今年2006年をターニングポイントにひとつのF1は過ぎた。
まだ1週間も経っていないというのにMSCの復帰説が飛び交っているのは
MSCの存在が現代F1のシンボリックだった事を意味するのだろう。
そんな中で静かにF1を過ぎていったドライバーはMSCとのバトルで
幾多のGPを盛り上げたドライバーでもあった。
「J・Pモントーヤという男」
2001年 25歳にしてWilliamsBMWからデビューしたJPMは初年度で4度のポディウム
(1位一回2位三回)シーズン後半からはMSCに激しくアタックし
クラッシュするなどアグレッシブな走りにドキドキしたものだ。
2002年JPMのドライバーズポイントはferrari両ドライバーに次ぐ3位という
F1 2年目のポテンシャルはwilliamsにとって充分な戦力だったろう。
williamsはrenaultエンジン以来のピークに達しコンストラクターズは
2位でシーズンを終える。
2003年はferrari/MSC追撃を期待されるも2004年同様信頼性が低く
JPMのモチベーションも低下、
2005年JPMはMcLARENに移籍してWilliamsはこの年より今年まで一気に下り調子
になってしまった。
2005年からMcLARENで心機一転するもこちらでもMSCと戦える充分な戦力は
持ち合わせておらずマシンの信頼性に落ち込み今年の引退まで派手な
パフォーマンスもなく静かにF1を過ぎてしまった。
今思うと、JPMとWilliamsは2002年を頂点としてお互いは以降は下り調子で現在に至っている。
「頑張っても5位が限界のマシンではフラストレーションのやり場に
疲れ果てた。だからF1に未練は無いという」コメントが印象的だった。
「コロンビアの暴れん坊」「凶暴と言われた性格」
実は人間関係をとても大事にしていたという。
佐藤琢磨曰く、F1ドライバーの中で1番話しやすかったのがJPMだったとか。
実のところ、私はMSCの引退をそれほど残念に思わない。
ジャントッドのコメントがとても理解できる。
「彼は7度もチャンピオンになった。これ以上勝ち続けても
彼自身が大きく変わることはないだろう」
そんなトッドは先日ferrariの新社長に就任されたが来期以降の監督を
兼任するのかは未定なのだという。
果たした者、果たせなかった者達が過ぎ去る2006年でもあったと言えるだろう。