夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

賢木 有坂北馬筆

2013-06-15 06:48:49 | 掛け軸
「初心忘るるべからず」ということです。

賢木 有坂北馬筆
絹本着色軸装箱入 
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横441*縦1095



本作品は盛岡の古陶庵より購入。

月夜の晩に芸妓?と思える女性が三味線を奏して、役者風の男が笛を吹き、恋のやりとりをしている粋な作品です。



源氏物語の「賢木」の見立てかもしれません。題は「嵯峨野」とするかどうか迷っのですが「賢木」としました。

美人画に長じた北馬の才能を充分に発揮している作品でしょう。




男女の服装は入念に描き対照的な美しさを描出しています。世の常として男女の恋は永遠のテーマのようです。



落款の「蹄斎」に朱文方印「北馬画印」一顆を押しています。



落款、出来、特徴(人物の目や口元の癖のある個性的な特徴と厚みのある人物表現)から真作と断定しました。

表具に浮き等がみられたことから表具を改装しています。

多くの浮世絵の肉筆画が存在しますが、市場にはますます少なくなってきているように思います。肉筆の浮世絵といっても品性のない作品も多いので、よく選択して入手する必要があります。



有坂北馬:明和8年生まれ、弘化元年没、享年74歳。葛飾北斎門人。蹄斎、駿々斎、駿々亭、秋園と号す。「浮世絵類考」に「北斎の画法を受けて狂歌摺物画を多く書く」とある。



葛飾北斎の高弟であり、有坂氏、本名は星野氏で字を光隆、俗称を五郎八といった。御家人の隠居で、浅草三筋町に住していたが、のちに剃髪して下谷二長町に住んだ。主に肉筆画を多く描いた。




門人の多くが師の画風を軸にした歌川派とは異なり、北斎派の門人は流派としての統一感を求めない放任主義であった。北馬はその例に漏れず北斎と歌川派の折衷のようなところがあるが、北馬が北斎との師弟関係が短かったために歌川派に近い画風にある。


北馬の作品は割りと多いので、工房のような制作をしていたのかもしれません。


北馬自身も谷文晁の工房のようなところで手伝いをしていた記録があり、北斎から教わった右腕では恐れ多いと左腕で描き、それを知った谷文晁は以来手伝いを北馬には頼まなかったといいます。




骨董を始めてまもない頃には、調べた事をまとめて栞を製作したものです。まだワープロに時代のことです。

このような初心の頃はいろいろと購入にも慎重であったし、調べることも執拗であったように思います。


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