夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

大日本魚類画集 NO71 イシダイ 大野麥風画 

2021-06-14 00:01:00 | 浮世絵
先日、本ブログの画像について問い合わせのあったテレビ番組「鉄腕ダッシュ(2021年6月6日に放映)」にて、当方から提供した「カワハギ」(大日本魚類図集)の画像が放映されました。



この番組の「DASH海岸」コーナー内にて、カワハギについて取り上げ、その際にかつての東京湾にいた生き物達を復活させるという設定にて、「昔からいた魚」ということをわかり易く表現するため、カワハギが描かれている絵の画像を使用したいということからの依頼でした。また日本テレビでは地上波放送後に配信サイトにて「見逃し配信」を行っているので、そちらの方でも使いたいとのことです。

*使用している画像は小生が改めて作品を撮影した画像です。



さて当方で蒐集している大日本魚類画集の作品ですが、上記の「カワハギ」を含めてようやく第1輯の12作品が揃いました。第1輯というのは最初に発刊された大日本魚類画集のシリーズで全部で第6輯まであります。各輯に12種類の作品があり、ほぼ一か月にひと作品ずつ発刊されております。6輯*12種となり、全部で72種類の作品があることになりますから、そのうちの第1輯の12種が揃ったすぎません。



当方の蒐集の対象は第2輯の作品を主体に移りますが、すでにいくつかの作品は本ブログにて紹介されています。本日紹介する作品は1939年2月は発刊の第2輯第6回の作品「イシダイ」です。



「大日本魚類画集」においては発刊当時の栞がとても貴重であり重要です。タトウの題字は谷崎潤一郎が著名ですが、もうひとりとして徳富蘇峰も書いています。

 

徳富蘇峰の書は当方では男の隠れ家に「一行書」を所蔵しており、その作品はすでに本ブログにて紹介されていますが、徳富蘇峰は書家としても著名です。

大日本魚類図集は発刊当時のタトウ、栞、マット共々蒐集するのが望ましいですが、おそらく新たな現在の蒐集では不可能に近いでしょう。

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徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。小説家の徳冨蘆花は弟である。

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本日の作品は1939年2月第6回(第2号の6)の発刊の作品です。

大日本魚類画集 NO71 イシダイ 大野麥風画 
紙本淡彩額装 版画 1939年2月第6回(第2号の6) タトウ 説明書付
画サイズ:縦400*横280(版木部分:270*391)



大日本魚類図集は1937年8月から発刊され、1944年7月で完了していますが、1940年、大阪三越や上野松坂屋にて「大日本魚類画展」が開催され、その上野松坂屋「大日本魚類画展」において秩父宮殿下が既刊40点を買い上げ、以後についても予約したそうです。当時の人気に弾みをつけたようでです。

題材となった「イシダイ」については下記の記述のとおりです。

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イシダイ:(石鯛) スズキ目イシダイ科に属する魚の一種。日本近海に分布する大型肉食魚で、同属のイシガキダイと並んで食用や釣りの対象として人気が高い。

*また、特に若魚をシマダイ(縞鯛)、サンバソウ(三番叟)、老成したオスをクチグロ(口黒)とも呼ぶ。



成魚は全長50cm程度だが、稀に全長70cm・体重7kgを超える老成個体が漁獲されている。体型は左右から押しつぶされたような円盤型で、顎がわずかに前方に突き出る。鱗は細かい櫛鱗で、ほぼ全身を覆う。口は上下の顎ごとに歯が融合し、頑丈なくちばしのような形状になっている。体色は白地に7本の太い横縞が入るが、成長段階や個体によっては白色部が金色や灰色を帯びたり、横縞が隣と繋がったりもする。

幼魚や若魚ではこの横縞が明瞭で、この時期は特にシマダイ(縞鯛)とも呼ばれる。ただし成長につれて白・黒が互いに灰色に近くなり、縞が不鮮明になる。特に老成したオスは全身が鈍い銀色光沢を残した灰黒色となり、尾部周辺にぼんやりと縞が残る程度になる。同時に口の周辺が黒くなることから、これを特に「クチグロ」(口黒)、または「ギンワサ」「ギンカゲ」などと呼ぶ。一方、メスは老成しても横縞が残る。 自然環境下でのイシガキダイとの交雑も確認されている。

「シマダイ」は下記の写真のとおりです。



「グラバー図譜」にはこの交雑個体が載っており、「ナガサキイシダイ」という名前で呼ばれたことがある。人工交雑は近畿大学水産研究所で1970年に成功した。この雑種は「イシガキイシダイ」、または交雑に成功した近大に因み「キンダイ」とも名付けられている。雑種は生殖機能を持たないため子孫を残せず、学名もつけられていない。食材としての旬は秋である。身は白身で、全長40cm程度までが美味とされる。大型個体は却って味が落ち、シガテラ中毒の危険もあるので食用には向かない。

「交雑個体」は下記の写真のとおりです。



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大日本図集で彫師として重要な役割を担った藤川象斎は大阪の宗右衛門町に住んでいましたが、当時彫師において50年の大ベテランで、西洋木版の技法まで習得していた秀逸な職人であったようです。二人の名人摺師の光本丞甫、裲宜田萬敏とのコンビで大日本魚類画集における多くの作品を手掛けています。



200度摺を要したのは魚や背景の微妙な色合いを表現するためにこだわったことによるようです。ただし実際に200度摺した作品は数点で、あとは130度~180度くらいですが、それでも日本版画史上最高の摺の回数です。



それまでは100度を超える摺がなかったので、いかに摺の回数が多いか解ります。現在人気の吉田博、川瀬巴水らの版画の摺りは100回を超えていません。



このシリーズの版画の魅力は現物を見ないと解りませんね。残念なことに拡大写真でもキラキラ光る銀彩の具合などは解りかねますね。



展覧会でご覧になった方の中には、この色具合が伝ってこないので図集の購入は止めた方がいたようです。



川瀬巴水、吉田博らが最近人気ですが、彫や摺に限れば本作品の足元にも及びませんし、大日本シリーズに後摺の作品が皆無なのはこの摺の回数によるのでしょう。



本作品のおける大野麥風の落款と印章、彫師・摺師は下記のとおりです。

  

発刊当時の栞からはいろんな情報を得ることができます。



発刊当時は英文訳付きの説明書やタトウ、月報などが添付されており、原則500部限定(後半には300部限定となる)で発刊されましたが、これらがすべて完全な状態で遺っている作品は非常に数が少ないようです。



作品が収められている台紙(マット)には「イシダイ 二ノ六(第2号の6)」とあります。マニアックかもしれませんが、これもとても貴重ですね。



本作品はタトウの状態が思わしくありませんが、幸い作品本体にはダメージが少ないようです。



版元の西宮書院は戦災に遭い、京都に移って京都版画院と名称を変えていますが、後に東京に移転しています。大野麥風は移転後も品川と作品を作り続けていたようですが、大野麥風については大日本魚類画集を超える作品が生まれることはありませんでした。大野麥風の評価が上がらないのは、残念ながら肉筆でこのシリーズを超える作品が見当たらないことからでしょう。



当方では各々の作品に似合う額、マット、面金などを誂えるのが愉しみです。





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