福島応援プロジェクト茨城

福島の子ども達の保養のために!原発をなくすために!避難者を支えるために!

緊急事態条項の危険性

2016年01月29日 | 保養
安倍首相が憲法に緊急事態条項というものを新設すると宣言しています。
これは日本を独裁国家に落としめてしまう恐ろしいものです!
お友達が、緊急事態条項の危険性についてブログ「原発報道あれこれ-」にまとめてくださったのでぜひご覧になってください。

http://tratnou.cocolog-nifty.com/blog/

2016/01/15  361 緊急事態条項 1
およそ1年半振りにブログを再開します。「まとまったものを書けるまでお休みしよう」と思っていたら、政治状況の方が坂道を転げ落ちるように悪くなっていき、今や「まとまったものを書く」などという贅沢なことを言っていられない状況になってしまいました。
◆ 断崖絶壁
私たちは今、断崖絶壁に立たされています。断崖絶壁とは、言うまでもなく、民主主義国家だと思っていた日本が、緊急事態条項を新設する改憲によって独裁国家に転落するかどうかの瀬戸際に立っているということです。
◆緊急事態条項(自民党改憲案 98条、99条)
改憲の危険性が話題にされる時、多くの人が思い浮かべるのは戦争放棄を定めた「9条」でしょう。「9条さえ手を付けられなければ安心」と思っていたら本当の危険性を見逃すことになりかねません。年末年始にかけて、安倍政権は緊急事態条項の新設に言及していて、全国紙などでは「ハードルの低いお試し改憲」などと書かれていますが、とんでもないことです!
◆万能のカードジョーカー
緊急事態条項は、IWJの岩上安身さんも言っているように「万能のカードジョーカーに等しい」もので、「その一枚を手にするだけで、憲法の他の条項を無にしてしまうことができるものです。総理大臣が全権を手に入れてしまい、国民の反対の多い9条の改正などは必要なくなってしまう」のです(http://iwj.co.jp/wj/open/archives/279662)。これは戦前の治安維持法に、あるいはナチスの全権委任法に匹敵するものです[参照(g)の解説]。こんな項目が新設されたら日本はあっというまに独裁国家になってしまいます。でも、この緊急事態条項の危険性は、まだまだ多くの人の共通認識にはなっていません。


そこでなるべくA4判一枚にコンパクトにまとめようと協力して
チラシを作ってみました。
先日の「福島の声を聞く会」でプリントして配布しました。
こんな恐ろしい条項を通させてしまったら
日本はおしまいです。
今年の選挙は私たちの正念場ですね。



以下のサイトも是非ご覧になってみてください。
【参考サイト】
(a) 日本国憲法改正草案 Q&A(増補版)PDFファイル   
  https://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf
(b) あすわか(明日の自由を守る若手弁護士の会)作成動画6分 
 「憲法が変わっちゃったらどうなるの?~自民党案シミュレーション~」他 
    http://www.asuno-jiyuu.com/
(c) 2016/01/11 岩上安身による升永英俊・弁護士インタビュー ~
  緊急事態条項について http://iwj.co.jp/wj/open/archives/281877
(d) 永井幸寿弁護士インタビュー 2015/12/19 
  「国家を守り、人権を制限するのが国家緊急権」  
   http://iwj.co.jp/wj/open/archives/279662
(e) 澤藤統一郎の憲法日記:
  アベ政権の「緊急事態条項」は、ナチスの「全権委任法」にそっくりでは
  ないか http://article9.jp/wordpress/?p=6154
(f) 小口幸人さんに聞いた 緊急事態条項の導入は
  「災害」を名目にした「戦争への準備」(その2)
     http://www.magazine9.jp/article/konohito/23097/ 
(g) 「次の選挙が自由主義下での最後の選挙になってしまう」!?~
   2016/01/18ノンポリのママ弁護士がスイッチ「強」に!岩上安身による
  武井由起子弁護士インタビュー http://iwj.co.jp/wj/member/archives/43876
(h) 孫崎享 日本外交と政治の正体 
  「緊急事態条項」は独裁国家成立への道(日刊ゲンダイ 2016年1月22日) 
   http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/173899/2
(i) 日本弁護士連合会「憲法って、何だろう?」 
  http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/constitution_issue/what.html

◆原発事故と緊急事態条項
脱原発を望む人たちにとって、緊急事態条項はどのような影響があるでしょうか?
たとえば、福島のような原発事故が起こった時のことを考えてみます。全ての権限が総理大臣に集中する状況で、「強力なリーダーシップで事故を収束させ、早い速度で被災地を復興させてくれるだろう」と期待していたら、全く逆のとんでもないことが起こる可能性もあるのです。

原発が事故を起こした場合、それが発表されない可能性もあります。飯館村がそうだったように、放射性プルームが飛んできても知らされずに汚染地帯に留まり続け、気が付いた時には既に被曝していたということにもなりかねません。

東日本大震災の後、被災者支援・立法提言活動に奔走してきた経験から、小口弁護士は災害時における緊急事態条項の危険性を指摘しています。少し長くなりますが、以下に抜粋・転載します(1)。

◆戦争中、隠蔽された二つの大地震
【小口】(前略)実は、第二次世界大戦末期の1944年12月には東南海地震、1945年の1月には三河地震と、それぞれ震度7クラスの地震が起きているのですが、みなさんご存知ないですよね? 実は、戦争に悪影響を与えるということで情報統制されて、当時もほぼ「なかったこと」にされたのです。十分な復旧復興活動も行われませんでした。

◆通信、報道規制による隠蔽
東日本大震災を経験した者からすると、一番怖いのは、原発事故を隠されることです。自民党の改憲案なら、それが可能です。内閣が緊急事態を宣言して、「災害復旧活動の混乱を招くような報道やデマに繋がる通信は規制する」ということで、報道については事前規制を、インターネットについては通信規制をして、違反者への罰則を定めてしまえば、原発事故は簡単に「なかった」ことにできると思います。

なんせ放射能は見えないんですから、ガイガーカウンターで測定でもしない限りはわからない。東日本のときも、原発事故に関する情報は、みんな国と東電の記者会見に依存していましたよね。例外はツイッターぐらいでした。あのときのことを思い出していただければ、絵空事ではないことがお分かりいただけると思います。

◆情報伝達の方法がなくなる
【編集部】誰かがガイガーカウンターで測定したとしても、その情報を拡散する術がないですね。

【小口】そうなんです。情報を伝達する方法がなくなる、というのは本当に恐ろしいものです。自分が見聞きしたもの以外は知ることができないんですから。
 災害直後という、ただでさえ通信が不十分になり混乱しているときは、どうしても政府からの情報に依存しがちです。4年前の原発事故のときだって、みんな、固唾を呑んでテレビで東電や枝野官房長官の記者会見を見ていたじゃないですか。緊急事態条項がなくてもあんな状態だったんです。更に国が情報を規制できる権限を憲法に定めたら、災害直後は、国が見せたいものしか見られなくなっても全然不思議ではありません。

◆避難もできない?
(中略)緊急事態宣言が出されて国家緊急権が発動される、なんていうことになったら…。いわゆる「御用学者」以外の学者やメディアは一切情報発信できなくなるし、移転の自由を制限して、住民の避難を止めることだってできてしまいます。国道は物資の輸送のために使用するから他の車両や人は一切通さないとか、いくらでも名目は立てられますから。(後略)



福島の今を聞く会開催しました。

2016年01月28日 | 保養
1月16日の福島応援プロジェクト・茨城主催・・・福島の今・・・
【いまは福島のこと、いつかはあなたの町のこと】は、 25名の参加者を得て盛況のうちに終了しました。

当日中継されたIWJの映像は http://www.ustream.tv/channel/iwj-ibaraki1 
でアーカイブを見ることがきます。
また常総生協の大石副理事長さんが撮影してくださった動画がアップされていて、以下のURLからダウンロードすることができます。
http://firestorage.jp/download/b83f941ad029e0e179a7695562c1a20b4eeb97ab
17日に渋谷で開催されたお二人の話を聞く会の模様は以下で視聴できます。https://www.youtube.com/watch?v=KY-2c2CgQcw
https://www.youtube.com/watch?v=oB--V-l6QVQ#action=share

参加者もスタッフも初めて聞く凄い話が満載で、皆さん真剣にじっと耳を傾けておられました。三春町の飛田晋秀さんは取りためた被災地の写真の解説をしながら報告をしてくださいました。
地震や津波で押しつぶされた家がそのままになっている街に人の姿が一切無い!その気味の悪さ、おそろしさが伝わり、しかもいまだに高線量であることを証明する線量計とともに被災地の写真が次々プロジェクターからスクリーンに映しだされました。


飛田晋秀さんは取りためた被災地の写真の解説をしながら現状報告を。画面は、原発爆発後も富岡町に残り避難者に託された動物の世話 をしている松村直登さんについて話される飛田さん。松村さんは一旦はいわき市の親戚をたよって避難したものの「あんたは放射能で汚染されているから、家に 入れる訳にはいかない」と断られ頭にきて住民がいなくなった町に戻り、富岡町で暮らし
続けています。無人の町に出て様子を見に出たある日、誰もいないはずの町で「人間」に遭遇。その人はAP通信の記者で「富岡町の番人」として世界に発信してくれたのだそうです。しかし、国内では一部の報道しか伝えないために知らない人も多く、この日初めて聞いたという方がほとんどでした。松村さんの日常を 記録した中村真夕監督の映画「ナオトひとりっきり」は世界に発信され、昨年カナダで行われた映画祭でも高く評価されました。松村さんは海外での原発反対イ ベントに何度も招待され、フクシマ以降の福島を伝えています。飛田さんと木田さんは、昨年(2015年)の桜の季節に被災地の松村さん宅を訪ね、お話を聞かせていただいたとの事。

被災地では暴動も略奪も起きずに全て整然としていたように言われましたが、そうとばかりは言えなかったようです。コンビニに入ると必要なものを求めて長蛇の列ができているが、停電なので電卓だけが頼りの清算は時間がかかる。女性はみんなじっと待っているが、男性は手当たり次第に電池等をポケットに突っ込みお金を払わずに出て行ってしまう人が多かったという。そして頻発する泥棒団。 1時帰宅するたびに家が荒らされものが奪われて無くなっていくのを発見する。また、無人の家に人が入って暮らしている跡を発見する。お金がない原発収束作業員の下請けの人たちではないかと思われるとのこと。

木幡さんの住んでいた野上地域には避難の知らせが来なかったという。
大熊町には11日の夜にはいち早く避難のバスがきて多くの人が逃げたのだが、しかしこのバスに乗った人達はかえって大変な思いをしたのだそうだ。持病のある人が薬を持ち出せず、貯金通帳もお金も持ちだせずに着の身着のままで避難させられたのだそうだ。
情報の蚊帳の外に置かれた野上地区の人々は、ことの重大性を理解していた木幡さん夫婦などのリードもあって、帰れないということを認識して必要なものを持ち出して自家用車で逃げることができたのだ。

そして至る所で原発事故さえなければ救える命が、見捨てられ放置されていたのを、ごめんなさいと言いながら逃げるしかなかった苦しさを語る木幡さん。

原発立地である大熊町の行政は、他の町村に比べればはるかに多くの情報を手に入れることができた(この不平等にも驚かされ、怒りが湧いてくる)が、首長を始めとした担当者たちの原発事故による放射能の危険性に対する無知と、住民を救おうとする意識の薄さのために、多くの困難を強いられたという感がある。ヨウ素剤が用意されていたにもかかわらず、それを飲ませることの意味や必要性を、役所の人々が全く知らなかったということも怖いことだ。
大熊町は立入禁止だったが、猫や犬を置いて逃げださなければならなかったのでこっそりエサをやりに通った。しかし次々にやせ細って死んでいってしまった「ネコさん」や「犬さん」の事を語る声が詰まる。自衛隊や警察の方たちがそんなペットたちに餌をあげてくれていたことを、「とてもありがたかった」と感謝の言葉を述べ、野生の猿の姿が見えなくなっていることも心配気に話す木幡さんの優しさが胸を打った。

木幡ますみさんは徹底的な脱原発でありながら選ばれて、東京電力のモニターになっていたことがあったとのこと。
そして 2004年にモニターと東電の幹部が一堂に会し、第一原発を視察した時「こんな地下に非常用電源があったのでは役に立たないのではないか。自家発電機を安全なところに設置して欲しい」と要望したという。
その時勝俣は「メルトスルーは決して起きない」「だからそんな必要ない」「もしそんなことが起きたら謝る」と言ったそうです。
「でも、まだ謝りに来ないよ」「大勢のモニターがいて、みんな聞いていたんだから」
専門家では無い木幡さんがこんなに見抜かれていたことにも、驚かされました。


三番手の木田節子さんは発言者としてだけではなくスタッフとして準備から関わっていただきました。
そんなことから遠慮されたのか幾分いつもより控えめな発言でしたが、木田さんの生まれ故郷岩手県の原発を阻止し、昨年亡くなられた岩見ヒサさんの事跡と著書を紹介してくださいました。田野畑村には岩見さんの「吾が住み処 ここより外になしと思ふ 大気清澄にして 微塵とどめず」の歌碑が立つと言います。

木田さんはご自身のFacebookに「お話会より交流会、交流会よりその後、そして一泊していただき今朝の朝ごはんの時も、二人の話は途切れることなく問題発言いっぱいでした。」と記しておられます。木幡さんとは長いお付き合いなのに、初めて聞く話がいっぱいだったとのこと。場の雰囲気だったのか?今まで歯に衣着せない発言に対して、様々な抑圧を受けてきたのに、大熊町町議会選挙で上位2位の得票だったことが、木幡さんを支持する人が実は多かったという証で、吹っ切れてきた部分があるので はないかと思うと木田さんが言っておられました。木幡さんの魅力は何よりも明るさ。そして物事の本質を見る鋭さと、直感力。初めてお会いしましたが、いっぺんにファンになってしま いました。
『木幡さんは昨年の大熊町議選に立候補され、見事に当選!それもトップとはわずかな差の2位で。夫の木幡仁さんは以前大熊町の議員であったこともあり被災後にあった町長選に立候補してわずかな差で破れました。今回の町議選に立候補する件には大反対したそうです。震災以降避難所で「大熊の明日を考える女たちの会」を立ち上げ、ずっと走り続けてきたますみさんを心配してのことでしょうが「このままでいいのがい?」と反論するますみさんとは現在でも意見が合わないとか。そんな時には、震災後に生体間移植で自分の腎臓を提供した話を持ち出し「なんだかんだ言うなら腎臓返せ!って言ってやんだ」という話に、思わず爆笑。
※腎臓移植についてのお話はフォトジャーナリスト・山本宗補さんの写真集「鎮魂と抗い、3.11後の人々」(彩流社より出版)に紹介されています。夫婦で頑張ってきた、今も頑張り続けているお二人のエピソードです。

2次会は交流会。
木田さんを応援してくださる方から届いた差し入れの数々。新潟県津南町の人参ジュース、こんにゃくやおいしい島みかんもどれもみな美味しくいただきました。



『お話会が終わり、残った12名が参加した交流会でカンパーイ!
メニューは長田先生手作りの本格的なカレー3種とカボチャサラダ、イカと大根の煮物。

二間ぶち抜きの和室がある古民家だからできるお話会。皆さま、次の機会はぜひご参加を

おいしい、おいしい!と、何でも食べてくれたますみさん。この日は、翌日渋谷であった講演会に参加のため「ともいきの郷」に泊まっていただきました。
古民家でのひとときに帰れなくなった大熊町の自宅を思い出すのか、いいね!いいね!を連発。
「縁側の雰囲気、うちもこんな感じなんだ。うちは180年前の家を何回も何回も直して住んできたんだよ。震災前には台所を直したばっかりだったのにさ、180年経ってるから資産価値がないなんて言われて賠償の評価は二束三文。お金もらってっぺって言う人たちは、その辺の事情なんかわがんねえんだよな」・・そうなんだよね。』
上記は木田さんのFacebookから

大きな衝撃を受けたのは、ともいきの郷に泊まって翌朝起きてこられた木幡さんが、嬉しそうな晴れやかな笑顔でおっしゃった一言を聞いた事でした。
「久しぶりに大きな布団で眠れたのでゆっくりしました。とてもいい気持ちです」
一瞬、意味がわかりませんでした。私たちには消して潤沢な資金があるわけではないので、郷の布団は上等な布団ではありません。しかもシングルサイズの普通の布団です。
すると木幡さんは、続けて
「仮設住宅は狭いので、縮こまって寝ているんですよ。いつも。
昨日はおいしいもの食べさしてもらっていい布団で寝かせてもらってよかったです」と言われたのです。
こうやって交流して初めてわかることがいっぱいあります。
福島の子ども達だけではなく、仮設住宅におられる方々にも来ていただいて、時に手足を伸ばして休んでいただくことも、必要な支援だと、改めて思いました。

前日の交流会の残り物だけではなく、木田節子さんが小松菜のおひたしやお味噌汁、きんぴら、焼き魚など作ってくださったので、とっても豪華な朝ごはんになりました。小松菜や白菜は八郷の有機農家の佐藤守さん有里さんの差し入れでした。


昨晩の牛肉たっぷりでおいしい「芋煮」は木田節子さんの作品。大量の「焼き鳥」も木田さんの差し入れでした。