夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

狼聲野月図&月鴉図 野口幽谷筆 

2016-03-22 05:02:02 | 掛け軸
なんとも打ち捨てられてようにあった掛け軸・・、不気味な動物画・・、狼と鴉の作品です。落款はなく印章のみ・・、購入理由は「日本オオカミ?」と思ったからです。

どうみても洋犬にしか見えないような絵ですが、題名には「狼」の文字があります。ご存知のように日本オオカミは絶滅しており、1905年(明治38年)1月23日に、奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報とされています。

狼聲野月図 野口幽谷筆 
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 益頭峻南所蔵 合箱入 
全体サイズ:横820*縦1930 画サイズ:横630*縦1370



印章のみの作品。印章は「續印」の白文朱方印と「幽谷」の朱文白方印の累印が押印されています。



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脊椎動物亜門哺乳類綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属に属する。絶滅種。体長95 - 114センチメートル、尾長約30センチメートル、肩高約55センチメートル、体重推定15キログラムが定説となっている(剥製より)。



他の地域のオオカミよりも小さく中型日本犬ほどだが、中型日本犬より脚は長く脚力も強かったと言われている。尾は背側に湾曲し、先が丸まっている。吻は短く、日本犬のような段はない。耳が短いのも特徴の一つ。周囲の環境に溶け込みやすいよう、夏と冬で毛色が変化した。



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「耳が短い?」 日本オオカミ写実的に描いたのかとおもいきや違うのかな?



月鴉図 野口幽谷筆 
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 益頭峻南 合箱入 
全体サイズ:横502*縦2000 画サイズ:横306*縦1360



成り行きで購入した作品。衝動買いにて反省・・・。



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野口幽谷:文政8年(1825年)~明治31年(1898年)6月26日。享年74歳。幕末から明治期の南画家。名は續、通称を巳之助。幽谷、画室を和楽堂と号した。江戸神田町の生まれ。



大工の棟梁源四郎の次男として江戸に生まれる。しかし、幼年時に患った天然痘からくる虚弱体質のため大工を継がなかった。15歳で父を失ったのがきっかけで、宮大工の鉄砲弥八に図面製作を学ぶ。弥八から技能を磨くためにまず絵画を学ぶようにいわれ、知人の紹介で椿椿山の画塾琢華堂に入門。また、漢学を大黒梅陰に学ぶ。生活は苦しく母の生活を支えるため日中は製図を描いて働き、夜になって書と画を学んだ。



あるとき師椿山から「画は何のために描くのか?」と問われ、「気ままに自分の心を画き、気ままに生活したい」と答えたところ、幽谷に咲く恵蘭のような心と評されて幽谷の画号を贈られたという。5年後の1854年(嘉永7年)、師椿山が没すると、寺子屋を開き子供たちを教えながら渡辺崋山に私淑して画を独学。明・清の画家の画法を修めて花鳥画・山水画に秀で、特に菊の絵が多い。渡辺崋山、椿椿山と続く、謹直な画風で花鳥図、人物図などを得意とした。



1872年(明治5年)の欧州の博覧会をはじめ内国勧業博覧会・絵画共進会などに出品し、画才を認められる。宮中で障壁画制作を任され、各会の審査委員を歴任。帝室技芸員の制度ができると1893年(明治26年)9月25日には橋本雅邦らと共に帝室技芸員に任命される。



1855年(安政2年)の安政の大地震で自分の家が半壊したにもかかわらず、師椿山の家の被害がひどく位牌が水に浸かってしまったことを聞くに及んで、自分の家の修復を後回しにして、師の家の修復を大工出身の幽谷自ら行なったというエピソードが伝わっている。また明治を迎えても生涯、丁髷で通したことでも知られる。



大家になった後も落款や印章に「幽谷生写」と修学中を意味する「生」の字を使い続け、画商に「生」の字があると絵の値段が落ちるからやめるように言われると、「自分は未だ崋山先生や椿山先生を超える絵を描けていない。両先生以上の絵を描けるまで「生」の字をつけるのをやめる気はない」と答えたという。安政の初年頃、横山氏の娘と結婚し嗣子をもうけた。この息子は長じて松山と号して優れた作品を残しているがなぜか記録や資料が伝わっていない。



門弟:松林桂月・椿二山・益頭峻南・的馬白峰などがいる。

主な作品
1872年:ウイーン万博「雌雄軍鶏」、
77年:第1回内国勧業博覧会展「竹石図」(褒状)、
82年:内国絵画共進会「菊花図」、
88年:日本美術協会展「矮竹子母鶴図」(銀牌)など

印名:「幽谷畫印」(「幽谷之印」) 「輪樂」(「和楽」) 「臣読之印」 「東京之人」 「読之印」 「読印幽谷」 「米墨水神仙」 など

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巻き止めにあるのは「益頭峻南」の所蔵というが、詳細は不明です。



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益頭峻南:南画家。江戸生。名は尚志、字は示徳、通称を銓太郎。野口幽谷に師事し、花鳥を得意とした。東京勧業博覧会二等賞牌受賞。文展審査員。大正5年(1916)歿、66才。



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落款のないボロボロ直前の紙表具の作品、どうもこのまま御蔵行きの作品となりそうですね


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