福島応援プロジェクト茨城

福島の子ども達の保養のために!原発をなくすために!避難者を支えるために!

NHK水戸さん茨城スペシャル、 「原発避難者の現状」

2017年02月19日 | 保養
2月17日19時30分から、NHK水戸が、茨城スペシャル
「原発避難者の現状、そして今後わたしたちは何ができるのか」
というテーマで番組を放送してくださいました。
番組感想ですが、残念ながら失望しました。

番組では、強制的避難区域の避難者と自主(区域外)避難者が並列に扱われ混同されていました。
3月末で住宅支援が打ち切られようとしている自主(区域外)避難者の方たちの問題を、重視してくれるのかと思っていました。単に私の思い込みだったのかもしれませんが。

自主避難者と名付けられた人々は、勝手に故郷を捨てた裏切り者の汚名を着せられ、自分を被害者と名乗ることも遠慮させられ、肩身の狭い想いを抱えさせられています。

なぜ自主避難者が福島を出たのか。
放射能の危険性を直接に身に感じ、子どもや自分たちの身を守るためです。
知識や決断力が彼らの背中を押したのです。
その為に苦難を乗り越えながら、自力で生活を切り開いて来ています。
かろうじて支えてきた住宅支援と医療費免除が、今まさに打ち切られようとしているのです。

東京の集会で会った自主(区域外)避難者の人たちは、「このままではホームレス=路上生活者になるしかないのか」と訴えて、そこにいた私たち誰もが涙を流しました。

強制的避難区域の人々は、故郷に帰れなくなったという困難はもちろんありますが、賠償金もそれなりにあり、今後も住宅支援無償提供を受け続けられます(いずれ打ち切られることが決まっているようですが・・・)。

線引き区域から100メートルでも外れれば、待遇は天地ほど違ってくるのです。

この問題は、政府が勝手に決めた、非科学的で冷淡な避難区域の線引きから起きています。

せめて年間5mSvの汚染で避難の権利を保障したロシアのチェルノブイリ法の紹介くらいして欲しかった。
国の使命は、市民の命と健康を守ることと真っ当に考える政府ならば、避難の権利が保障されるべきです。
年間20ミリシーベルトまでなら大丈夫だから帰還せよというのが、血も涙もない日本の政府のやり方です。
20ミリシーベルトは事故による緊急時の基準ですから、そこに戻って生活せよと言うのは大いなる矛盾です。
この事にも是非言及して欲しかった。

番組では茨城大学の原口教授が、人々が福島県に戻らないのはインフラの不備や人間関係などと問題を限定していましたが、そうでしょうか?
何よりも被ばくを恐れ、子どもを守りたいと思うからこそ、戻ることができないのではないでしょうか。

また自主(避難指示区域外)避難者は生活が切羽詰っている方が多いのですから、紹介されたような大学の先生が開催する体操教室などの娯楽的な集会に行ける方はごく限られています。
参加されていたメンバーは、私の見るところ皆さん避難指示区域内避難者の方々でした。

また、昨日の番組での足りないところは、茨城の東海第2原発で事故が起きたらという想定で、30キロ圏内で95万人の避難者が出る―としていて、さまざまな避難の問題が軽視されていたことです。

311フクシマ事故の時、アメリカをはじめ海外の政府が、日本に在留する自国民に対して80キロ以上に避難せよとしたことを、忘れているのでしょうか。
汚染が同心円に収まらないことも、私たちは311によって知ることになりましたから、95万人よりもっと多くの人が避難するでしょう。

どこまでも机上の空論と言うべき避難計画対策です。
避難の問題は、それだけではありません。「正確な情報が市民にもたらせられるのか」という点が、重大な問題です。

311では、事態を把握していた東電の社員と家族は、11日その日の内に、周りに黙って逃げ出しました。
市民に知らせたら自分たちの避難が遅れると判断したのでしょうか。

原発立地自治体の住民は、3月12日の早朝から政府が11日の内に用意され手配した迎えのバスで避難を開始しました。
双葉町には橋の崩落でバスが届かず、自力での避難になりました。
それ以外の自治体住民に避難指示が出たのは1日から2日以上のタイムラグがありました。
風向きで高度に汚染された飯館村の避難が、遅れたことも酷かった。

また避難しなければならない人全員に、速やかに情報が行き渡ったわけではありません。取り残される人もたくさんいました。どこにどうやって逃げればよいのかも、誰も指示してくれませんでした。
あちらこちらに右往左往しながら避難所を転々とした人がほとんどだったのです。

そして原発事故の避難は1年や2年の期間に戻れるわけではなく、長期にわたって帰還が困難になる事が、いま私たちに突きつけられている問題です。
100万人を超す茨城県民を長期にわたって受けとめられる場所が日本のどこにあるでしょうか?

支援打ち切りと強制帰還の根底には、事故の賠償を最低限に抑えて国民の命を守る責任を回避し、その上で、再稼動をさせて原発政策を継続させると決めている政権の意思が働いているのでしょう。

被ばくの影響をとことん軽視無視することは、原発政策継続の為の絶対必要条件なのです。

区域内避難者といっても事情はそれぞれですし、自主避難者の中にも余力のある方もいるでしょう。事情は本当に千差万別です。
はっきりしていることは、原発事故避難者のただ1人も路頭に迷わせないように、みんなでサポートすることが、何より大切だということです。

最後に、友人から戴いたメールを紹介します。

『(知らせて頂いた)NHKのスペシャル番組、観ました。

茨城県民にとって他人事ではないという姿勢ははっきり出ていましたし、このような番組が放送された意味は大きいと思います。

ただNHKの限界というものも感じました。
強制帰還についての掘り下げが足りないし、東海第2の危険性についてももっと伝えるべき内容があるはずです。
また、茨城県内での福島からの避難者を支える活動がごくわずかしか紹介されていません。 小張さんたちの活動はもちろん、原口先生も単にアンケートを取っているだけではなく、いろいろなサポートをされているのに、あの扱い方は研究結果の発表のようで一面的だと感じます。

30分では収まり切れない取材だったのかもしれませんが、結果的に物足りないというのが、率直な感想です。
とは言え、願わくはNHKにはこれからも取材と放送を続けてほしいし、県民にどんどん情報と判断基準を流してくれたらと思います。
私たちもNHK水戸頑張れと声を上げるべきなのでしょうね。記者さんには注目していますとお伝えください。 ちょっと感想をお伝えしたくて、メールしました。

それから岡山先生の講演会についての情報ですが、避難してきている人たちに聴いてほしいのに、『「カミングウト」すると子どもたちがいじめられたりするので、このような場にも出られない』との声があるそうです。
悲しい現実ですよね。
応援の声が十分でないのかもしれません。』

『放射能の影響とこれからのこと』お話会
助言者:岡山 博 氏
日 時:平成29年2月26日(日)午後1:30~午後3:30
会 場:結城市情報センター2階スペースB


避難者支援の会茨城/報告まとめ

2017年02月16日 | 保養
福島応援プロジェクト茨城では2016年12月1日(木)にみなさんに呼び掛けて集会を開き、「自主避難者支援の会茨城」を結成しました。遅ればせながらの「まとめ報告」です。

支援の会設立のきっかけは、住宅支援打ち切りを間近に控えて、話を聞いて欲しいという相談があったことによります。自主避難者のみなさんは、原発事故以来住宅無償提供や医療費免除などの限定的な支援しか受けられず、今日まで大変な思いをしながら生活してこられました。しかしその状況を周囲になかなか理解してもらえず、精神的にも様々な圧迫を受けておられるのです。

12月23日にともいきの郷でクリスマス会を開いてプロジェクトのメンバーと、お子さんたちも含めて避難者の方々8名が参加して下さり、プレスを加えて25人が集まって、皆さんのお話を聞かせていただきました。

12月26日には、以前から調整をお願いしてあった面談が実現して、つくば市長さんにお目にかかり、つくば市独自の支援と、県や国への要望を出していただきたいとお願いしました。

この間、12月24日に突然、皆さんに福島県庁から手紙が届きました。
その内容は「もし転居が無理なら現在住んでいる住宅に住み続けることを認めるが、期限は2年で、家賃の支払いが発生する」というものでした。

お子さんたちがやっと落ち着いて生活できるようになった状況で、転校させたくないということが、皆さんの重要な問題でした。
ですから、今の住宅から出なくて良くなったことは、1歩前進のようでもありますが、個別事情に配慮はなく、一律2年と期限を切り、何より家賃が重い負担です。
知らない土地でようやく新たな仕事に就き、6年間自力で避難生活を続けてきた自主避難者の中には、
家族も自分自身も病気を抱えている人も多いのです。

もともと避難の線引きは恣意的なもので、 原発からの距離が1mでも避難区域から外れれば、
区域外避難となり賠償金もほんのわずかで、住宅無償提供が終わってしまうと、
生活が成り立たなくなってしまう世帯が多く、住宅支援が唯一の命綱といってもよいのです。

今年2017年1月15日に「自主避難者支援の会茨城」としての1回目の集まりを持ちました。

2人の当事者がこられ、支援の会からの参加が5人、新聞社が3社、NHK水戸から5名こられたので、一見するとプレスの方が多いような感じでしたが、若い記者さん方がたいへん熱心で、関心をお持ちなのが心強く感じられました。

12月の面談の時、市長さんの方から避難者のみなさんに私達からの手紙をつくば市の方から出してくださると提案していただきましたので、この日15日にむけて急いで手紙を書いて、市役所に届け、出していただくようにお願いしました。
けれども新しく連絡をくださる方はいらっしゃいません。
もう3月まで日がないので、無理やり移転先を決めてしまった方も多いのか、
あるいは、まったく知り合いもいない場合、連絡を取るのは気が進まないということも考えられます。
そんなわけで、連絡が取れているのは現在7世帯の方々だけです。
そのうち2組が親子2世代ずつなので、実質5家族ということになります。
昨日
2月15日の11時から竹園交流センターで、避難者支援の会茨城2回目の集まりを持ちました。 (準備会から入れると5回目の集りになりますが)
1週間ほど前に、市役所総務課にお願いしてお知らせの手紙を出していただいたので、新しく女性の方が1人参加してくださって、嬉しかったです。
支援の会茨城には、市会議員さんや県会議員さんも参加して下さっているので、市役所や議会とも連携を取ってくださっています。
つくば市の見解は、茨城県に動いてもらわないと、独自の経済的支援は難しいということです。
残念です。
茨城県から、福島県や国に支援要請をしてもらうように要望を出すことにしました。
全国の自治体の中には独自の支援策を打ち出しているところもあるのです。
自主避難者は、離婚・いじめ・親しい人との別れや先の見えない不安、周囲の無理解などの精神的な負担と、ほとんど賠償がない中での避難生活による経済的負担があります。
2月2日には、「継続居住意向調査」のための福島県と茨城県の職員さんの訪問があるというので、支援の会茨城のメンバー5人が同席させて頂きました。

避難者の方から「家賃の負担をせよと言われても、難しい」ということを皮切りに縷々意見が述べられました。「自分たちには何の落ち度もないのに避難するしかなかった訳だし、福島の家の固定資産税は、戻る気もなければ住むこともできないのに払っている」「ましてや2月いっぱいで医療費の補助もなくなり、その負担だけでも重くのしかかってきて、とても生活できない」との訴え。
「縁もゆかりもない土地に流れ付き、ようやく仕事に就いて、自力で生活してきた。この先住居がどうなるのか、 1年ごとに首がつながっていくような心許ない状況の中でずっと暮らしてきて、今年3月で住宅支援がなくなると発表されて以来、落ち着いて仕事もできない毎日だった」「家を求めようにも銀行は貸してくれないし、お金はないし、どうしようも無い」「今度のことは天災ではなくて人災じゃないか」と話続ける間、県職員の3人は黙ってうなずきながらメモを執っていました。
一緒に同席していた、もう1人の避難者さんは「今自分が住んでいる公務員住宅の周りの人達は避難区域内の方たちばかりで、今後も変わらずに住宅支援を受けて無償で住んでいられる。福島の自宅が避難区域からほんの数キロずれただけで、こんなに差が出てしまうことが、どうしても納得できない」と訴えました。
私たちも「年間被ばく限度が20ミリシーベルトと緊急時のままに据え置かれながら、福島はもう心配のない大丈夫な土地だから戻るべきだ」という見解と施策は、受け入れがたい矛盾で、酷すぎる!と言い添えました。
「帰還ありきで、実害は無いものとして、福島県も国も国民の健康を守ろうとしない事は、間違っている」「日本より豊かとも思えないロシアの国々が市民の生活を守っていて、原発事故から30年経つ今日も、チェルノブイリ法を制定して、日本よりはるかに配慮ある施策を続けていることをご存知ですよね。」
「本当は、現在福島に住んでいる人の中にも、いまから避難したい人だっているはずです。あらゆる避難を希望している人たちの権利を守っていただきたい」等々述べさせて頂きました。
一人一人の県職員さんも、家に帰れば子どもさんもいて、家庭がある訳で、被ばくのリスクなど理解して頂きたいので、資料なども手渡しました。
報告の時系列があちこちになってしまいました。
昨日15日にはじめて参加の方は自主避難者ではあっても、実家の仕事の都合もあって住民票を福島に残したままにしておられる方で、子どもさんの甲状腺エコー検査などは筑波大で無料で受けることができています。とはいっても、福島県からの委託事業なので検査の結果の詳しい事は教えてもらえず、 A1・A2とかの判定だけ告げられるのだそうです。福島医大と一緒です。
医療費の免除が、29年の3月で打ち切りとなるということも、大きな問題です。
甲状腺癌の恐れのあるのう胞や結節の場合のみ自己負担部分が適用されるそうですが、しかし居住地域自治体の助成金がある場合は、そちらを適用してもらって、 1部負担金のみ免除するということのようです。
そもそも放射線の影響によるリスクは甲状腺癌だけでは無いはずだし、甲状腺もがん以外のびまん性疾患は、まるきり無視です。
それから、昨日は高速道路通行料金の無料補助が打ち切りになることも、なんとか考え直してもらいたいと言う話が出ました。
住居支援、医療費免除、高速料金免除・・・と次々支援が打ち切られて、区域外避難者の方々は追い詰められてきています。
2月5日のおしどりマコさんを密着取材した日テレNNNドキュメントの中で、国際会議の席上で聞き出した『「原発は事故が起こらない」と言うセールスは出来なくなったので、〈事故が起きても大丈夫〉というのが新しいセールストークだ。汚染地域の住民が自分達で除染をして住み続けるモデル・ケースを作る」』との証言がありました。
日本の政府の意図があっけらかんと語られていて、情けなくてガックリきました。
福島県も国も、避難者や支援者の声を聞こうとしませんが、諦めずに声をあげていくしかありません。せめて当事者の苦しい胸の内を理解し、なんとか助け合ってきたいと思います。

近いうちに茨城県庁に支援の要望書を出しに行きたいと思いますので、皆さんも是非ご一緒に同行してくださいますようお願いします。