夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

清潭 児玉希望筆

2012-07-20 05:23:45 | 掛け軸
昨夜は赤坂で妙齢な女性たちと食事会。本日から休肝日・・。

児玉希望を知っている人はわりと少ないでしょうが、非常に評価の高い画家の一人です。
かなり筋のよい作品でしたが、なんでも鑑定にて高額をつけたこともあります。

本ブログにても二度ほど投稿したことがあります。

清潭 児玉希望筆
絹本着色 軸先木製 共箱
全体サイズ:縦1900*横530 画サイズ:縦1225*横420




落款・印章から判断して若干若いときの作品ではないかと推察されます。胡粉に剥落が見られます。

出来から判断して真作と思われますが、ただし、高価な画家だけに判断には慎重を期す必要があります。廉価で入手した場合はそれなりの理由があるのが常ですから、じっくりと判断していきます。

   

児玉希望:明治31年生まれ、昭和46年没。享年74歳。広島県に生まれる。名は省三、川合玉堂の高弟であり、帝展・文展・日展を中心に大正・昭和期の日本画壇を牽引した巨匠。20歳のとき上京、当初は実業家を目指していたが祖父の死を機に画家になることを決意。




日本画家川合玉堂の門を叩いた。そのわずか3年後帝展に初入選し新進気鋭の画家として注目を浴びた。師の筆法を継ぎ、山水、花鳥画をよくし、覇気に満ちた性格と共に、大和絵、南画、浮世絵などを学び、さらに抽象画にも関心を寄せるなど、常に新しい時代の表現を追い求め、多彩な作品を残した。



根強い人気を誇っています。その理由はひとつのところにとどまらずにいろんな挑戦を行い、それぞれに成果を上げていることでしょう。この点はどの画家にも言えることで、ひとつのところに停滞した画家は後世にはそれほど高く評価されていません。

事業は企業も同じで、停滞した企業や事業は少なからず淘汰されています。時代の流れをほんの少し早く読みとって、事業の路線をそちらに向けておかないと生き残れません。経営トップの手腕によるところが大きいと思われます

それと本作品の巻き止めに書付があります。駒込林町は今の千駄木付近のようで公園に名前があり、昭和40年に町名が変更されいます。児玉希望は昭和46年に亡くなっており、晩年の作とは作風からも考えにくいです。



このような書付や鑑定書、鑑定の書付は鵜呑みにしてはいけませんが、どうも作品の雰囲気はよさそうです。いろんな側面から作品を分析していくのも骨董の楽しみの一つです。


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