12月15日(木曜日)
穏やかな冬の朝でした。
早いもので、父、尾埜 善司が亡くなり2年が過ぎました。
当たり前のことかもしれませんが、実の父親がこの世からいなくなるという経験は、初めてです。
いろいろなことを思います。
「孝行したいときに親はなし。」これもよくよく実感できます。
わかっているつもりでいても、わからないところが多々出ても来ています。
身勝手さを実感しつつ、ほぼ毎日、彼に関する思いが巡るのも実感です。
彼がいなくなった後の方が、彼を感じることが多いのも皮肉。
彼の書庫を引っ掻き回し、いろいろな本を読みあさりました。
夏目漱石、志賀直哉、宮沢賢治、網野義彦、内田百﨤、永井荷風などの、ひろい人文分野。
山折哲雄、親鸞に関するものを中心とした仏教関係。
土門拳、木村伊兵衛、ゴヤ、エル・グレコなどの、芸術関係。
こういった仕事とは関係ない分野で、色々話をしてみたいという思いは、もう少し先にとっておこうと、保留だったのに。
病院に担ぎ込まれた(彼に言わせれば無理矢理連れて行かれたということでしょうが。)ときに、励ましの意味も込めて、「まだまだ、話したいことがいっぱいあるんやからな。」という、私の語りかけに対して、穏やかな表情ながら、「それはお前の一方的な言い分やからな。」と返した、彼の言葉が救いにはなっています。
亡くなる前の数年間、何度か込み入ったところの議論になりかけたとき、決まって、「お前は俺の個人の領域に踏み込んでくるつもりか?」と鋭くブロックしてきた彼。
日本ではなかなかなじみのない、本当の意味での「個人主義」を貫き通した彼の人生でした。
仕事が一段落し、実家の仏壇に手を合わせにいったとき、庭の紅葉の鮮やかな紅が印象的でした。
彼が愛した木です。
彼が言いたいことは、たった二つだと思います。
「お母ちゃんのことは頼む。」
「自分の人生を精一杯生きろ。」
あまりにもわかりやすい。