にいいと思った。

ここでグラスを一度代えてもらう。最後のMerlotが注がれた。かおりがいい。一口飲んでぼくはびっくりした。その表情をずっと見ていたおにいちゃんが、「わかるでしょ? ぼくは最初にこれを飲んだとき、これがMerlotか!と思ったよ」と、ぼくがまさに言おうとしたセリフが彼の口から出た。非常にボールド。イタリアの土臭い、うわーっとした力強い味に似ている。うまい。味が濃い。こんなMerlotをぼくははじめて飲んだ。ほんとにすごいワインだ。

チーズを頂いて、最後のワインを少しづつ楽しみながらお兄ちゃんと雑談をし、ぼくは3種類全部を購入した。二重マルだ。大満足、大当たりであった。バークレー?じゃあここから2時間半でつくよ、とお兄さんは言う。それはいくらなんでもウソだろう、と返したがまったく彼の方が正しかった。ぼくはアンダーソンバレーを抜けて高速に乗り、実に短時間でバークレーにたどり着いたのだった。

その日の夜。ぼくは彼女のEと一緒に今日買い求めたMerlotを飲んだ。キャンプやカヌーの話をしながら、僕たちはグラスを傾けた。長年使った家具は既に無く、引越しの段ボールが口を開けたまま並べられている。がらんとしたぼくたちの部屋に、笑い声と芳醇なワインの香りが漂った。

おしまい。