
先週末は花見・・。幼稚園が休みなので息子と家内はすでに何度か花見をすましているようですが、この日は家族全員で出かけました。

花より団子の息子と義父・・、おにぎりの奪い合い?

ついでに桜の花びらの浮かぶ小川で遊んできました。

義父と義母は遠くで・・・???

花びらを捕まえようと息子は走り回っていました。

最後は肩車・・・。

パパと居るのが楽しくてしょうがないらしい。そんな気持ちが伝わってくる大切な時間・・。

さて本日紹介する作品は遠州流でお茶を習っている家内が購入した茶碗ですが、清水楽山が作り、遠州流の小堀宗明箱が箱書きしている作品です。小生が生まれた昭和28年に作られた茶碗でもありますし、そして息子もその60年後に誕生していますので、親子共々使える生まれた干支にちなんだ茶碗です。
癸巳干支茶碗 清水楽山作 小堀宗明箱書
小堀宗明箱書 掻銘「好其心」 高台脇「楽山」銘印
口径120~123*高さ73*高台径57
茶室でじっくりと鑑賞してみました。

掛け合わせたような釉薬の茶碗を光の交錯する茶室で楽しんでみました。高取焼のような灰釉薬を鉄分の量に変化を持たせた景色が見どころになっています。形も少し歪になっていることでお茶が飲みやすくなっていますね。
*茶室の遊びのひとつに自然光との戯れがあると思うのですが、もう一つ照明により趣向も考慮してみたらいかがかと思っています。在来の茶室では照明による趣向はあまり考慮されていませんが、現代の茶室はもっと遊んでいいと思っています。茶室側は自然光を、茶道口側は自然光+照明でなどを考えると在来の茶室とは違った外部のレイアウトが生まれてくるように思います。

高台脇には「楽山」という印銘、そして「好 其心」という掻銘がありますが、「好」のつくりの「子」が釉薬で消えて「女」に見えるのは御愛嬌でしょう。
******************************************
小堀宗明:茶人。遠州流十一世。父は十世小堀宗有。名は正徳。別号に其心庵・一貫子・徳翁。近代茶道隆昌の時運に乗り小堀家の復興を果たす。大徳寺塔頭孤篷庵内に茶室「其心庵」を営む。門下に石黒・団・三井氏などの政財界の数寄者を多数迎え入れ泰和会を組織した。昭和37年(1962)歿、84才。
******************************************

このような茶碗を入手するあたっては、たとえ遠州流以外の方でも清水楽山と小堀宗明との関係や号などもきちんと理解していないと食指が動かないものですね。

******************************************
清水楽山:(しみず らくざん)1894年(明治27)~1969年(昭和44)) 大正窯。三重県四日市出身。 15歳で万古焼の修行をしたが、当時の万古焼は大量生産であったため個性を発揮出来ず、大正11年に京都清水焼の勉強のため上京。その後は各地方の有名窯をめぐり歩き、帰郷。後に遠州流小堀宗明により指定御用窯に認定され、雅号を「宗楽」とする。
******************************************
清水楽山は苦労して小堀宗明の御用窯になった陶工ですが、モノづくりには苦労が必要だと思います。地道な努力より、すぐにお金や地位、楽さを求める若者には未来はないと小生は考えています。

さて、この茶碗は冒頭で述べたように、清水楽山と小堀宗明の縁がある茶碗だけではなく、「癸巳」という小生と息子の両方の干支にちなんだ茶碗です。家内から購入の是非の相談があった際には「すぐに入手しなさい」と判断しました。

癸巳生まれの男性の性格は「社交性に乏しく一見とっつきにくい感じを与えますが、根は正直で努力家。自分の考えを押し通す頑固さと短気が欠点です。器用貧乏にならないように注意。」だそうですが、よく当たっています

家内が「この茶碗のどこが巳年?」と尋ねるので「高台内の削りと見込みの手跡だよ。」と答えておきました。
この茶碗を観てパパを思い出す日がくるのでしょうか?

花より団子の息子と義父・・、おにぎりの奪い合い?

ついでに桜の花びらの浮かぶ小川で遊んできました。

義父と義母は遠くで・・・???

花びらを捕まえようと息子は走り回っていました。

最後は肩車・・・。

パパと居るのが楽しくてしょうがないらしい。そんな気持ちが伝わってくる大切な時間・・。

さて本日紹介する作品は遠州流でお茶を習っている家内が購入した茶碗ですが、清水楽山が作り、遠州流の小堀宗明箱が箱書きしている作品です。小生が生まれた昭和28年に作られた茶碗でもありますし、そして息子もその60年後に誕生していますので、親子共々使える生まれた干支にちなんだ茶碗です。
癸巳干支茶碗 清水楽山作 小堀宗明箱書
小堀宗明箱書 掻銘「好其心」 高台脇「楽山」銘印
口径120~123*高さ73*高台径57
茶室でじっくりと鑑賞してみました。

掛け合わせたような釉薬の茶碗を光の交錯する茶室で楽しんでみました。高取焼のような灰釉薬を鉄分の量に変化を持たせた景色が見どころになっています。形も少し歪になっていることでお茶が飲みやすくなっていますね。
*茶室の遊びのひとつに自然光との戯れがあると思うのですが、もう一つ照明により趣向も考慮してみたらいかがかと思っています。在来の茶室では照明による趣向はあまり考慮されていませんが、現代の茶室はもっと遊んでいいと思っています。茶室側は自然光を、茶道口側は自然光+照明でなどを考えると在来の茶室とは違った外部のレイアウトが生まれてくるように思います。

高台脇には「楽山」という印銘、そして「好 其心」という掻銘がありますが、「好」のつくりの「子」が釉薬で消えて「女」に見えるのは御愛嬌でしょう。
******************************************
小堀宗明:茶人。遠州流十一世。父は十世小堀宗有。名は正徳。別号に其心庵・一貫子・徳翁。近代茶道隆昌の時運に乗り小堀家の復興を果たす。大徳寺塔頭孤篷庵内に茶室「其心庵」を営む。門下に石黒・団・三井氏などの政財界の数寄者を多数迎え入れ泰和会を組織した。昭和37年(1962)歿、84才。
******************************************

このような茶碗を入手するあたっては、たとえ遠州流以外の方でも清水楽山と小堀宗明との関係や号などもきちんと理解していないと食指が動かないものですね。

******************************************
清水楽山:(しみず らくざん)1894年(明治27)~1969年(昭和44)) 大正窯。三重県四日市出身。 15歳で万古焼の修行をしたが、当時の万古焼は大量生産であったため個性を発揮出来ず、大正11年に京都清水焼の勉強のため上京。その後は各地方の有名窯をめぐり歩き、帰郷。後に遠州流小堀宗明により指定御用窯に認定され、雅号を「宗楽」とする。
******************************************
清水楽山は苦労して小堀宗明の御用窯になった陶工ですが、モノづくりには苦労が必要だと思います。地道な努力より、すぐにお金や地位、楽さを求める若者には未来はないと小生は考えています。

さて、この茶碗は冒頭で述べたように、清水楽山と小堀宗明の縁がある茶碗だけではなく、「癸巳」という小生と息子の両方の干支にちなんだ茶碗です。家内から購入の是非の相談があった際には「すぐに入手しなさい」と判断しました。

癸巳生まれの男性の性格は「社交性に乏しく一見とっつきにくい感じを与えますが、根は正直で努力家。自分の考えを押し通す頑固さと短気が欠点です。器用貧乏にならないように注意。」だそうですが、よく当たっています


家内が「この茶碗のどこが巳年?」と尋ねるので「高台内の削りと見込みの手跡だよ。」と答えておきました。
この茶碗を観てパパを思い出す日がくるのでしょうか?